趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
帝國鉄道廰 レプリカ乗車券
昭和47年10月に国鉄東京印刷場が作成した、帝國鉄道廰(帝国鉄道庁)時代の乗車券のレプリカです。
東京印刷場で調製されたA型の一般式券で、帝國鉄道廰地紋の当時の様式を再現したものとなっています。
帝國鉄道廰は、明治40年に逓信省(後の運輸通信省。現在の国土交通省の母体。)鉄道局から分離された逓信省外局である鉄道作業局から改組された組織で、鉄道を運営する現業部門として設けられましたが、監督部門と現業部門が分かれていることによる混乱から、翌41年には鉄道局と統合されて鉄道院に改組され、実質1年足らずの組織であったようです。
そのため、帝國鉄道廰時代の乗車券は明治40年から41年の1年間に発行されていたこととなり、発行期間が極端に短かったことから実物はさほど現存していないものと思われます。
国鉄東京印刷場では、鉄道100年を記念して、このレプリカ乗車券を作成し、乗車券見本帳に添付して関係者に配布されましたが、縁あってその中の1枚が私のコレクションとして手元に保管されています。
御紹介の券は、志ながは(=品川)からおほさか(=大坂。現、大阪)までの3等常備片道券で当時の様式が再現されています。当然ながら、明治40年から41年の間に発行されたものが原型となっているものと思われますので、当時の乗車券はこのようなものであったのでしょう。
地紋は桃色で、真ん中に「帝國鉄道廰」を配置し、放射状に現在でも紙幣や有価証券等に描かれている文様のような地紋になっています。
「帝國鉄道廰」部分の拡大です。「國」と「廰」の文字が旧字体となっており、明治時代ですから右側から読むようになっています。
当時の券は、注意書き等は漢字が使用されておりますが、発駅および着駅についてはひらがなが使用されておりました。これは当時はまだ日本人の識字率が低かったためにひらがなが使用されたのではないかと考えられます。