小林よしのり氏の漫画を読んで保守派になった人もいたようだが、僕とは無縁な人であった。その小林氏が、去る27日の九段坂公園での一般献花について、とんでもないブログを書いた。「統一教会の動員で十分集まる」と述べたのである。あくまでも「邪推や偏見を生んでも仕方がないということなんだ」と弁解してはいるが、実際に会津から、前日に一泊して一般献花に出向いた身としては、黙っているわけにはいかない。
あの日僕は、市ヶ谷駅近くのホテルを午前7時半に出て、九段坂公園まで歩いて行った。花を持った人とチラホラ見かけるようになったのは、靖国神社が近づいてからであった。まとまった集団はどこにもいなかった。一人でというのが結構多かった。会話は決まってどこから来ましたかというものであった。あまり報道されなかったわりには、マスコミが多く詰めかけて、インタビューなどしていた。旧統一教会の関係者が一人でもいたら、集中して取材されていただろう。
政治的な立場というよりも、非業の死を遂げた安倍晋三という政治家の死を悼む、そうした純粋な気持ちで集まった人たちが大半なのである。そして、仮にそこに旧統一教会関係者が何人かいたとしても、それを批判することは許されない。どこの団体に所属しようとも、個人の判断でのことであれば、それは尊重されてしかるべきなのである。
一時的に保守派を名乗りながら、時流に媚びて右往左往する言論人が結構いる。彼らの特徴としては、商売になるかどうかが判断の基準なのである。しかし、本当の保守派は、保田與重郎が言うように、淋しき浪人の心を持っているのである。権力とも金とも無縁なのである。あの日僕が見た人たちは、まさしくそういった人たちであった。名の知れた人たちはほとんどいなかった。偽物ではない、日本人の地の声に促された人たちなのである。
人数についてもとやかくいわれるが、主催者がいないわけだから、警察発表しかなかった。あれだけの人数であれば、主催者が20万人と鯖読みしても、誰も異論を唱えなかっただろう。空から撮影した写真がないのが残念でならないが、途中で帰った人がかなりの数いたと思う。いちゃもんを付けるのは、マスコミは自分たちの敗北を認めたくないし、小林氏は自分の出番がなくなっているのに、苛立っているからなのである。