草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

小林よしのり氏は一般献花者を愚弄するなかれ

2022年09月30日 | 祖国日本を救う運動
 小林よしのり氏の漫画を読んで保守派になった人もいたようだが、僕とは無縁な人であった。その小林氏が、去る27日の九段坂公園での一般献花について、とんでもないブログを書いた。「統一教会の動員で十分集まる」と述べたのである。あくまでも「邪推や偏見を生んでも仕方がないということなんだ」と弁解してはいるが、実際に会津から、前日に一泊して一般献花に出向いた身としては、黙っているわけにはいかない。
 あの日僕は、市ヶ谷駅近くのホテルを午前7時半に出て、九段坂公園まで歩いて行った。花を持った人とチラホラ見かけるようになったのは、靖国神社が近づいてからであった。まとまった集団はどこにもいなかった。一人でというのが結構多かった。会話は決まってどこから来ましたかというものであった。あまり報道されなかったわりには、マスコミが多く詰めかけて、インタビューなどしていた。旧統一教会の関係者が一人でもいたら、集中して取材されていただろう。
 政治的な立場というよりも、非業の死を遂げた安倍晋三という政治家の死を悼む、そうした純粋な気持ちで集まった人たちが大半なのである。そして、仮にそこに旧統一教会関係者が何人かいたとしても、それを批判することは許されない。どこの団体に所属しようとも、個人の判断でのことであれば、それは尊重されてしかるべきなのである。
 一時的に保守派を名乗りながら、時流に媚びて右往左往する言論人が結構いる。彼らの特徴としては、商売になるかどうかが判断の基準なのである。しかし、本当の保守派は、保田與重郎が言うように、淋しき浪人の心を持っているのである。権力とも金とも無縁なのである。あの日僕が見た人たちは、まさしくそういった人たちであった。名の知れた人たちはほとんどいなかった。偽物ではない、日本人の地の声に促された人たちなのである。
 人数についてもとやかくいわれるが、主催者がいないわけだから、警察発表しかなかった。あれだけの人数であれば、主催者が20万人と鯖読みしても、誰も異論を唱えなかっただろう。空から撮影した写真がないのが残念でならないが、途中で帰った人がかなりの数いたと思う。いちゃもんを付けるのは、マスコミは自分たちの敗北を認めたくないし、小林氏は自分の出番がなくなっているのに、苛立っているからなのである。
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親中の岸田総理では日本は守れない

2022年09月29日 | 政局
 岸田総理とその側近は、高市早苗経済安全保障担当相の一言に震え上がったのではないだろうか。BSフジLIVEプライムニュースに昨日出演した高市氏は、岸田総理が親中派であり、中国に気兼ねしていることを暴露したからである。安倍元総理の国葬儀が終わったタイミングで、自民党保守派が反撃を開始したのである。
 高市さんは、大臣に就任した日に、岸田総理から「中国って言う言葉を出すな。来年の通常国会にセキュリティ・クリアランスを入れた経済安保法を提案すると口が裂けても言うな」と指示されたことを明らかにした。
 安倍元総理がテロで殺された7月8日から、現在までのことが、すべて説明できるのではないだろうか。あの事件の後、もっとも注目されたのは背後関係であった。誰が得するかを考えるのが普通である。しかし、そうではなかった。旧統一教会に恨みを持っていたことがクローズアップされ、自民党保守派叩きが大きな流れとなったのである。
 岸田新内閣が発足したのは先月10日であった。岸田総理はその記者会見で、わざわざ「国民の皆さんの疑念を払拭するため、今回の内閣改造に当たり、私から閣僚に対しては、政治家としての責任において、それぞれ当該団体(旧統一教会)との関係を点検し、その結果を踏まえて厳正に見直すことを言明し、それを了解した者のみを任命いたしました」と述べたのである。
 後になって、岸田総理の後援会の幹部、側近の木原官房長官なども旧統一教会と接点があったことが判明した。立憲民主もズブズブであった。にもかかわらず、マスコミは自民党保守派に集中砲火を浴びせたのであり、岸田内閣そのものが後押ししたのである。
 何のことはない。親中の岸田内閣としては、安倍さんの勢力を根絶やしにしたかったのである。だからこそ、岸田総理に近い読売新聞系の日本テレビまでもが、そのキャンペーンに加わったのである。
 高市さんが正論を吐いたことで、山は動くのである。岩盤保守は岸田内閣を支持しなくなるだろう。これによって、岸田首相による長期政権は難しくなった。自民党の支持者や国会議員の多くは、高市さんを女性初の総理総裁にするために動くだろう。国葬儀の一般献花に集まった人たちの勢いが、これからの日本の政治を動かすのである。
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内ゲバで人を殺した中核派は反社ではないのか

