京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

すてないで

2011-09-19 | まち歩き
外を歩いていると、様々なヘンな看板奇妙な張り紙があります。
当館の最寄り駅、京阪電車 『神宮丸太町駅』の近くにこんなものがありました。

なぜ、ゴミ箱にだし汁を捨てるのかこんな街中まで持ってこないといけないものかそして、どうやって調査するのか 謎は深まるばかりです。。。。 

                                          烏龍茶

大きなゴミ箱を買いなさい―幸運とチャンスを呼び込む「捨てる」法則
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テッペンカケタカ

2011-09-19 | インポート

 今日、9月19日は、正岡子規の忌日である。

 正岡子規は明治時代の俳人で、なんてことは、まあ言わずとも、多くの人が知っている。

 国語の教科書に載っていた肖像写真では、誰もがイカツイという印象を受けただろう。

 近頃では司馬遼太郎の『坂の上の雲』がドラマ化されたが、その主人公の一人でもある。

 俳句という文学形態が現代に残っているのは、ひとえに子規のお陰であるといって過言ではない。

 

 子規にとって、京都は馴染み深い土地ではない。

 ただ、彼の若いころ、盟友・夏目漱石とともに、京都を訪れている。

 そのときのことを自身で語った著があるかどうかは知らない。

 ただ、漱石が『京に着ける夕』という随筆の中で、そのことに触れている。

 『京に着ける夕』自体は、漱石の二度目の入洛時の話が主である。

 が、その中で、初めて京都を訪れたときのこと、つまり子規と京都を訪れたときのことが書かれている。

 その中で「ぜいざいは京都で、京都はぜんざいでである」と書いている。

 京都初来訪の際の記憶が、これなのである。

 ちょうちんに赤い文字でぜんざいと書かれているものが、強く印象に残ったのだという。

 なるほど、ぜんざいというのは、実際関西的である。

 江戸っ子はぜんざいなどというものを知らない。

 多分。

 いや、知っているかもしれないが、一般的ではない。

 関西のぜんざいは、江戸っ子にとっては”しるこ”である。

 それをもって「京都はぜんざい」と漱石が言ったのかどうかは、ちょっと分からない。

 まあ、いずれにしても、漱石、大学生のころのことである。

 

 漱石にとって最初の京都来訪と二度目の京都来訪の間には、子規の死があった。

 漱石にとって京都の思い出は、子規とともにあったのかもしれない。

 ちなみに、この漱石と子規の学生旅行だが、泊まったのは今もある某有名旅館である。

 今は高級旅館で、学生の泊まれるようなところではないが、当時はどうだったのか。

 そのほかにも、京都の地名がいろいろと出てくるので、京都に訪れる前に読んでみてはいかがだろうか。

”あいらんど”