京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

マンザイバンザイ

2011-09-21 | インポート

 二条城の前を流れる堀川は、長いこと川の体を成していなかった。

 大部分が暗渠、つまり道路などの下に隠れてしまっていた。

 開渠部分にしても、コンクリートで固められた水路があるだけであった。

 それが先年、景観として、川の姿を取り戻した。

 さて、開渠部分は、今出川通から始まるが、今出川通から南に300mほど下がったところに一条通がある。

 その名から分かるとおり、平安京の一条大路の名残である。

 この一条通が堀川を渡るところにかかっている橋を、一条戻り橋という。

 その名は、安倍晴明が式神を隠していた場所として、広く知られる。

 この一条戻り橋から北100m、堀川通に面して、晴明神社がある。

 言うまでもない、安倍晴明を祀った神社である。

 晴明の屋敷跡とも言われている。

 この晴明神社で、明日から晴明祭というのが催される。

 

 安倍晴明については、少し前に随分とブームになった。

 そのおかげで、陰陽師という存在が、随分とメジャーになった。

 日本版の魔法使いみたいなイメージを持つ人もいるだろう。

 実際に占いを行ったり、呪術的な儀式を行ったりをしていたらしい。

 ただ、お札が使い魔に変身したりするのは、恐らくフィクションだろう。

 安倍晴明の人物像についても、今に伝わるものは虚実入り乱れすぎている。

 まあ、それだけにいろいろなドラマも作りやすいのだろう。

 安倍晴明ファンも多いようだ。

 興味がある方は、晴明祭へ行ってみてはどうだろうか。

 

 ところで、一条戻り橋の伝説というのは、安倍晴明の専売特許ではない。

 むしろ、その名前がつくことになった伝説は、それよりも前の時代になる。

 三善清行という学者が死んだ際、その葬列がこの一条通に架かる橋を渡ることになった。

 清行には離れた土地で修行をしていた息子がいた。

 その息子が父の死を聞きつけ、京都へと戻ってきた。

 父の葬列に追いついたのが、ちょうどこの橋に差し掛かったときだった。

 息子は棺にとりつき、祈りをささげた。

 すると、なんと、三善清行が生き返ったという。

 とはいっても、一時のことで、その一時に、親子は別れの挨拶をしたという。

 ここから、戻り橋の異名がつけられたわけだ。

 むろん、あくまで伝説である。

 

 ちなみに、京都では、嫁入りが決まった女性などは、この橋を渡ってはいけないという。

 もちろん、戻ってきてはいけないから。

 結婚式の忌み言葉みたいなものである。

 今も律儀に守っている女性がどれだけいるかは分からない。

”あいらんど”