散日拾遺

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お正月がおめでたいわけ

2020-01-01 13:00:50 | 日記
2019年1月1日(水)

 

 明けまして おめでとうございます。今年もどうぞよろしく御笑覧ください。

 画像は無料サイトからダウンロードした(https://sozai-good.com/illust/animal/mouse/2020-mouse/86017)。筆のタッチが絶妙で、とりわけ尻尾の線の自然なこと。有料でも欲しいぐらいで、どちらかのどなた様かに厚く御礼申し上げたい。
 同じイラストレーターの作品と見える、いずれも可愛らしい数点の中で、この2匹は親子か番か、左上方の同じ方角を見やる姿勢なのがひときわ面白い。その先に何があるか何を望むかは、見るものの想像次第、意志次第。

 一昨年他界した母が子年の生まれだったので、今年が生誕96周年にあたる。僕は1972年に中学を卒業した。着物姿で卒業式に来てくれた母が当時48歳、それから48年経ったことになる。人生長いか短いか。
 外は晴天、モズの鋭い鳴き声があちこち場所を移しながら聞こえてくる。もっこりした焦げ茶色の塊が俊敏に飛び渡るのを縁側から見て、確かに自分が帰省していることを知る。昨年は東京で元日礼拝からの帰途、電線を埋めるモズの群れを見あげたのだった。
https://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/696d7d4cb88e22931df3ff1d29afdc42

 そういえば昔、福岡の従姉が年賀状をよこして「何がおめでたいんだかよくわからないけど、おめでとう」と書いてきた。小学生の頭では気の利いた応対も思いつくはずもない。従姉は中学生だったから、かみ合わないやりとりも無理からぬところ。
 今なら何と返すか。従姉も今なら理屈をこねたりせず、息災に迎える高齢の新年を素直に喜ぶことだろう。若い頃にはピンときにくいことだが、個人の誕生日を祝う代わりに、正月を期して皆が一時に歳をとった昔ならば、誰にとっても分かりやすい話だったに違いない。君も私も天も地も、皆一斉に新生の朝である。
 あらためて、おめでとうございます。

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