鳩山由紀夫首相を持ち上げていたマスコミまでも、背を向けてしまったようで、これでは鳩山政権もおしまいである。普天基地の移設問題で米国に押し切られたのは、鳩山首相が、すぐに弱気になるのを見透かされていたためだ。もう少し信念があったならば、ある程度は譲歩せざるを得なかったはずだ。さらに、みんなに喜ばれるような解決策があると思っていたようだから、甘ちゃん過ぎる。しかし、保守派としては、鳩山首相を笑えないところもある。米国頼みで本当によいのだろうか、という不信感が日本人に芽生えてきているからだ。米軍の海兵隊がまず救出するのは、自国民であり、日本人は後回しにされるというのが、今回明らかになった、そうであるならば、自衛隊が在留邦人の救出作戦を行える法的な整備をすべきなのに、それが遅々として進まないのである。自衛隊が海外に出てゆくことへのアレルギーが強すぎるのだという。米国依存からの脱却は、自主防衛力の強化とセットなければならない。沖縄を守るのは自衛隊であるべきで、米国には足りない部分を補ってもらえばいいのである。戦後の日本の平和主義というのは、現実には米国に守ってもらっているくせに、日本を見捨てるわけはない、と高を括って「ヤンキーゴーホーム」と言って拳を振り上げていたのだった。今回もまた、その繰り返しでしかない。鳩山首相はようやく最近になって、「自分の国を自分で守る」ことの必要性というのを口にしだしたが、本来はそれが前提なのである。海兵隊が後方に下がれば、その空白を埋めるのは自衛隊だ。その覚悟があることを、米国に示すべきだったのである。国家としての品位を失ったのは、一人鳩山首相だけでない。日本人全体が平和惚けしているのである。三島由紀夫は日本の軍隊について、二つに分けることを主張していた。一つは国土守備隊であり、もう一つは国連軍に加わる部隊である。いうまでもなく、天皇が栄典大権を授与するのは国土守備隊の方である。米国の傭兵ではない軍隊を望んでいたのが、三島であったからだ。鳩山首相に説得力がなかったのは、「自分の国は自分で守る」という気概が感じられなかったからだ。それが民主党や社民党の観念的平和主義の限界なのである。
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