京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

何見て跳ねる!

2011-09-11 | インポート

     名月や池をめぐりて夜もすがら

 

 世にも有名な芭蕉の句である。

 深川の芭蕉庵での句会において詠まれた句だという。

 名月とは、つまり中秋の名月。

 旧暦八月の十五夜お月さんのことである。

 今年でいうと、明日がそれにあたる。

 

 京都で中秋の名月を愛でるといえば、まず大覚寺である。

 毎年中秋の名月にあわせて、観月の夕べ、というのを開いている。

 今年は昨日から明日にかけての三日間の開催となっている。

 夜間に境内を開放し、そこで様々な催しものを行っている。

 その中に、龍頭鷁首の舟を浮かべて、その上から月を見る、というものがある。

 舟を浮かべるからには、池が必要である。

 そう、大覚寺境内には、大沢池という、日本最古の庭池といわれる池があるのだ。

 大沢池に舟を浮かべて中秋の名月を見る。

 それは、かつて高貴なる人々にだけ許される贅沢であった。

 今は、券を買えば誰でもそれをすることができる。

 平等ってすばらしい。

 

     大沢の池の景色はふりゆけど変らず澄める秋の夜の月

 

 『小倉百人一首』の選者、藤原定家のお父上、藤原俊成の一首である。

 大沢池の景色は変わっていくが、秋の夜の月が澄んでいるのは変わらない。

 そんな意味だろう。

 俊成の時代から800年以上の時を経た今も、同じ感慨を抱けるだろう。

 まあ、排気ガスとか、都市の灯りとか、いろいろ、あるかもしれないが。

 

 ちなみに、大覚寺の周りは、とても鄙びている。

 特に東側は田園風景が広がっている。

 それを東から北にかけて山が囲っている。

 そこで見る中秋の名月は、また面白い。

 大沢の池の名月が貴族の景色だとすれば、こちらは庶民の景色。

 古の農村では、このような風景が見られたのではないだろうかと思う。

 観月の夕べを見たついでに、こちらを見ておくのも良いでしょう。

”あいらんど”