有機農法や自然農法、無農薬栽培をものすごくすごいことと錯覚していませんか?
私の実践するのは「無農薬・無化学肥料で露地栽培」ですが、
実践している本人はまったく”すごいこと”をしているという自覚がないんです。
むしろこれが普通って思っています。
一応自分の栽培手法を紹介することも必要かと思って、
「無農薬・無化学肥料で露地栽培」とか「自然農法」と申し上げることもしますが、
それでもその手法自体は自分にとっては普通のこと。
普通にしているから、当たり前。
当たり前だと、これらの栽培手法を担ぎ上げるかのように”すごいこと”と
発言している人たちが”不自然”に映ってくるんですよね。
あえて言えばこの”原始的な農法”に「宇宙」だとか「生命」だとかを無理矢理リンクされてしまうと、
ちょっと引いてしまう自分がいます(笑)。
そもそも私が「無農薬・無化学肥料で露地栽培」を始めたきっかけは慣行農法との差別化、
ただそれだけのことでした。
なぜ差別化をしようと思ったのかというと、これも単純なことです。
”外野からの雑音を遮断したかった”ただそれだけです。
外野とは近所で長年農業を営んでいる先輩たちと自分の親。
何をするにもあ~だの、こ~だのいちいち何かを言ってくるこの無責任な雑音を
ただ遮断したかった。幸い無農薬ブームみたいなものを直感したので、
それに乗っかってしまおう!昔は農薬も化成肥料も無かったのに作物はあったんだから
作れないはずはないだろう。そんな感じです。
それからいろいろ試行錯誤を繰り返して行くうちに、
気付いたら空前の有機栽培や自然栽培ブーム到来。
やれ農薬は身体に悪いだの、有機栽培や自然栽培は美味しいだの、
あっという間に慣行栽培がまるで悪のような論調。
その頃からです、違和感を感じるようになったのは。
そうじゃないんですよ。
しっかり育て上げてさえいれば、慣行も有機も自然もないんですよ。
決定的だったのは自然栽培と言っても完全な自然任せじゃなく、
施設を使うこともあればマルチも使う。
挙げ句の果てには自然由来の”農薬”を使ってたりもする。
明確な規定がないから亜種のようにいろんなやり方が出てきて、
自分たちのやり方が一番みたいな雰囲気を作ったりしている。
これってまさに異常事態だと思いました。
(中にはこのようなものを使わない農法もあるようですが・・・)
いま農業をしている人は誰もがそうだと思いますが、
自分の信じる作型が一番なんですよ。
理屈はほとんどが後付け。
初心は大したことないんじゃないかなと思います。
祭り上げるような栽培法なんて存在しない。
いま強くそう思っています。
必要なのは、素直な気持ちで土や作物と向き合うこと。
そして自分の納得の行く作物を作り上げ、それを消費者へ提供する。
消費者は作り手の細部までを理解し、信用から安心感を得る。
その安心感が満足感を生み、やがて心の安定へ繋がって行く。
結果として健康になる。たったこれだけのことなんじゃないでしょうか。
継続は力なりなんていう言葉がありますが、
地に足をつけ地道に自分の信じる道を歩むことでそこに共感や感動が生まれるのだと思います。
農業を生業としている以上、利益は重要です。
でも作物がお金に見えるようになってしまってはダメです。
農業者は発芽ひとつに一喜一憂し、新緑に感動を覚える純粋な心を持っていなければなりません。
その心を持ち続けることが、一番難しいのかもしれませんが・・・。
そしてこの心は、販売者も消費者も持っていて欲しいと思います。
乱文にて失礼しました。