西部邁が今日早朝、多摩川で入水自殺したとのニュースがかけめぐっている。虫の知らせともいうのだろうか、それがネットで報じられるまで、ユーチューブで西部と中川恭子の対談を見ていた▼西部がしきりに言論の虚しさを語っていたのが気になってならなかった。福田恆存の晩年もそうであったというのを、捨て台詞のように何度も口にしていた。収録される段階では、西部は死を決意していたのではないだろうか。そこで印象に残ったのは、西部が70年ころ、妻と一時別居したという思い出話をしたことだ。60年ブンドで名を馳せた西部は、もう一度革命家としての再起を考えていたのではないだろうか。かつての同志が中核派にもおり、連絡もとっていたはずだ▼連合赤軍による悲粛清事件の衝撃を受けて、西部は保守派に転向することになったのである。その辺のことも正直に西部は語っていた。しかし、戦後流行の親米保守に追随したのではなかった。いかに日米安保条約があろうとも、アメリカが日本を守ってくれるかどうかは疑問である。西部の安全保障政策は明確であった。日本が核ミサイルを備えた潜水艦を海の底に潜航させておき、核攻撃を受けたら反撃するために使用するのである▼妻の後を追うように多摩川に身を投げた西部の死も厳粛な事実であるが、今は亡き西部の主張にも私たちは真摯に耳を傾けるべきではないだろうか。
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