わが家の畑は、その約半分が住宅地と隣接しています。
別にわが家の畑だけが単独であるのはありません。
もともと畑だったところが、宅地に変化しただけです。
畑を畑として活用している農家は、今もそんな畑で作物を栽培しています。
考えてしまうのは、畑と畑の間には1本の境界線しかなく、互いにその境界線から
50cm程度を”あぜ道”のようにして共用しています。
畑の中を歩かれては困るので、互いに少し畑を出し合ってそこを歩くように昔からしているのです。
しかし、ここ最近はその”私有地”を道と勘違いしている住民の方が増えてきて、
犬の散歩から近道として通行する人まで現れてくる始末です。
あくまでも作業性を考えて、助け合いと配慮の気持ちによって作られている”道”を
我が物顔で歩いて行く人たち。
なにかが違うと思います。
住民の人と喧嘩をする気はないけれど、無神経に歩かれることに正直いってアタマに来ることもあります。
配慮。いつでもどこでも必要なことだと思います。
無神経。犬や猫たちでさえ、場の空気を読みます。
でも人間は・・・。
寂しい世の中。最近実感しています。
別にわが家の畑だけが単独であるのはありません。
もともと畑だったところが、宅地に変化しただけです。
畑を畑として活用している農家は、今もそんな畑で作物を栽培しています。
考えてしまうのは、畑と畑の間には1本の境界線しかなく、互いにその境界線から
50cm程度を”あぜ道”のようにして共用しています。
畑の中を歩かれては困るので、互いに少し畑を出し合ってそこを歩くように昔からしているのです。
しかし、ここ最近はその”私有地”を道と勘違いしている住民の方が増えてきて、
犬の散歩から近道として通行する人まで現れてくる始末です。
あくまでも作業性を考えて、助け合いと配慮の気持ちによって作られている”道”を
我が物顔で歩いて行く人たち。
なにかが違うと思います。
住民の人と喧嘩をする気はないけれど、無神経に歩かれることに正直いってアタマに来ることもあります。
配慮。いつでもどこでも必要なことだと思います。
無神経。犬や猫たちでさえ、場の空気を読みます。
でも人間は・・・。
寂しい世の中。最近実感しています。