kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

出雲崎着の前に。

2014-03-12 20:35:22 | kaeruの「おくのほそ道」

      

 上の写真の左は昨日のもので、隣りは出雲崎にある「芭蕉園」の句碑です。

出雲崎には芭蕉の句碑はここともうひとつあります(妙福寺)が、そこのは

芭蕉の句(荒海や)単独での句碑ではありません。

 アプリが添付している公園と思われるのは「芭蕉園」で間違いないでしょう。

「芭蕉園の句碑」の写真は、全国の芭蕉の句碑をあつめてサイトの「芭蕉園」

の写真で、転写させてもらいました。

(サイト http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub85141.html )

 

 芭蕉が出雲崎に向けて新潟を経ったのは元禄二年七月三日(1689/8/17)

その夜は弥彦で泊まり翌四日に出雲崎着となります。出雲崎でのことは着いた時

に触れるとして新潟での話です。新潟に着いた七月二日(8/16)は、当地は祭りの

さなかで、どこの旅籠屋も満員、一部屋に何人も詰め込まれる宿しかななく芭蕉は

困惑していました。見かねた大工の源七の母親が自宅に泊まるよう声をかけてくれ

ます。曽良の随行日記に「大工源七母、情有」と書かれていることです。

 

 金森敦子さんの 『芭蕉「おくのほそ道」の旅』 には市内の寺のこんなことが書かれ

てます。

≪市内の宗現寺と善導寺には、芭蕉が脱ぎ捨てていった蓑を埋めたと言われる「蓑

塚」がある。宗現寺のものは文政十年(1827)の建立。138年も前の蓑が残っていた

とは信じられないし、芭蕉が嵩ばる蓑を持って歩いたとも考えられない。江戸後期に

なると、こうした奇妙なものが各地に建てられるようになるのである。≫ 


出雲崎のどこに立つのだろか。

2014-03-11 16:13:27 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅 (3/10着信)

○現在地 新潟に到着

○次の目的地  出雲崎

○次の目的地までの距離  57.3km

○次の目的地までの歩数  76,679歩で達成です。

 地図の隣はアプリに添付され 「出雲崎」 としか書かれていませんので、

出雲崎のどういう場所か不勉強で分かりません。なにか公園の一角で

芭蕉の句碑が立っているという感じです。

 今日はこれから人に会う予定で、帰りは多分深夜になる予定です、で

すから「公園」については明日あたりに……。


あなたの詠みと芭蕉の句。

2014-03-04 21:22:19 | kaeruの「おくのほそ道」

 PCの調不調がよく分からず、昨夜は接続できなかったのが、今日は何の

トラブルもなくつながっているのです。 結果良ければ良いではないか、と思

うことにして、先にすすみます。

 

 一昨日の長谷川櫂さんによる「越後路の章」での芭蕉の句について、あの

“荒海や” の句です。 長谷川さんの言い方をkaeru流に言いましと、こんな風

に問題を出すことになります。

<あなたがある年の8月の中頃新潟県の出雲崎に立っているとします。 目の

前に日本海の波頭、その先に佐渡島が夜の闇の中に見え、頭上には天の川

がかかっています。> その光景をあなたが仮に、

 荒海によこたふ佐渡や天の川  と詠んだとします。これは芭蕉の

 荒海や佐渡によこたふ天河    と同じ光景です。

長谷川さんの話を要約すると、

<あなたの句は眺められた景色をそのまま五・七・五にしただけです。

そこで、芭蕉は「暑き日を」の句でしたように切れの位置を大胆に変えて、この句を

仕立てた>のです。(「暑き日を」については

 日本海に沈む巨大な太陽。  2014-02-03 で再確認してください。)

