ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.8.11ハーセプチン105回目、ゾメタ40回目

2010-08-11 20:58:21 | 治療日記
 今日はそろそろお盆の帰省ラッシュか、と実感するほど病院の最寄り駅(新幹線の駅がある。)では大荷物を持った沢山の乗降客で溢れていた。時間通りに病院に入って、受付後待つこと1時間以上。うんでもすんでもなく、「中待合へ」を示す受付番号ランプもまったく更新されない。おかしいと思っていると医事課のスタッフが出たり入ったり。別の科の先生が待合まで出てきて受け持ちの患者さんに「システムが故障して今日は診察ができません。お帰り頂いて明日以降また来てください。」などとおっしゃっている。
 病欠をとって片道1時間半かけてきて診察してもらえないなんて・・・、と落ち込んでいると、主治医が出てきて「とりあえず中へどうぞ。」とのこと。ほっとする。中待合に呼んで頂くまでに1時間半ほど経過。ほどなく診察室へ。
 パソコンが全く使えないため、先生は手書きでメモなさっている。「これをまた入力しなくては・・・」とおっしゃっていた。昨日は胸のあたりの痛みが気になったことをお話する。
 電子カルテは本当に便利だが、一度システム・ダウンとなると院内は完全に麻痺状態。たまたま先週の採血結果のプリントアウトを持っていたので、それを確認して頂き、毎週の通院ノートのメモから今日はゾメタの日であること、前回のレントゲンは7月21日だったことなど、お話できた。
 「次回レントゲンの結果が余り良くないようなら、ヒスロンは増量か中止でしょうか・・・」とこわごわ質問すると「2ヶ月で判断するかどうか、よっぽどうんと悪くなっているならそうかもしれないが、それほどでもなければもうちょっと粘っても・・・」とのこと。少し安堵。「薬は作ってもらえるそうですから、処置室へどうぞ。」と言われる。土曜日のフォーラムの感想等を少しお話して、診察室を出た。
 処置室に移動すると、さすがに(帰られた患者さんが多かったようで)空いており、点滴椅子はほどなく確保できた。それでも看護師さんたちが手作業でやっているため、かなりの待ち時間を覚悟し、売店で昼食を買ってきた。
 やはり薬が届くまで1時間半ほどかかった。それでも今日は刺針が痛くなく済み、良かった。
 点滴開始は1時近くになっていた。15分ごとに院内に放送が入っていた。「システム故障のため、本日は診察できません。明日以降予約をされてお帰りください。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」と。「電子カルテになって以来ずっとこの病院にいるけれど、こんなことは初めて」と看護師さんがおっしゃっていた。
 それから4本の点滴が終了するのに3時間ほど。処置室を出るときには最後の一人。どなたもいなかった。
 いつもは1000番を越える会計番号が渡されるのだが、今日は画面が130番で止まっている。会計もできないので、来週あわせて請求、ということでそのまま診察券が返ってきた。 今日は結局病院で7時間近く勤務(?)。

 今日は3冊読めた。
 1冊目は湯山玲子さんの「女装する女」(新潮新書)。表題を見て、一体どういうこと?というのが第一印象。「10のキーワードで現代女性を読み解く。エコに身を捧げる、勝負服は着物で決め打ち、目標はホノルルマラソン完走、ブログでスターダムを狙う、などリアルな女の実態がこの一冊に!」という帯。いやはや雇用均等法後の女性は男性以上に本当に生きづらいのだな、と実感する。また「女性は常々『今の私じゃダメだ!』と反省している存在だ。実際に余暇は殆どダラダラしてテレビ漬けでも、心の中では常に反省と向上の意欲がぐるぐるしているというしち面倒くさい性分がある。」のくだりには「いかにも!」と膝を打った。
 2冊目は佐藤直樹さんの「暴走する『世間』で生きのびるためのお作法」(講談社+α新書)。日本にしか存在しない「世間」、過労死を生み出す職場の仕組み、「成果主義」とうつ病の関係、会社や学校で生き抜くお作法などなど、これまた現代社会はいかに行きづらいか、という話。世間の4つのオキテは「贈与・互酬の関係」「身分制」「共通の時間意識」「呪術性」に頷く。それにしても日本に存在しているのは「社会」でなく「世間」だ、というところにとても納得した。
 3冊目は茂木健一郎さんの「脳と仮想」(新潮文庫)。数量化できない微妙な質感-クオリア-を出発点として、物質である脳になぜ心というものが宿るのかを研究し続けてきた著者が「サンタさんっていると思う?」という少女の言葉をきっかけに「仮想」の不思議に取り憑かれる。なかでも「私たちは、一人一人、取り替えの利かない人生を生きている。自らの身に起こったことからは、肉体が取り替えが利かない以上、逃れようがない。我が身に起こったことは、それを引き受けざるを得ないということが、人間の置かれた根本的な存在条件である。実際に傷つくことと同様に、傷つけられる可能性自体が、生きる上での切なさに通じることがある。」には大変共感した。

 帰宅途中、花屋さんでお盆用の仏花を買った。白いポンポン菊がとても可愛らしい。私は濃い紫の花が好き。その年のアレンジによってリンドウが入っていたり、スターチスが入っていたりするが、今年はスターチスだ。とても美しい。
 立秋も過ぎ、一時に比べて日が短くなってきたのを実感する。


コメント
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