二条城の前を流れる堀川は、長いこと川の体を成していなかった。
大部分が暗渠、つまり道路などの下に隠れてしまっていた。
開渠部分にしても、コンクリートで固められた水路があるだけであった。
それが先年、景観として、川の姿を取り戻した。
さて、開渠部分は、今出川通から始まるが、今出川通から南に300mほど下がったところに一条通がある。
その名から分かるとおり、平安京の一条大路の名残である。
この一条通が堀川を渡るところにかかっている橋を、一条戻り橋という。
その名は、安倍晴明が式神を隠していた場所として、広く知られる。
この一条戻り橋から北100m、堀川通に面して、晴明神社がある。
言うまでもない、安倍晴明を祀った神社である。
晴明の屋敷跡とも言われている。
この晴明神社で、明日から晴明祭というのが催される。
安倍晴明については、少し前に随分とブームになった。
そのおかげで、陰陽師という存在が、随分とメジャーになった。
日本版の魔法使いみたいなイメージを持つ人もいるだろう。
実際に占いを行ったり、呪術的な儀式を行ったりをしていたらしい。
ただ、お札が使い魔に変身したりするのは、恐らくフィクションだろう。
安倍晴明の人物像についても、今に伝わるものは虚実入り乱れすぎている。
まあ、それだけにいろいろなドラマも作りやすいのだろう。
安倍晴明ファンも多いようだ。
興味がある方は、晴明祭へ行ってみてはどうだろうか。
ところで、一条戻り橋の伝説というのは、安倍晴明の専売特許ではない。
むしろ、その名前がつくことになった伝説は、それよりも前の時代になる。
三善清行という学者が死んだ際、その葬列がこの一条通に架かる橋を渡ることになった。
清行には離れた土地で修行をしていた息子がいた。
その息子が父の死を聞きつけ、京都へと戻ってきた。
父の葬列に追いついたのが、ちょうどこの橋に差し掛かったときだった。
息子は棺にとりつき、祈りをささげた。
すると、なんと、三善清行が生き返ったという。
とはいっても、一時のことで、その一時に、親子は別れの挨拶をしたという。
ここから、戻り橋の異名がつけられたわけだ。
むろん、あくまで伝説である。
ちなみに、京都では、嫁入りが決まった女性などは、この橋を渡ってはいけないという。
もちろん、戻ってきてはいけないから。
結婚式の忌み言葉みたいなものである。
今も律儀に守っている女性がどれだけいるかは分からない。
”あいらんど”