≪この切れの操作で「よこたふ」の主体は佐渡から天の川に変わり、句もただの風景

の句から荒海と天の川をつつむ壮大な宇宙の句に生れかわりました。

 次の市振のくだりでは二人の遊女とのめぐりあいが待っています。芭蕉は二つの七

夕の句から恋の気配をそのまま遊女との出会いの場面につなげたかった。とくに「荒

海や」の句の描く壮大な宇宙の片隅にある市振の宿で遊女とめぐりあいとしたかった

のです。≫

 ここで言われている「宇宙の句」とは、天の川から受ける「閑さ」は立石寺の岩に通じ、

その不変を表し、月は満ち欠けし「暑き日」は海に沈み、浪の漂いは天地の変転を示し

ています。 この天地は変転極まりない「流行」であると同時に、不変の「閑さ」に包まれ

ているということが「不易」です。

 「流行不易」という宇宙観を、立石寺から月山など羽黒三山、最上川と日本海に沈む

太陽、そして闇の中の佐渡と天の川を通じて、芭蕉は俳諧人生なかで会得したのでし

た。

 この「不易流行」の宇宙観が芭蕉の自然観、人生観へと発展していくとき、俳諧の場

において何を解決していかねばならなかったか、長谷川さんは≪この大問題に対する

芭蕉の答えは「かるみ」でした。≫と述べています。

 この「かるみ」について、「別れ」をテーマに語られるのが「市振の関」から「美濃の大垣」

までの旅程です。


村上から新潟へ。

2014-03-02 19:50:44 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅 (3/2着信)

○現在地  村上に到着しました。

○次の目的地  新潟

○次の目的地までの距離  38.2km

○次の目的地までの歩数  51,155歩で達成です。

 「おくのほそ道」の本文には村上の記載はありません、曽良の日記に「廿八

日 村上ニ着」とあり、ここには翌日も泊まり、「七月朔日(一日) 村上ヲ立」と

記載されています、元禄二年七月一日(1689年8月15日)です。

 夏の盛りの越後路は暑いに違いありません。

「おくのほそ道」には、

≪暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず≫「道中の暑さと雨との苦

労に精気を疲れさせ、病気が起こって道の記の記事もしるさずにしまった。」

と記して、次の句が記されています。

 文月や六日も常の夜には似ず

 荒海や佐渡によこたふ天河

 先の句 「文月や~」 について、長谷川櫂さんのコメントを、

≪七月七日の七夕は星が恋をする夜です。この夜、天の川をはさんでまたたく

織姫と彦星が天の川をわたって出会います。そこで「文月や」の句は七夕の当

夜でけでなく前夜六日の夜空もただならぬ星の恋のときめきに満ちているという

のです。≫

 

 パソコンのキーを打つ指先も冷たい時期に、七夕の「お熱い話」もどうかと思い

つつも、三月の天の川はどんな具合かと気にかかりもします。 雲厚い感じの夜

空故見ることはできませんが、数ヵ月後の逢瀬にむけて機織る手にも牛に草を

食まさせる手にも、熱い血を感じているに違いありません。そして、昼は星影が

見えません故、虹がかかれば通い合うことも叶います。

 

