草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

本物の保守のひまそら候補を東京都知事に

2024年07月05日 | 科学技術
 東京都知事選の選挙運動も、後残すところ2日になった。ひまそら候補へ投票を呼びかける声は日増しに広がってきている。選挙カーを走らせなくても、掲示板にポスターを張らなくても、ネットを通じて、確実に浸透してきているからだ。
 新しい選挙のやり方であっても、政策については、誰よりも詳しく、懇切丁寧に説明している。しかも、「変革」とか「ぶち壊す」といった言葉は一切口にしない。東京の現状を肯定しつつ、そこにプラスするというのだ。まさしく本物の保守ではないだろうか。
 今回の選挙結果が重要であるのは、自民党の保守派はひまそら候補を、自民党の親中派は石丸伸二氏を応援していると見られるからだ。ここでひまそら候補が大量得票をすれば、高市早苗さんを総理総裁にするエネルギーが爆発することになるだろう。
 最終盤になっての勢いはすさまじいものがある。「ひまそら候補に清き一票」を叫び続けるならば、当選する可能性すら出て来たのである。最後の最後まで声を上げ続けなくては。
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今こそ三島由紀夫の崇高な精神に学ぶときだ

2024年06月08日 | 科学技術
 今の日本の政治をエンタメや商業主義で語ってはならない。差し迫った危機に対処するためには、そんな生易しいことでは対応できないからである。
 三島由紀夫は楯の会を運営経費や、「論争ジャーナル」の発刊にあたっては、自らが資金を提供した。金儲けをしようとする者たちとは一線を画した。特定の勢力から金銭的な援助を受けることも潔しとしなかった。
 さらに、三島における純粋性というものは、安易な未来を語ることを拒否することであった。今から5年10年先のことのために、現在を犠牲にすることは、まさしくモラトリアムにほかならないからだ。三島の「反革命宣言」にこそ学ぶべきなのである。
「われわれは、護るべき日本の文化・歴史・伝統の最後の保持者であり、且つその精華であることを以て自ら任じる。『よりよき未来社会』を暗示するあらゆる思想とわれわれは先鋭に対立する。なぜなら未来のための行動は、文化の成熟を否定し、伝統の高貴を否定し、かけがえのない現在をして、すべて革命への過程に化せしめるからである。自分自らを歴史の化身とし、歴史の精華をここに具現し、伝統の美的形式を体現し、自らを最後の者にした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は『あとにつづく者あるを信ず』という遺書をのこした」
 薄っぺらな未来をに口にしない三島は、一回きりの決起によって、日本人が目指すべき崇高な価値を体現したのだ。俗化した大衆迎合主義の金への執着は、もっとも恥ずべき行為であった。目先の政治的な有効性も無視した、やむに已まれぬ行為こそが、白虎隊の少年たちのように「人生古自り 誰か死無からん 丹心を留取して 汗青を照らさん」(文天祥)ということになるのを、誰よりも三島は熟知していたからなのである。
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NHKの処理水放出報道は不安感を煽り立てているだけだ

2023年08月24日 | 科学技術
 福島第一原発の事故の直後から、国内外の反日勢力は「福島県には二度と住めない」というプロパガンダを流した。それに便乗した煽りに煽った者もいた。しかし、現実に福島県に多くの県民がとどまった。今でもそこで生きているのだ。
 今回の福島第一原発の処理水の海洋放出は、IEAE(国際原子力機関)も「環境に影響がない」というお墨付きを与えている。しかし、NHKは「トリチウムを含む処理水」という言葉を使っている。国民の受信料で運営されている報道機関は、あえて不安感を煽るような報道をしているのだ。さらに、中国側の嫌がらせのコメントを流している。
 福島県民に対する挑戦であり、断じて許すことはできない。そうでなくても、平成23年からこれまで、実害というよりも、風評被害に悩まされてきたのだ。
 お盆の季節に福島県内の帰省した人たちが、東北自動車道の那須サービスエリアのゴミ箱に、実家からもらったお土産を捨て、それが山積みになった光景が忘れられない。
 ようやくそれがなくなり、汚染水を安全なものにして流そうとするとこの騒ぎである。エビデンスにもとづけば、中国や韓国がたれ流しているのよりも、はるかに安全なのである。それを知りながら反対している人たちは、福島県と日本を貶めたいのである。そんな者たちに、私たちは負けるわけにはいかないのである。
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原発処理水放出に福島県民もネットも冷静

