岡山県というと、僕にとっては竹久夢二ということになるから、ついつい夢二のことを聞いてしまった。すると「知り合いに夢二の親戚がおるんじゃが」と言って「竹久の竹は武士の武だ」と教えてくれた。
どんな車で旅行しているのかは確認しなかったが、御主人は僕より2歳上。これから只見町を経て新潟県の魚沼郡に抜け、長野に向かうというのを聞いて、これまたビックリしてしまった。
田子倉ダムの近くの山道の「六十里峠」を越えるわけだから、少しばかり心配になってしまった。時計を見ると午後2時を過ぎていた。
あまり引き留めておくと、夜になってしまうので、僕も「早く出かけられた方がいいですよ」と言うと、「時間があるわけじゃーでえ」という気ままな旅なので、イザとなると車で眠るから大丈夫だということであった。
ノンアクセント地帯に住む会津人にとっては、岡山弁は新鮮である。会話にリズム感があって、ついつい聞きほれてしまうからだ。それにしても、高齢な御夫婦の車の旅行をよく見かけるようになった。団塊のすぐ下の世代も、体力的に限界に近付いており、何か急かされるようにして、旅に出たくなるのではないだろうか。僕もその一人ではあるが、人生の終わりを前にした人間の淋しさを、ついつい感じてしまうのである。