 星の一字を欲しと読み虹(二字)に想いを掛けている   /  kaeru

 俳句は五・七・五、短歌は五・七・五・七・七、都々逸は七・七・七・五、です。

  ならば、これは七・五・七・五は? 分かりません。


古池の蛙。

2014-02-27 22:11:21 | kaeruの「おくのほそ道」

熊 「隠居さんにちょっと聞きてぇことがあるんですがね」

隠居 「飲み過ぎた時、二日酔いを一日で済ませる方法かね」

熊 「いやー、そんな時は鉢巻してでもゲロ吐いてでもでかけますがね。

  そうじゃねえ、もっと高級な話で、このまえこのブログで古池に蛙が飛び

  込んだてぇいう話がでていましたね」

隠居 「あー、芭蕉の俳句かい、意外なことを聞くんだね、熱でもあるんかい」

熊 「いやね、あれから気になってしょうがねぇです」

隠居 「なにが」

熊 「飛び込んだ蛙はどうなったんでしょうかね、隠居さん知ってますか」

隠居 「え!?」

熊 「あんときの話だと、芭蕉という人は蛙を見ていなっかたということで、

 それじゃ芭蕉に聞いても分からない話で、隠居に聞けばわかるんじゃな

 いかと八公が言うんで聞きに来たんですがね」

隠居 「八ちゃんにも聞いたのかい」

熊 「八は、今忙しいから後にしてくれ、って。こういう話は暇な人間じゃなけ

 れば考えね、この辺で一番暇なのは隠居だ、隠居に聞けっていう訳で」

隠居 「そりゃな、人間に余裕があるから暇そうに見えるだけで、これでなか

 なか考えこともあって見かけほど暇じゃない」

熊 「八が言ってました、隠居は多分見かけほど暇じゃない、と言うだろう

 それは人間の器が大きいんで、もともと人間の器には限界というものが

 ない、隠居は人間としても器が無限だ、もう一杯のように見えるが幾らで

 も入れられることのできる人だ、ってなことを言えば隠居は喜んで話相手

 になるよ、そんなことを言ってました、がどうです、話相手になります」

隠居 「なんだい、手の内見せちゃいけないよ。まぁ八ちゃんも悪気があって

 言ってる事じゃないから、話相手になろうじゃないか」

熊 「はぁはぁー、乗ってきたな」

隠居 「なんだと」

熊 「いえね、八がね、こんな話に乗ってくるのは、単なる暇な人間じゃない、

 馬鹿なほど暇な奴だと、隠居、あんたは馬鹿だね」

隠居 「面とむかって馬鹿かと聞かれて、そうですと答えるほど人間が出来

 ている積りはないが、この野郎と怒るほど人間が不出来でもない、その

 ことは不問にしよう」

熊 「布団ですかい、布団にくるんじゃおうというわけで」

隠居 「そのことも不問にしょう、それで何だい、蛙が飛びこんだ後、どうなっ

 たか」

熊 「そーなんですよ、飛び込みましたよね、だから水の音でしょう、見てい

 なくても分かる、問題はその後です」

隠居 「それでいいんじゃないかい、後は静かな雰囲気を感じとっていれば

 いい」

熊 「隠居は自分で俳句かなんかひねっているから、それでいい、とか言って

 いられるけれで、芸のないわしらは頭をひねってしまうんで、頭ひねってみて

 これはこのあともう一句あったんじゃねえかと思ったんですがね」

隠居 「そういえばこういう句があるな、 古池や芭蕉飛びこむ水の音 

 仙和尚という江戸時代の坊さんが詠んだものだが」

熊 「芭蕉さんが飛びこみなっすたか」

隠居 「熊さんが詠むとすれば、 古池や熊が飛びこむ水の音 かな」

熊 「そうじゃねえです、 古池や蛙飛び出す水の音 」


酒田から象潟へ、「露骨さ」について。

2014-02-07 22:29:25 | kaeruの「おくのほそ道」

 「マンネリ」について、ちょっと。

 藤を詠む場合は「花を詠み、それも(揺れて)覚束ない様を」または気持ち

としては「鬱陶しい感情」を詠むこと、これが季語としての「藤」に求められた

いたことでした。そして綿々と詠まれ日本人の藤に対する美意識をかたちづ

くってき、それが「藤の本意・本情」でした。

 これに対し宗祇が挑戦をします、その句が

  関こえてここは藤しろみさか哉  

で地名を詠みこんでいます。

(美濃の関にやって来たが、白い花が真っ盛りだ。私の故郷紀伊国の名所

藤しろみさかが、ここにもあるようだ)=復本一郎氏訳

 ここに芭蕉も共感していたと復本さんは評して

 あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ   を評しているわけです。

「ちょっと」が長くなりました、以下は短く。

 