2023年08月23日 | 科学技術
 福島第一原発の処理水が24日に放出することが決定した。マスコミや特定野党が騒いでいるくらいで、福島県民もネットもいたって冷静である。
 漁業関係者は最後の最後まで反対の姿勢を崩さないが、ひろゆき氏がツイートしているように、逆にそれが風評被害を煽りかねない。「海に流しても影響がありません」と言い切った方が、不安の解消につながるからだ。
 補償をどの程度にするかで、綱引きをしているのではないだろうか。危険性と背中合わせで文明は進歩してきた。もはや人類は原子力を無視しては暮らせなくなった。
 福島県民は、原発は絶対安全だというのを信じてきたのに、それが裏切られたという思いが強い。しかし、日本のエネルギーの今後を考えたときには、再エネでまかなわれないことは明らかである。
 どこまでコントロールできるかは、誰にも分からない。中国や韓国もトリチウムを海洋に流しており、批判できる立場ではない。IAEA(国際原子力機関)が昨日、「国際安全基準に合致していて、環境などへの影響は無視できるものだ」との声明を発表しており、今はただ先に進むしかないのである。
 だが、アルプスに不都合が生じた場合には隠蔽することがあってはならない。同じ過ちを繰り返さないように、最善を尽くしてもらうしかないのである。
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マスコミは相も変わらず平和ボケ

2023年08月18日 | 科学技術
 戦争反対と言えば、戦争にならないのだろうか。本当に世界は、平和を愛する諸国民だけなのだろうか。そんな幻想はとっくの昔に意味をなさなくなってしまった。気付かない方がどうかしているのだ。
 1979年2月17日から3月16日にかけて行われた中越戦争を目のあたりにして、左翼陣営は大混乱をきたした。レーニンの『帝国主義論』によれば、戦争とは帝国主義国家同士のものであり、社会主義国家が攻められることがあったとしても、社会主義国家同士の戦争というのは、絶対にあってはならないことだったからだ。
 1956年のスターリン批判、ハンガリー動乱がが表ざたになったのと比べられるほどに、左翼陣営にとっては痛手であったのだ。その時点で、まともな左翼の活動家は身を引くか、転向をして沈黙いた。そこに追い打ちをかけるかのように、今では中国や北朝鮮による核の恫喝である。
 ここまで現実が動けば、もはやお花畑でいる方がどうかしている。イデオロギーなど付け足しである。その実は国家エゴで動いているのだ、安倍元首相が、戦後レジームからの脱却を主張したのは、安全保障上の危機感を感じたからだろう。
 誰でも過ちは付きものだから、とやく批判するつもりはないが、現実を直視することで、日本をどう守り抜くかを考え抜かなければならない。相も変わらず「平和」をお題目のように唱えるマスコミは、いつの時代のことを語っているのだろう。恥を知らないから、そんな言葉を吐けるのだろう。
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三島由紀夫は大東塾の実力行使を評価していた

2023年06月10日 | 科学技術
 三島由紀夫が右翼であったというレッテル張りをするつもりはないが、三島が林房雄との対談「現代における右翼と左翼」(『流動』昭和44年12月号)で、「右翼が左翼に戦後取られたものは三つあるんですね。一つはナショナリズム、もう一つは反体制、もう一つは反資本主義、三つ取られたでしょう。右翼がみんな持ってたんですよ。右翼は昔はナショナリズムを持っていた。反政府、反体制、反資本主義、反独占資本主義を持っていた。それをみんな取られた。九〇%取られたというんですよ」と言ったことが、今になって気になってならない。
「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは、あくまでも自民党の補完勢力であった。だからこそ、今回のLGBT法案で裏切られたと騒ぐのである。しかし、それは本来の右翼の姿ではないのである。
 三島は「右翼ができないことを左翼がやっている」と述べていた。攘夷論的反米主義は、日本学生会議などの一部の右翼を除けば、極左の中核派などの専売特許であった。彼らは「沖縄奪還」を叫び、首都中枢に内乱的な状況をつくりだそうとした。
 佐藤栄作首相は、それをアメリカとの沖縄返還交渉のカードに利用した。日本はアメリカの言いなりであったが、日本国内に混乱が起きれば日米同盟が機能しなくなる。それを阻止するには、日本の言い分を少しは聞くべきだ、とアメリカに迫ったのである。
 三島の対談相手であった林房雄も、元共産党だけあって、あえて「右翼がおとなしくなったら、自民党の手先になってしまう。自民党でないところに右翼の存在理由がある」と見方を示したのである。
 三島は、靖国神社問題での大東塾の実力行使を評価した。「靖国の霊を国が神道の祭祀にしたがって顕彰し、弔うべきだ」という主張から、日本遺族会長であった賀屋興宣をぶんなぐったことを、「あの方法しかないからやったんでしょう」と容認したのである。
 そして、三島は「ほかに方法がないということをやるために右翼団体というものがあるんだと思うし、塾というものがあると思うんだ。それはその姿勢を守らなければならない。それを捨てたらだめだと思うんですよね。あの人はその観点からあの事件についてちゃんとしていると思う」と語ったのである。
 そうした実力行使を容認しただけでなく、三島は「義のために死ぬ」ということも口にしていた。自らの決起の一年ほど前のことであったが、口舌の徒の限界を感じていたのではないだろうか。
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文化的危機にのぞんだときの日本人の「尊皇攘夷」

