川端康成の『古都』が映画化され、12月からの全国公開に先行し、京都では今週末から公開される。
どうやら『古都』は原案に近いらしく、時代設定は現代で、舞台の一つはパリだという。
知る限り、川端康成には、京都を描いた小説が3篇ある。
1つはもちろん『古都』で、後は『虹いくたび』と『美しさと哀しみと』の2作品。
このうち『虹いくたび』は、書かれた時期が早いせいか、ややマイナーである。
が、今回の『古都』映画化に関連してか、今年の初めに新潮文庫で復刊された。
川端は、どの作品においても、京都の四季折々の景観、風物を様々描いている。
なのだが、なぜか、これらの作品の中で、紅葉の風景は描かれていない。
『古都』といえば、初版本の口絵に日本画の巨匠、東山魁夷の『冬の花」が使われている。
『古都』終章のタイトルを画題にしたこの作品は、北山杉の林を描いたもので、『古都』連載終了直後に、魁夷から川端に贈られた。
両者の関係は、かほどに深いもので、お互いの創作を刺激しあった。
「京都は今描いといていただかないとなくなります、京都のあるうちに描いておいて下さい」
川端にそう勧められ、それを契機の一つとして魁夷がとりかかったのが、代表作の「京洛四季」という連作だ。
川端の小説では描かれなかった京都の紅葉が、「京洛四季」の中にはある。
新潮文庫で出ている東山魁夷小画集『京洛四季』は、それを手軽に楽しむことができる。
川端が”なくなる”と危惧した京都の情景が、「京洛四季」の中にはあるだろう。
そして、その中には、今は失われてしまったものが、少なくないはずだ。
新しいものを作る時、捨て去らなければいけない古いものが生じることもある。
失うことは、必ずしも悪いことではなく、その良し悪しの判断は、時の流れの中で変転する。
京都タワーにしても、今の京都駅にしても、それを建てる前には批判が少なくなかったと聞く。
しかし、今やそれは、京都に欠かせないイメージシンボルとなっている。
川端の小説や『京洛四季』を片手に、京都を歩いてみるのもよいだろう。
京都の社寺や町の風景が、また違ったように見えるかもしれない。
ちなみに、京都タワーの着工は、『古都』連載終了の翌年である。
そして、「京洛四季」のスケッチのために魁夷が京都をしばしば訪ねてきていたのは、まさにその建設中のことである。
あいらんど