 俳諧との「諧」は「諧謔」の諧で、〔「諧」も「謔」も、たわいもないことを言って

人を笑わせる意〕で、俳諧は滑稽さを追求してきました。そのなかで、芭蕉の

弟子の去来が  

 夕涼み疝気をおこしてかへりけり  

と詠みました。

夕涼み最中に腹痛が起こり家に飛んで帰った、というわけです。

 これについて、芭蕉が大笑いし「(俳諧の滑稽さは)これとは違うのだなー」

と言ったことを述べ、同じ「夕涼み」を詠みながら芭蕉の示した滑稽さの句と

して復本さんが示したのが

 あつみ山吹浦かけて夕すゞみ   

 です。

温海山(あつみやま)と吹浦の地名を詠み込むことで、「滑稽」の一句としてい

ます。

 芭蕉が示した滑稽さは、言葉のみの戯れだったり、去来の句のように「露

骨」なものではなく、「誠の滑稽」によってこそマンネリを超えていくものだと

いう理解があった、と思います。


酒田から象潟へ、マンネリについて。

2014-02-06 22:15:41 | kaeruの「おくのほそ道」

■奥の細道の旅 (2/5着信)

○現在地  酒田に到着しました。

○次の目的地  象潟

○次の目的地までの距離  35.2km

○次の目的地までの歩数  47,014歩で達成です。

 酒田の章では句が二句載せられています。そのうちの「暑き日を」について

長谷川さんもかなり語っておられますが、もう一つは紹介しているだけです。

それは、

   あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ

ですが、この句についてkaeruの覚えのために書いておきます。

 復本一郎さん(国文学者・俳人・神奈川大学名誉教授)の書かれた『芭蕉俳

句16のキーワード』という本(NHKブックス・1992/11)にこの句に触れた章

が二か所あります。

 第9章「本意・本情ーー伝統美意識と、それへの挑戦」では、芭蕉の句

  藤の実は俳諧にせん花の跡    

古来からの和歌などを通じて「藤は、覚束なき心、鬱陶しき心」を記すもの、それ

を藤の「本意」とか「本情」とか呼ばれるものですが、この句はその「本意 ・本情」

に挑戦したものとして紹介しています。

 復本さんの言。

≪「本意」とか「本情」が、和歌・連歌・俳諧等の短詩型文学においては、作品

におけるイメージの膨らみ、という点において、プラスに作用したことは、言う

までもないことである。が、ややもすると、自らの目で対象を見て、何かを発見

するということを放棄してしまって、安易にその対象の「本意・本情」に凭れ掛っ

てしまう危険性もあったのである。そうなると、必然的に、マンネリズムに陥る

ことになる。≫と指摘し、芭蕉もこの危険性を、いやというほど感じていたと思

われると述べています。

 そのあと、宗祇が〈関こえてここは藤しろみさか哉〉の句で、白い「藤の花」を

見ての句でありながら地名を入れたことによって、思いきって俳諧的にしたこと

に芭蕉が共感したものと論じています。

 ここの部分は復本さんの書かれているものを「思いきって」略していますので、

なんでここに宗祇の句が出てくるのかとお思いでしょう、宗祇の句に対する芭蕉

の共感の部分などは結論だけです。

 

 そして復本さんは  

 あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ

 (暑い日には風に吹かれてに夕涼みが一番。さて、この吹浦から温海(あつみ)

山が見えるや否や)

 について、芭蕉自らも地名を入れての句作りは得意としていたこと、それもあっ

て宗祇の句が「藤の花」の「本意 ・本情」に対し、俳諧的視点から地名を入れる

ことによって挑戦したものとして評価したのであろう、と結論しています。

 

 もうひとつの章、第14 章 での句の紹介は明日に。

 今日の結論=俳諧も俳句も「本来在るべき姿」にとらわれていると「本来ある姿」

が見えなくなりマンネリになるという芭蕉からの指摘です。お前のブログも同じこと

だよという声です。

 

 


続 “暑き日を” の「日」とは?

