全体主義の国家を甘くみてはならない。自由とかに目覚めるのは、体制のタガが緩んでからなのである。とっくに崩壊していいはずの中共や北朝鮮が存続しているのを、誰が説明できるだろうか。中国共産党や金王朝への権限集中であっても、人々はそれに大規模な反乱も起こさず、言いなりのままである。逆に両国は世界中に工作員を潜入させ、自国の利益の確保に全力を傾けている。崩壊するどころか、攻勢に転じてきているのである▼ハンナ・アレントは恐ろしいことを私たちに教えてくれた。ナチスの犯罪について論じながら「言い換えると、犯された最大の悪は、誰でもない人によって、すなわち人格であることを拒んだ人たちよって実行されたことになります」(『責任と判断』ハンナ・アレント、ジェムローム・コーン編中山元訳)と書いたのだった▼今の中共や北朝鮮の人たちにもあてはまることではないだろうか。ノンというにはそれなりのものが必要なのである。アレントはカントの『判断力批判』の「思考することは自分自身との語らいである」との言葉を引用し、人間の自由がどんなものであるか問題にした。それを手にすることができなければ、全体主義に反逆することは困難である。抑圧されているという意識すらもないわけだから、分裂した自我に悩むこともないのだ。全体主義国家を甘くみてはならないのである。
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