2022年09月29日 | 治安
 一昨日の国葬儀では中核派がデモをしていた。旧統一教会は人を殺したことがあるのだろうか。あくまでも霊感商法レベルではないだろうか。中核派は革マル派と血みどろの内ゲバを行った。内ゲバによる死亡者100人、負傷者数千人の大半は両派によるものである。
 昭和51年版犯罪白書によると「犯行の態様を見ると、被害者の全身を乱打し、頭部を集中的に強打するなど、攻撃の手段・方法が凶悪化しており、これが死者を増加させる一因となっている」と書いている。
 中核派のヘルメットをかぶった者たちと、国葬儀反対派は連帯しているのだろうか。彼らは、日本とアメリカが中国に戦争を仕掛けるとの妄想さえ抱いている。そんな中核派と立憲は関係がないのだろうか。旧統一教会よりもはるかに反社会的団体なのである。どうしてマスコミは問題にしないのだろう。
 中核派の関連団体は、千葉動労や杉並革新連盟がある。それとの付き合いのある政党や団体は、世間から批判されて当然ではないだろうか。れいわを中核派は応援していないのだろうか。極左だと何をしても許されるのでは、まさしく、マスコミのダブルスタンダードではないだろうか。
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10万人の声なき声がアベガ―を圧倒

2022年09月28日 | 祖国日本を救う運動
 
 
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 昨日の安倍元総理を追悼する一般献花にどれだけの人が集まったのだろう。九段坂公園から四ツ谷駅まで長蛇の列になったわけだから、10万人を超えた可能性もある。あきらめて帰った人もかなりの数にのぼるようだ。
 それは衝撃的な出来事であった。マスコミの見方とは相反するものであったからだ。世論調査の結果からは、6割か7割の人が国葬儀に反対しているという数字が出ていたからだ。せいぜい数千人規模と思われていた節がある。その10倍以上の人が献花したのではないだろうか。
 これに対して、日本武道館を取り巻くと豪語していた、共産、立憲、民主、れいわは、せいぜい500人規模のデモを、何カ所かで行った程度であった。国葬儀を中止に追い込むというスローガンほど陳腐なものはなく、多くの国民は眉を顰めていたのである。
 1968年にフランスで起きた5月危機では、学生がカルチェ=ラタンを占拠し大騒ぎになったが、ドゴール派が「100万人」のデモを行って反転攻勢に出て、6月に行われた総選挙ではドゴール派が圧勝したのだった。
 それと同じようなことが、日本でも起きたのである。声なき声が結集するというのを目の当たりにして、岩盤保守の力を痛感した。あれだけのアベガ―報道にもかかわらず、常識のある日本人がいなくなったわけではないのだ。とくに午後から夕方にかけては若者の姿が目立った。
 旧統一教会との関係でも、立憲の辻本清美参議院議員が、関連団体の集会に参加して、会費まで払っていたことが明らかになった。わざわざ国葬儀の当日に発表することで、注目が集まらないようにしたのだから悪質である。立憲も自民党と同じく、旧統一教会とはズブズブなのである。地方議員まで調査を広げたら、もっと深刻なことになるだろう。そんなわけだから、最初から特定野党に風など吹いてはいなかったのである。
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国葬儀の一般献花で長蛇の列

2022年09月27日 | ネットの世界
 
 
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 取材するテレビの関係者は、こんなはずではなかったのにと肩を落としていた。世論調査の結果は、同調圧力に対して、声を上げたくなかったからだろう。九段坂公園での献花は長蛇の列ができていたのに対して、日本武道館を包囲するといっていたデモ隊は、動員の点でも見劣りした。マスコミなどがうるさく言うから、反対と口にしただけであって、国民の本心は、死者を冒涜する気にはなれないのである。常識を失ってはいなかったのである。
 予想された通りで、左翼は一般献花をしようとする人たちを妨害するために、あちこちで嫌がらせを行った。多勢に無勢であるから、それしかできなかったのである。良識ある国民の多くは全く無視したが、テレビに踊らされた彼らが愚かなのである。
 とくにここで注目すべきは、九段坂公園での一般献花の場所については、NHKが取り上げたのは今日になってからであった。政府広報もそれほどではなかった。宣伝に努めたのは、ネット民であった、何日も前から、反対派のデモを上回る動員を呼びかけていたのである。中心になる組織もなかったのに、おびただしい数の人が集まったのである。もっと告知が行き届いていたなら、さらに爆発的な数になっただろう。
 今日の出来事は、テレビの終わりの始まりを意味した。一般献花の参加者は、口々にでたらめな報道を批判していた。しかも、菅義偉前総理が語ったように、日本武道館の周りには、20代、30代の若者が目立ったのである。中核派のデモは主力が200名ほどで、そればかりが注目された。それ以外のデモは予想を下回る人数しか集まらなかった。国会を取り囲んだデモにしても、主催者は1万人以上としているが、せいぜい1千人いたかどうかも疑わしい。
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元日本赤軍制作のテロリスト礼賛映画をPRした朝日

