恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

量産「疑惑の判定」

2006年05月05日 | 日記とか
野球部練習試合の引率で田無まで行って参りました。
東京東部から西東京地区までは毎度のことながら足を運ぶのが億劫ですが、
これもまた仕事の一貫。朝6時半の電車に乗っていざ出発。
田無の駅からは100円バスに乗り込んでグラウンドを目指しますが、
なんせ小型のバスのために部員全てが乗り込むと中はラッシュ並みの大混雑。
一般のお客さんが二名ほどいましたが、なんとも窮屈そうで恐懼に堪えず。
なんとなく高校の時に自分たちが遠征にいった頃を思い出しました。
あの頃はあんまり周りが見えなかったわけですが、
立場が変わってみるといろいろ時を使わなきゃならず大変ですな。

本日はダブルヘッダーで試合が開催されます。
第一試合は主力選手を投入した総力戦で、かなりの本気モード。
第二試合は新入生とOGなどを含めた親善試合的な和やかムードで。
さすが我々は名だたる実力校(?)というだけあって初戦は快勝。
私はベンチで観戦していましたが、それなりに安定感のある試合でした。
2試合目は審判が足りないので、どういうわけか私が球審に借り出される羽目に。
球審をやるなどというのは高校時代以来4年以上に渡ってご無沙汰しており、
いきなりやれといわれて球にできるもんでもないのですが、
やれといわれれば立つのが男というもの。
ここは快諾してプロテクターなし、予備のキャッチャーマスクのみで挑みます。

男の高校野球のように球速が早かったり、というわけでもないので、
ストライク・ボールの見極めはそれなりに容易だろうと踏んでいたのですが、
やはり実際にキャッチャーの後ろに立ってみると判定って難しいもんです。
相手に優しく、自分たちに厳しくの原則を守りつつ、
いくつかの「疑惑の判定」を生んでしまいましたが、
これが親善試合というなのほのぼの試合だったのがせめてもの救いでした。
審判は一度判定してしまったら如何にそれが微妙であっても、
言い切ってしまった以上は責任を持たねばなりません。
あとになってやっぱりこうだったかなぁと思っていてはキリがないので、
すぐに切り替えが必要なんですよね。
こういったことは実際の生活にもいえることだったりするので、
うまい具合に応用していこうかなぁなどとふと思ってみたり。
多少の疑問があっても一度決めた以上は自身をもってやりぬく、と。

恐懼再拝。
コメント
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