趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
「くりでん」の出札補充券
(「くりでん」の出札補充券…再度クリックすると大きく表示されます)
昭和57年10月に「くりでん」栗原田町駅で発行された出札補充券です。裏面は真っ白で、注意書きなどの印刷は一切ありません。
「くりでん」は「くりはら田園鉄道」の愛称で、大正10年に宮城県石越駅~沢辺駅間が開業し、その後2回に分けて細倉鉱山前駅までの全線が開業していますが、昭和62年に細倉駅~細倉鉱山前駅間が休止され、翌63年には廃止されています。その後、平成2年に細倉駅を200mほど旧細倉鉱山駅方面に移転させて細倉マインパーク前を開業させ観光客誘致を試みましたが、結局平成19年4月、石越駅~細倉マインパーク前駅間の全線が廃止されてしまいました。
この間、「くりでん」は幾つかの社名を名乗ってきました。
まず、大正10年の開業当初は「栗原軌道」を名乗っていたそうですが、昭和16年、軌道法による軌道から鉄道法による鉄道に免許を変更した際に「栗原鉄道」に改称されています。
その後の昭和39年、当時子会社であった陸前乗合自動車というバス会社と合併して「宮城中央交通」と改称されましたが、昭和43年には再びバス部門が宮城中央バスとして分社され、翌44年には「栗原電鉄」となりました。
ところが民営会社としての栗原電鉄の経営は厳しく、平成5年には第三セクターの会社として再出発し、平成7年、廃止時の名称である「くりはら田園鉄道」に改称されています。
御紹介の出札補充券は発行が昭和57年ですので「栗原電鉄」時代に発行されていることになりますが、左上に印刷された社名は「栗原鉄道」となっており、「宮城中央交通」というゴム印で訂正されています。
ということは、この券は「栗原鉄道」~「宮城中央交通」~「栗原電鉄」の3世代に亘って引き継がれたことになるわけですが、一体、いつごろ印刷されたものなのでしょうか?
まず、左上に印刷された社名が「栗原鉄道」となっていますので、この券は昭和16年から昭和39年の23年間の「栗原鉄道」時代に印刷された残券が使用されたものと推測されます。
次に、地紋を見ますと国鉄地紋の券紙が使用されており、当時の委託調弁の一種でしょうか、昭和24年の国鉄発足後に栗原鉄道が国鉄に券の印刷を委託したものであると推測され、この券が印刷された時期は昭和24年から39年の15年間の間ではないかということが言えましょう。
しかし、印刷されている活字を見てみますと、
「手数料」の数の文字が數、「原乗車券」の乗の文字が乘・券の文字が劵、「経由」の経の文字が經、「収受」の収の文字が收、「変更」の変の文字が變、「小児」の児の文字が兒、「学割」の学の文字が學などど、多くの旧字体の活字が使用されており、昭和20年代~30年代前半くらいという、比較的古い時代に印刷されたものではなかろうかと推測されます。
当時の国鉄では、出札補充券や改札補充券などの特別補充券のことを「特殊補充券」と呼んでいたようです。ある資料を見ますと、国鉄は昭和28年1月に今回ご紹介の券と同じ様式の特殊補充券を正式な様式として制定していることがわかりました。
そのことから、この券は制定以降の昭和28年から栗原鉄道時代末期の昭和39年までの11年間の間に印刷されたのではないかと推測範囲を絞り込むことができます。
ただ、昭和33年9月には国鉄の特殊補充券には横型の新様式券が出ており、もしかするとこの間の5年間の間に印刷されたものなのかもしれません。
この推測が正しいとなりますと、印刷されてから使用されるまで、実に24年以上の間在庫されていたことになります。