体調が優れないので、治療院に行った。
そこで院長先生(かなり有名な方らしい!)に、姓名判断?をされた。
頼んでもいないのにである。
「あなたは頭が良い。でも、納得しないと行動しない”ヘタな生き方をしているね”」
調子が悪いからここに来たのに、なんでこんな占いをされなきゃいけないのか?
「ここには全国から患者さんが来るんですよ」
私にとっては、そんなことどうでもいい。
たまたま訪ねた治療院が有名なところだったようだが、
私にとっては近所の治療院。別に有名だから来たわけではない。
”納得しないと行動しない”って、そんなに損な生き方なのか?
”なるようになれ”という考え方の方がストレスもたまらず良いのだそうだが、
私に言わせればそれは、”納得してからのこと”であって、いい加減な気持ちで
”なるようになれ”は、無責任このうえないと思う。
権威があるのか有名なのかは、私にとってはどうでもいいこと。
要は私の訴えに耳を傾けてくれ、それに適切な治療をしてくれれば良いのだ。
私は権威や帰属意識があまり好きではない。
だからいきなり占いをされたとき、なぜこんな事をされるのかまったく理解できなかった。
治療が始まり院長が「だいぶ楽になったでしょ?」とおっしゃる。
”たいして変わらない”これ、私の本心。
権威のある方に診てもらっても、変わらないものは変わらないのだ。
例えればさほど美味しくないものを食べた(飲んだ)とき、ほとんどの人は
”さすが”とか”確かに違う”なんて判ったようなことを口にするが、
私は”よく判らん”と言う。
本当によく判らないからだ。
「自分の感性までコントロールされたくない」
人それぞれ感性や価値観は違う。
これって周囲に無理して合わせる必要の無いものだと思う。
社会性や常識とは違うもの。
自分という個性を殺してまで”流された方がストレスがない”という言い方。
私は”これがおごりってやつだな”と直感した。
私にはおごり高ぶるものは無いが、このような生き方は真似したくないと強く思った。
医業の基本は、耳を傾けること。
私の基本は、納得してもらうこと。
これらはある意味共通しているところが多い。
どちらも上からものを見るような態度はしない。
”私は何でも知っている”というおごりからきっとこんな態度をとれるようになってしまったのだろう。
反面教師として、私はこうはなりたくない。