恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

同属嫌悪の考察

2005年02月19日 | 所感とか
保険屋からの連絡はなし。こっちが書類を提出していないから当然か。
そろそろ事故から一週間ということで、傷もだいぶ癒えてきましたよ。
バイクが修理されて戻ってきた時に普通に乗れるかっていうのは心配ですが。

ところで先日の映画を見に行った時に同行した人間のことで言い忘れたことが。
私を含めて中学時代の友人三人で映画を見に行ったわけですが、
そのうちの一人と映画に行ったことを今でも悔やんでおります。
なんというか、次元が低いんですよ。映画を見る態度とかそういうことを含めて。
映画の特性上、客に来ていたのはかなりディープな方々ばかりで、
彼だけでなく私もそれについては当初はかなり困惑したのですが、
彼はそれをずっとネタにしつづけて嘲笑してるんですよ。
ある意味でそういう映画を見に行くという時点で、
彼らと同類であるという自覚を持たねばならないのに、それが一切欠落。

戒音氏も自身の日記でこういった行動については批判をされていますが、
一言で片付けてしまえば同属嫌悪ってやつですね。
第三者の視点から見ればどっちもどっちという状況であるには変わらないのですが、
友人Tはどうしても自分を彼らとは違う人間だ、と考えたいようなのです。
そういった同属嫌悪ということだけに留まらず、映画を見る態度もひどく、
隣の席に座った私に対して常に視線を傾けてきたり、語りかけてきたり。
映画の批評なんて見終わった後にすればいいのに、空気を読まないわけで。
せっかくこっちとしても映画の世界に入りこんでるってのに。興ざめでした。

同属嫌悪ということに関して私の思うことを述べるとすれば、
やはり自分よりも下の人間を見ることによって安堵感を得る、ということでしょうか。
例えば休日の秋葉原に出向いて「いかにも」な方を観察して嘲笑してみるとか。
俺もやつらよりはマシなんだ、っていうことで自分を慰めるわけね。
人間の自己防衛手段としてはしょうがないのかもしれませんが、
顕著にそういうことをされると一緒にいる人間が恥ずかしいんですわ。
自分にもそういう部分が無いとは言い切れませんが、表面には出しません。
彼は自分がどれだけ素晴らしい人間なのか綿密に考察するべきでしょう。
人の振り見て我が振りなおせ。この一言に尽きます。

最後に論旨がまとまらずお見苦しいことをお詫びいたします。
コメント
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