元治元年6月5日、真夜中近く。
木屋町通を四条から三条へと駆け上がる集団があった。
この日は祇園祭の宵々山の日で、遅い時間でも、人の通りは少なくなかったという。
元治元年とは、西暦でいうと1864年、6月5日とは、旧暦で、今日はまさに旧暦で言うところの水無月朔日、6月1日で、5日というなら、4日後。
ほぼ150年前、時は幕末、この日に起きた維新史でも最大級の事件が、池田屋事件だ。
説明するまでもない、池田屋事件は、幕府方にある新選組が、維新の志士たる長州や土佐の藩士が会合をしているところを襲った事件だ。
150年という年月は、近いようで、遠い。
また、遠いようで、近い。
事件にかかわる具体的な場所を特定できるだけの近さを持つ。
しかし、そこに見る風景に、その面影を見つけ出すには、少しばかり遠くなってしまった。
池田屋事件の起きた池田屋のあった場所に今あるのは、居酒屋だ。
少し前まではパチンコ屋だった。
ちなみに、池田屋に向かう前、新選組の隊士たちが集合したのは、祇園石段下の祇園町会所。
石段下の石段とは、八坂神社の西楼門前の石段。
つまり、石段下というのは、門前のことで、この跡地に、今は某コンビニエンスストアがある。
八坂神社は花見の名所で、そのコンビニは、桜の季節になると、とにかく混雑(トイレを借りるのに)することで知られている。
こうやって書いてしまうと、まあ大体味気ない。
それも仕方がない。
それが時の流れというものだ。
坂本龍馬が殺された近江屋だって、今は回転寿司屋だ。
その前はコンビニだった。
その前は旅行代理店だった。
そんなものだ。
それを憂うべき状況とは考えないけれども、ならば良いのかと問われれば、まあまあと答えざるを得ないのは、大いに不本意だ、とか、そんな感じ。
それでも、その場所は確かにその場所で、このあたりだといわれている、というようなあいまいなものではない。
その場所で、間違いなくそんなことが起こったのだ。
そう思うと、感慨は大きい。
平成生まれの高校生の、お祖父さんのそのまたお祖父さんくらいが、その時代に生きていてもおかしくないのが、幕末という時代だ。
幕末の史跡巡りは、そういう感慨に耽るのが、楽しいものだ。
”あいらんど”