2022年09月26日 | マスコミ評
 
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 日本の左翼は今も昔も雰囲気に酔っているだけではないか。学園紛争にしても、あたかも自分たちが大したことをやってきたかのように思っているが、江藤淳が指摘していた通りで、あくまでも「ゴッコ」の世界でしかなかったのだ。思想などもあったわけではないのだ。それだけに、自分の弱さを指摘されると理性を失い、かつての同志も平気で殺すことができたのである。極左の内ゲバで100人以上が死亡し、数千人者もの者たちが怪我をしたのを忘れてはならないだろう。まさしく反社会的勢力なのである。
 その左翼の最後の牙城がマスコミであり、朝日新聞なのである。その朝日が今度はテロリストを礼賛しているのである。自分たちの仲間が被害に遭った赤報隊事件では、キャンペーンを繰り広げて暴力を批判していたのに、安倍元総理となると、話は違うようだ。殺されても仕方がないような口ぶりである。
 日本赤軍の元メンバーがドキュメント映画をつくり、あろうことか国葬儀の当日に、全国何カ所かの映画館で流すのだそうだ。表現の自由があるからそれもありだろうが、天下の朝日が記事で取り上げたのには、多くの国民が眉をひそめたのではないだろうか。
 朝日新聞映画班も「安倍元首相銃撃で逮捕された山上徹也容疑者をモデルにした映画が国葬に合わせて緊急上映されます。撮ったのは若松孝二監督の盟友、足立正生 監督。元日本赤軍で収監もされた足立監督ですが、山上容疑者は『テロリストではない』と。思いを伺いました」とツイートしているのである。すでに朝日は一線を超えており、暴力ではなく言論において、それこそ良識あるネット民の力で廃刊に追い込むべきだろう。
 安倍元総理を殺害したテロリストに関しては、捜査当局も背景を調べているはずだ。テロリストの周辺に極左と接点を持った人間がいなかったかどうか、さらに、テロリストが海外に渡航した記録があったかどうかを、徹底的に調べ上げるべきだろう。
 何度でも書くが、安倍元総理がテロで倒れる7月8日以前から、日本国内では異常な出来事が続いていた。その極めつけが映画の製作である。それが全てバラバラだとは思えないのである。誰かがストーリーを書いたように気がしてならないのだ。あまりにもでき過ぎているからだ。真実は必ず明らかになる。今の段階ではテロリストに加勢する者たちを泳がせておけばいい。その方が全貌をつかみやすくなるからである。
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マスコミの正義面には辟易(へきえき)する

2022年09月25日 | 社会風刺
 マスコミがいい加減なのは今始まったことではない。それでも以前は、自分の行っていることに、ある種の後ろめたさがあった。スキャンダル好きの読者に媚びを売ることを、恥ずかしいと思っていたからだ。
 それがいつの間にやら、正義面する人間が多くなった。左翼の理論を掲げての体制批判ともなれば、あらゆることが正当化できるからだ。山本夏彦に「諸職それぞれ『恥』あり」(『死ぬの大好き』に収録)というエッセイがある。
 山本は「カメラマンはスキャンダルの主を追って三日三晩寝ずの番して首尾よく盗むどりに成功すると自慢である。こんなことが男子一生の仕事かと、ためしに言ってみてもけげんな顔をするだけである」と書いている。
 それは何もカメラマンを批判しているわけではない。「その写真を待ちかねたデスクは、でかしたでかしたと共に喜ぶ。人間は度しがたい醜聞好きだからその劣情につけこんで売る商売があっても仕方がない」からである。
 山本が問題にしたのは「昔は新聞記者には家があっても貸してくれなかった。娘がいても嫁にくれなかった。『羽織ゴロ』と言って堅気の人はうしろ指さした。だから内心忸怩たる思いをした」という謙遜さが失われたからである。
「人になくてはならないのはこの思いである」との山本の一言は重い。調子に乗って正義面するコメンテータを見ると、嫌な気がするのは、そのせいなのである。そんな商売もあってもいいが、まともな人間の部類に属するわけではないからであり、そこに人間としての陰影の深さを感じるからである。
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秋の只見川