2023年06月09日 | 科学技術
 LGBT法案の自民党執行部の強行と、その成立に手を貸す左翼勢力に対して、私たちは何をもって対抗すべきなのか。それは明治維新から神風連、西郷党の一部、北一輝から2・26事件、三島由紀夫の決起へと連なる純粋尊攘派の立場ではないだろうか。
 そうしたラディカリズムが日本人に流れていることを問題にしたのは、三島由紀夫の諭敵であるとともに、良き理解者であった橋川文三であった。
「最近の三島がそのままかつての『尊皇攘夷』派に似ているように思っているが、いうまでもなくそれは冷笑の意味ではない。私は、およそある一つの文化が危機にのぞんだとき、その文化が『天皇を賛美せよ!野蛮人を排斥せよ!』と同じ叫びをあげるのは当然のことだと思っている。それはほとんど危機におかれた人間の生理的反射に似た現象であり、日本にかぎらず、それぞれの時期において人類史上の普遍的な現象であると思っている。とくに日本のように社会組織の有機的性格が濃密な地域では、危機への反射的反応はそれだけ強烈であるのは当然である」(『三島由紀夫論集成』)
 丸山眞男の弟子であり、その系譜に属する橋川ですら、日本人の怒りを爆発させる『尊皇攘夷』派を問題視したのである。橋川は思想的根源にあるのは「国学的ユートピア」と呼んでいるが、アナクロニズムと一笑に付すことができない破壊力があることは事実である。
 アメリカや、その言いなりになった岸田首相は、そこまで考えがなかっただろうが、LGBT法は日本文化の根本を否定するものであり、それへの反発が大きいのは当たり前である。
 政治学者であるにもかかわらず、橋川は『尊皇攘夷』派の有効性についてはあまり立ち入らない。しかし、日本が国家としての自由を奪われたままの戦後が未だに続いており、日本人の不満の限界は頂点まで達している。右からのラディカリズムがアメリカへの警告として、無視できない力を発揮するのである。
 もはや自民党までもが頼りにならなければ、橋川が述べているような政治的潮流が勢いを増すのだろう。日本人が忘れていた『尊皇攘夷』派のパトスを目覚めさせたのは、誰あろう岸田首相その人なのである。ここまでくれば穏便に済むわけがないのである。
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初代首相伊藤博文の外交と政治手法

2023年05月29日 | 科学技術
 この難局を乗り切るにあたって、政治家はどのような態度で望むべきかを教えてくれるのが、岡義武の『明治の政治家』である。とくに興味を覚えたのは「初代首相・伊藤博文」であった。安倍元首相と同じように暗殺されたのだが、幅のある政治家のように思えた。
 それが政治家として相応しいかどうかは、簡単には決めつけられないが、今の政治家とはどこか違っていた。とりわけ外交についてはそうであった。明治維新の大変な時代をくぐり抜けてきただけあって、軍事力の行使による外交問題の解決と、政治的に極端に一方に偏することを嫌った。
 日本が表舞台に出ることで、欧米列強の反撃を誘発することを危惧したのである。日清戦争も日露戦争も、で伊藤は平和的に解決することを切望した。いくら勝って短期的には成功ではあっても、必ず欧米列強との対決は避けられないと考えていたからだ。日英同盟に一辺倒にならずに、伊藤が日露協商にこだわったのは、バランスを考えてのことであった。
 伊藤はよく口にしたのは「喬木(きょうぼく)風多し」であった。高い木のように目立てば目立つほど、人から妬まれるということである。明治の元勲にありがちな暴走を、ことさら嫌ったのである。
 また、伊藤の演説はアジテーターのようなものではなかった。自分の主張を述べる際にも「斯くあらうと存ぜられる」「其様のことはあるまいように思はれた」というように、回りくどい表現をして、婉曲に語尾を結んだ。
 岡は「演説の際の伊藤のこのような表現方法も、実は闘争性の比較的少い性格と関連するものと思われる」と書いている。
 明治維新の元勲として超然主義の中心にいた人間が、民党の政友会のトップの座に就いたのは、ある一つの立場に固執せず、国家国民のことを考えたからなのである。私生活では品行方正ではなかったいとうだが、それで断罪するのはあまりも酷である。
 今の政治家にない、そういた胆力が伊藤にはあったからこそ、指導者として仰がれたのである。今も政治家も学ぶべき点が多いのではないだろうか。戦争にならないための外交努力、政治を妥協の産物と考えるという手法は、民主主義における鉄則でもあるからだ。
政治家を抜きには政治を語ることはできない。岡の『明治の政治家』を読んで、なおさらのことそれを痛感した。
 

