2020年9月16日(水)
友人の名を仮にPとしておく。その異才と愛すべき人柄をめぐる数多の逸話は、後日に譲るとして。
Pの御母堂が他界されたのは、数年前のことである。遊びにおしかけては家族同様に歓待していただいた古い思い出があり、寂しさは他人事でなかった。90代半ばの大往生でいらしたけれども、直前まで元気だった人が些細な事情での検査入院中に急逝を遂げたため、その仔細に一抹の疑問が残った。
ここで担当医が、丁重に病理解剖を申し入れてきたのである。
一定の条件を備えた病院においては常套の作法であるとはいえ、医療行為に手落ちはないという自負が現れているともとれるし、故人と外来担当医との間に多年にわたる信頼関係があったことを反映してもいる。
申し入れを受けたPは、当然ながらさっそく御父君に相談した。こちらも矍鑠たる老紳士で、70年近く連れ添った愛妻の穏やかな寝顔を見つめ、ねぎらうように呟いたという。
「お母さんなら、やってもらえと言うに違いない」
この言葉は、Pおよび夫の仕事先の海外から急ぎ帰国したPの妹を直ちに納得させた。
好奇心に満ちた勉強家であったうえ御自身の闘病経験なども作用し、故人は医療問題に人一倍関心が深かった。病理解剖の意義についてもよく理解しており、そういう事情が生じた場合は喜んで協力したいという言葉がPの記憶に残っていた。加えて、急逝の真相が判然としないといった状況を、性格的に誰よりももどかしがったはずというのが、Pの理解であり家族全員の見解だったのである。
こうして承諾を与えられ実施された病理解剖は、遺族にとっても担当医にとっても有益な多くの情報をもたらした。医師の報告の意味するところをPに解説する作業が、友人である僕の役割に振り当てられたが、これほど円満で有意義な病理解剖の実施例は記憶に珍しいと感じた。故人の遺徳のうちに、僕は密かにこれを数えたものだった。
時は下って先日のこと。コロナ禍で自粛していた定例の会食を、久方ぶりに再開した。ところが酔いが回るにつれ、Pがいつになく不機嫌である。聞けばつい最近になって、御母堂の親族の中から病理解剖に関して強い抗議が出たというのである。
とりわけ故人にかわいがられていた(と本人は思っている)弟、つまり叔父にあたる人物から、手ひどく難詰されたという。
「ばかばかしくってさ」
と言いながら酒を足し、
「腹を立てる気にもならないよ、ただねぇ」
とグラスを取り上げ、
「ほかでもない、おふくろが、さぞ、情けながるだろうと思うとね」
と言っては、ぐいと干す。
芋焼酎をガソリン替わりに、この夜のPはかなり飛ばした。家族親族のあり方や故人の意思の扱いについてなど、考えさせられる論題が多々あったうえに、喉もとまで出ながら抑えていたのであろう、辛辣過激な悪罵の切り返しが合間に火を噴いて出る。おかげでこちらは酔うどころではなくなり、25度4合の焼酎の大部分がPの胃の腑に消えてしまった。
ここではただ、次に紹介する文章との関係で、Pに投げつけられたという言葉の中から一点のみ転記する。
「最愛の人のなきがらを、切り刻ませることに君は同意した」
それは違う。断じて違う。
***
医療関係者ではないPと御母堂のために代弁する。
病理解剖は、なきがらを「切り刻む」行為などではない、辞を低くし礼を尽くして御遺体に教えを請うものである。このやり方でなくてはわからない貴重な真実が、一件ごとに蓄積されていく。そうした情報の集積こそ、臨床医学の水準を向上させ次代の診療に寄与するものであり、これなくして今日見るような医学と医療の発展はあり得なかった。
「切り刻む」ことを忌避する人々に問いたい。あなたの家族が病気にかかって手術を勧められたとき、「最愛の家族の大事な体を切り刻むことは許さない」とあなたは言うだろうか?とんでもない、一刻も早く手術をして確かに病気を治してくださいと望むだろう。
その時あなたは、「切り刻む」という物理的な行為に託された「癒やす」という行為に焦点をあて、それを遂行する術者らの意志と良心に信頼を置いている。それと同じ「癒やし」に向けた意志と良心が、病理解剖を行わしめるということを、どうしてあなたは認めようとしないのか?
あなたの家族を救った外科手術という「切り刻む」行為は、病理解剖という「切り刻む」行為から得られた膨大な知見によって育まれてきたものに他ならない。前者の恩恵に嬉々として浴しながら、後者の意義を否定して顧みないのは、大きな矛盾であり身勝手であるとあなたはなぜ気づかないのか?
ここに一つ不思議なことがある。欧米人は一般に遺体を傷つけることを強く嫌い、息を引き取った姿のまま埋葬することを貴しとする。火葬の風習は今でこそ理解が得られるようになってきたが、比較的最近まで(あるいは今でも)強い嫌悪あるいは恐怖の対象であった。故人への怨恨から、埋葬された遺体を掘り起こして焼いた例など、ヨーロッパ史上に珍しくない。
その欧米人が、臓器提供や病理解剖については概して大きな理解を示す。一方、日本人はまもなく火葬に付すことになる亡骸に、刃物を入れることをはるかに強く忌み嫌う。刃物は許さないが、焼き尽くすことは厭わないのである。なぜか、と問われて口ごもったことが何度かあった。問われる前に自ら問うべきことであろう。
もちろん、人にはそれぞれ主義主張もあれば好悪の情もある。理屈はそうでもやっぱりイヤだということはあるのだし、この医者、この病院の手には渡したくないということもあるだろう。個別の事情によって自分自身の家族の病理解剖を「否」とする判断を非難する気は毛頭ない。
ただ、故人の志を慮って直近の家族が「諾」としたことを、遠巻きの外野が非難する資格は断じてない。どだい「なきがらを切り刻ませた」としか理解できない未開の精神は、故人のそれから何世紀分も遅れている。「おふくろが嘆くだろう」とPが言うのは、そのことについてである。
親友とはいえ他人のことでこんなにも熱くなるのは、病院勤務時代の経験を思い出すからに違いない。やれやれ、これでどうやら次の記事への準備ができた。
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