2022年09月24日 | 
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ここが只見川だ
川面には緑が
低く垂れこめた
雲が帯のように
赤い橋の向こうに
点在する集落は
懐かしい昭和を
只見線会津柳津駅
ゆっくり坂を下り
粟饅頭の店を横目に
町民センター高台へ
絵でも見るように
僕は立ち尽くす
風の音のさやぐ
かすかな響きが
野の草をゆらす


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円安の神風を理解できない岸田内閣は無能だ

2022年09月23日 | 経済
 
 
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 円安でウハウハな財務省の懐については、岸田首相は一切黙して語らない。高橋洋一氏が言うように。今こそ外為特会評価益の数十兆円を国民に還元すべきなのである。それだけあれば、景気は回復するし、日本の安全保障の充実にも使える。円安で困っている企業や個人にも、満遍なく補助金を出せる。輸入物価の高騰に対応できるだけの余裕があるわけだから、悲観する必要はまったくないのである。
 いくら大規模に介入しても全く効果のない円買い・ドル売りの為替介入に踏み切ったのは、あくまでも国民向けのパフォーマンスでしかない。5円程度上昇したとしても、それは一時的な現象でしかない。
 財務省が使える金を持っているわけだから、政府が積極財政に打って出ればいいのである。そのチャンスを逃すようでは、岸田内閣のお先は真っ暗である。一体誰のための政治を行っているのだろう。かえって防衛費の増額分を埋めるためとして、増税を考えているのだから、まさしく財務省のポチなのである。
 円安という神風を生かせないような政治家は、日本の舵取りをする資格がないのである。製造業の日本回帰を加速させると、どうして岸田首相は、国民に向かって語らないのだろう。
 政府も日銀も緊縮政策を長期間採用して来たことで、日本経済はボロボロになったのである。それを金融面で改善したのがアベノミクスであった。雇用が生れ、それで若者が希望を持てるようになったのである。
 旧統一教会や国葬儀をばかり報道しているマスコミも、どうかしている。生活に直結す問題で、岸田内閣を厳しく追及すべきであり、政治と宗教に関しては、時間をかけて議論すればいいのである。円安がここまで進めば、安倍元首相や、菅前首相であれば、大胆な政策を打ち出したと思うが、岸田首相では無理である。指導力を発揮する勇気がないのだから。
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国民民主の経済と安全保障政策に期待

2022年09月22日 | 経済
 
 
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 私たちネット民は自民党一辺倒ではないのである。より良い政策を打ち出してくれれば、どこの党でもよいのである。その意味で目下注目されているのは、玉木雄一郎氏が代表の国民民主党である。玉木氏と高橋洋一氏が昨日、ユーチューブで対談したところ、たまきチャンネルの登録者数が10万人を突破した。
 立憲民主党が共産党との関係を清算できず、国会での論戦の中心を旧統一教会問題の一点に絞ろうとしているのに対して、玉木氏が経済政策で、岸田内閣に論戦を挑むという方針を語っていたのは、私には頼もしく思えた、
 円安で日本は積極的な財政出動ができる環境が整ってきた。需要と供給のアンバランスを解消するためにも、30兆円規模がベストなのである。それは防衛費の増額にも回すことができる。製造業の日本回帰の動きも出て来た。今こそそれが論じられなければならないのである。先の参議院選挙の党首討論で、議論をリードしたのも玉木氏であった。
 非建設的なネガティブキャンペーンは、岸田内閣を追及する一部でしかなく、そればかりやっているときではないのである。玉木氏の背後には、連合の主力をなしている民間労組がある。そこで働く人たちは、旧官公労とは違ってマルクス主義の影響下から脱して久しい。憲法改正にも理解を示している。安倍元首相を貶めるような言動もしていない。テロを容認するような勢力にも与しない。
 自民党内の保守と本当の意味でのリベラルは、国民民主党と組むべきなのである。もちろん、国民民主党も国民政党に飛躍しなくてはならないが、両方が合体すれば、経済はV字回復し、安全保障上の危機も乗り切ることができるのである。日本が変わるにあたっては、好い方向に変わらなければならず、国民の分断よりも、挙国一致が求められるのである。
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