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日本が強い国家を目指せば公明党は足手まといだ

2023年05月28日 | 科学技術
 日本の政治が常にそうであったように、国際環境の変化に応じて、変らざるを得ないし、実際に変わってきたのである。江戸幕府が崩壊したのも、当時の欧米列強に抗するためであった。
 そうした観点からすれば、今の日本も大きな変革を余儀なくされているのではないだろうか。自公政権を終わりにして、新たな政権の枠組みというのが、避けては取れなくなってきているのだ。
 キッシンジャーは、最近になって「日本が5年以内に核武装をする」とまで言い出しているが、それが日本が向かう方向性として現実味を帯びてきているのだ。
 すでに韓国では、自前で核を持つべきという意見が多数を占めている。少しずつながらも、日本でも無視できない力になりつつあるのではないか。誰がアメリカの大統領になろうとも、東アジアにおけるアメリカのプレゼンスは確実に後退するとみられている。
 それを補う力が日本になければ、中国への属国化を避けられない。地政学的にも近く、漢字文化圏に日本が属することからも、よほど国家として身構えない限り、それを阻止することは困難である。
 サミュエル・ハンチントンが述べていたように、明治以降の日本は、その時代の最強国と同盟関係を維持することを重視した。日英同盟、日米安保条約がその典型であった。そうした経験則からするならば、中国と一体になることも、荒唐無稽な主張ではないのである。
 しかし、全体主義国家に屈することを潔しとしない日本国民の多くは、それとは別な選択をするだろう。それが自前の核の所有なのである。
 エマニュエル・トッドがその必要性を説くように、日本が国家として存続しようとするならば、それを決断するしかないからである。
 昨日まで「鬼畜米英」だったのが、敗戦と同時に「マッカーサー万歳」になったのが日本国民である。政治の転換期にあって、如何なる政権ができようとも、公明党自体が方針を見直せば別だろうが、現状のままの公明党では足手まといになりかねない。日本国民は強い国家を待望しつつあり、それが一大潮流になろうとしているのが、今の日本なのである。
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自民党の最後の切り札である高市早苗さんを総裁に

2023年05月26日 | 科学技術
 自民党が生き残るには、高市早苗さんを総裁にすることである。そして、日本初の女性総理大臣を誕生させることだ。そうすれば岩盤保守も自民党に投票してくれる。
 すでに安倍派内部ではそうした動きが出始めているが、それを全党的なものにしなくてはならない。さらに、自民党にとどまらず、国民民主党や維新の会の保守派、少数政党の参政党や旧N党を含めた、国民救国内閣を組織し、保守の大同団結を目指すのである。
 なぜ特定野党以外の他党まで含めるかというと、自民党内のリベラル派との綱引きに勝つためには、高市さんのための援軍がいなくてはならないからだ。大義名分は「日本派」の結集なのである。
 デイリーWILLのコメンテーターである白川司氏も言っているように、いくら岸田内閣の支持率が上がっても、そんなものは、マスコミの報道にもとづく一時的な現象でしかない。実際に投票する岩盤保守の動向がはるかに問題なのである。
 岸田内閣はリベラル色を打ち出すことで、ウイングを左に広げたが、それが自民党離れに拍車をかけている。岸田首相が広島サミットの成果なるものを引っ提げて、解散総選挙に打って出れば、確実に自民党は死屍累々の惨状を呈するだろう。
 自民党の国家議員に言いたい。世襲政治家や利権に支えられた今の状態はもはや限界であり、新しい理念を国民に示す必要がある。政策的には、日本が世界の平和に貢献できる国家に生まれ変わることである。現状では高市さんしかいないのである。
 有事を前にして残された時間はあまりない。高市さんを日本丸の舵取りにし、そこにプラス有能な人材を配置し、小異を捨てて国民が団結するときなのである。これまでのことを全て水に流してもいい。草莽崛起の思いで自民党の国会議員が立ち上がるときなのである。
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