2019年12月31日(火)に感じたこと:
地元新聞ならではの良さ、というものがある。分かりやすいのはスポーツなどで地元チームや選手を応援することで、全国紙にも地方版のページはあるが迫力が断然違う。プロゴルファーの松山英樹が松山市出身であることを、恥ずかしながら年末の愛媛新聞で初めて知った。
高校ラグビーの県代表は松山聖陵。一回戦は快勝したものの、二回戦で優勝候補の東福岡と当たって14-100と大敗。それでも地元紙は、かねて練習を重ねてきたプレーが決まってこの強豪からトライを挙げたことに注目し、健闘を称えている。親バカの拡大版のようなものだが、親バカではない親なんかそもそも存在意義がない。
もう一つ面白いのは、当然ながら当地の事情が細かく伝えられ、当地の人々の声が伝わってくることである。その中に、首都圏とかけはなれた田園地帯ののどかさや、そういう土地だけに生き残った伝統の名残といったものがある。
愛媛新聞 2019年12月31日(火)19面
「西予市宇和町の田之筋地域では、稲わらで作られたイノシシとネズミによる干支送りが見られます。そばには恐竜「ブラキオサウルス」の親子もいました。(15日撮影)」
宇和島市在住・S.M.さんの投稿写真と記事
来年はネズミから牛へのバトンタッチ、闘牛の本場だからさぞまた楽しいことだろう。
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この写真のすぐ隣の記事が、また興味深い。民俗を伝える貴重な資料と言えそうである。
◇ 私の子どもの頃は、新年をもって一つ年をとると考えていた時代だったから、お正月が来るのが待ち遠しかった。が、農村には厳しいしきたりがあり、正月は男の出番が多かった。
◇ 元日の朝の火おこしは長男と決まっていた。前夜から用意していたまきで火をおこし、雑煮を炊く。そして、その雑煮を家の守り神にお供えする。守り神とは、わが家では神棚、仏壇、大黒柱、お水神さん(井戸)、蔵、駄屋、お風呂場である。木のわんに入れてお供えし、お下がりを家族全員でいただくのである。それが終わればお日さんが昇っている間に、近隣や親戚へのあいさつ回りである。雪の時などおっくうであったが、行くと「よく来た」と喜んでくださり、決まってミカン二つと干し柿を頂いた。
◇ 当時の交わりをもった方々は一人もいなくなったが、私の心の中には生きている。年の瀬を迎えると、つい昨日のように思い出すのである。
久万高原町・H.S.さん(86、農業)
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文中に駄屋とあるのは、よく分からない。「納屋」の誤記かとも思うが、「駄」は「下駄」「足駄」に見る通り履き物に通じるから、農家では特に大事なその種のものを収めた区画でもあろうか。新聞社に問い合わせてみようかしらん。
いずれ年長者の語り置くことに無駄は一つもないものだ。
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追記: 「駄屋」は誤記にあらず、「納屋」「物置」の意味である由。父の叔父、母の父など、古老が使っていたのを父が聞き覚えていた。投稿者は久万高原町、つまり同じく中予の人である。愛媛新聞が注釈なしで載せるところを見ると、県内では通用する(していた)ものと思われる。他所ではどうなのかな。
ちなみにこの言葉をネット辞書で引くと、こんな解説が出てくる。「荷駄」という言葉や、大和は内陸で塩の運送がとりわけ重要であったろうことなど、いろいろと連想が動く。
〘名〙 中世の大和で、塩の運送・仲介業者。
※大乗院寺社雑事記‐明応七年(1498)閏一〇月九日「分塩駄売買立野以下馬共入二奈良一、一疋別公事馬口銭進上、自二駄屋一取二進之一」
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