2024年8月22日(木)
『折々のことば』鷲田清一 #3182
わたしにとっては、世界はいつもかわたれどきなのである。
梅棹忠夫(1920-2010)
人の顔も判じえない夕刻を「たそがれどき」という。「誰ぞ彼」である。これに対し夜明け前の薄明は「かわたれどき」、「彼は誰」である。文化人類学者は病で視力をほぼ失った時、今は「かわたれどき」と自分に言い聞かせ、なんとピアノの練習を一から始めた。思わぬ苦難と向き合う人のために昔の人はこの言葉を用意してくれていたのか。『夜はまだあけぬか』から
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これは「かはたれどき」と書いた方がよさそうだ。新仮名遣いのルールから外れ、かえって混乱をきたすのかもしれないが。
本日、二十四節気の処暑、気をとりなおして秋に向かう。
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