散日拾遺

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祈られていること

2023-09-13 06:50:42 | 日記
2023年9月12日(水)
 朝の風は涼しく、日差しは柔らかい。波長が暖色よりに変化してきていること、S師の指摘通り。
 無宗教と称してはばからない人でも、折に触れて「祈る」ことはするものである。やや踏み込んで言うなら、生まれてこのかた「祈ったことがない」という人に、僕自身は会ったことがない。自覚の程度に差があるだけだ。
 だからホモ・サピエンスだのホモ・ルーデンスだのということがあるなら、人を定義するのに「祈るもの」と言ってもよいのである。ベランダの亀は多くの点で僕と変わらないが、祈るようにはあまり見えない。ホモ・XXXX ? ラテン語の活用を間違えて恥をかきそうだからやめておこう。
 ともかく「祈る」ことを人はするものだし、誰かのために「祈る」ことも思わず知らずしている。しかし、自分が祈られていることに気づいている人は少ない…きわめて少ない。実は一人一人が驚くほど祈られており、やや高みから自分自身を見下ろすなら、そうした祈りのおかげでかろうじて今日まで生き延びてきたこと、火を見るより明らかなのに。
 死者のために祈ることをしたがらないのは、プロテスタントの奇妙なところである。それはまだよいとして、召された者たちに祈られていることにも鈍感であるとしたら、それこそ大きな欠落というものだ。孤独にもなり、傲慢にもなるであろう。
 風がまた、そよと吹いた。
Ω