平和、平和と口にすれば、平和がやってくると思うのは、ある種の信仰ではなかろうか。北朝鮮が弾道ミサイルを撃ってくるというのに、自衛隊のパトリオットの配備に反対するのは、戦後の日本人が平和惚けしているからだろう。沖縄ではデモ行進までして気勢を上げたそうだが、国民の安全を守ろうとしてくれている自衛隊を、公然と罵倒するのだから、とんでもない連中である。ソビエトが崩壊してからは、サヨクのスローガンは「グローバルな市民主義」に変わった。国家を否定することを、至上命題としているのだ。だからこそ、自衛隊の存在も気に入らないのである。しかし、彼らの非暴力は、あくまでも口先だけだ。勝田吉太郎は『思想の旅路』のなかで、ガンジーの主張した非暴力という立場は、生易しいものではない、ということを述べている。ガンジーは『わたしの非暴力』において、「無抵抗の意味は、しばしば誤解され、ときに歪曲さえしている。断じてそれは、非暴力の人は侵略者の暴力に屈すべきではない。侵略者の暴力に暴力をもって応えることはしないが、侵略者の不法な要求には、死を賭しても服従を拒否しなければならない。これが、無抵抗の本当の意味である」と書いているからだ。命が大切だから無抵抗なのではなくて、守るべき価値のためには、命を投げ出すことを厭わないのである。サヨクは自衛隊を罵倒しておきながら、それでいて、最後は助けてもらうつもりなのだろう。ただ単に命が惜しいだけなのである。だったら、デモなどすべきではないのだ。
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