2014-02-05 20:20:39 | kaeruの「おくのほそ道」

 昨日、山本健吉著 『芭蕉』 のなかで「奥の細道」、

   暑き日を海にいれたり最上川    

における「日」は、「一日」の日か「太陽」を意味する日か、についての露伴

と阿部次郎の見方を紹介しました。それは「太陽」の日を意味するものだ、

ということでした。

 その紹介のあと 『芭蕉』 では

≪ところがこれには、主として国文學者のあいだからの、有力な異説がある。

頴原退蔵は「暑き日」を「暑き一日」であるとし、「暑熱に苦しんだ夏の一日も、

夕べとなればどこからか涼しさが生じてくる。洋々と海にそそぐ最上川のあた

りは、もう涼しい夕風がさつと吹き過ぎる。さては今日の暑い日も、あの大河

の水に浮かべて海に流し入れてしまつたといふのである」と言っている。≫

 そのあとも頴原さんの説を批判的に紹介し、初案の「涼しさや」を改案では

「暑き日」という反対の表現になっているため、この「涼しさ」をなんとか生かそ

うとして、「涼しい夕風が~」というような連想も生じてくるであろう、と述べて

います。

 しかし、この句にあるのは大河と太陽ーー自然のエネルギーとエネルギーと

の相搏つ壮観さであると自論をも締めています。

 

 「日」の一字をめぐっての幾つかの説を山本健吉さんの案内で紹介出来まし

たが、ふだん芭蕉の俳句でも「なんとなくいい」程度の読み方しかしていませ

んので、このように一字をも読みとる姿勢を学ぶことができました。

 

 ところで、この句を英訳して下さい、との問いかけに

こんな答えが出ていました。(YAHOO!知恵袋)

 The Mogami River swept the heat of the day away into the ocean.

 久しぶりに英語辞典など開いてみました、dayにはsunの意味をもたせること

は無理ですね。

 やはり、二つの意味を示すことのできる漢字「日」の持ち味を味わうことができ、

このような言葉・文字の使い方が俳句の面白でもあると思いました。

 ところで「sun」を使って英訳をすればどういう表現になるのでしょうか、どなたか

試みていただけませんか。


“ 暑き日を ” の「日」とは?

2014-02-04 21:02:02 | kaeruの「おくのほそ道」

 昨日の “暑き日を海にいれたり最上川” の 「日」について「屋根裏人」

さんからコメントを頂きました。「一日の日」という意味と「太陽の日」という

意味があって「この句が話題になっている」とのことです。

 

 昨日紹介した長谷川さんの書かれたもののすぐ後にそれに関して書か

れているので、まずその部分を紹介します。

≪「暑き日」は暑い一日という意味ですが、その背後に暑い一日を照らしつ

づけ、水平線のかなたに沈んでゆく巨大な太陽が浮かびあがります。日本

語の「日」には一日と太陽という二つの意味があるからです。この「日」とい

う一字の働きでこの句は最上川は暑い一日を日本海に流しているという意

味と、最上川が太陽を日本海に沈めているという二つの意味をもつことにな

りました。≫

 

 これに関して、いろいろの論議があったようで、山本健吉さんの 『芭蕉』で、

幸田露伴のこの句に解釈を「非常にすぐれている」と評しています。

その部分、≪此の句の「暑き日」は爛爛たる大日が海に入り移ろうとして僅

かに十の一を水の上に見せてゐるところだ。それが最上川の押し出る向う

の方にあって、それを最上川が海へ押し入れたものとして表はしたところが

よい。「入れたり」と云つて川の力にしてゐるところがこの句の急所である。

技巧であるが技巧に堕せず句に趣もあり力もある。≫

 続いて阿部次郎の文を「参考になる」と示しています。

≪東に山を受けて西日の暑いこの遍の夏の日には、丁度河口の沖に沈んで

行く日の行衛を見送つて夕の涼しさがやつてくるのである。……私は行きずり

の旅行者芭蕉がその土地の風土の神髄を剔出する靈腕に驚嘆する。この句

涼しさの句で暑さの句ではない。夕暮れの句で日中の句ではない。大河の

勢が暑き太陽を流して海に入れてしまふのである。太陽が大河に流され海に

吐き出され沈められてしまふのである。≫こう引用して、山本氏は

「これでこの句の景観は、言い尽くしているであろう。」としています。

 

 ただし、この文のあと「ところがこれには、……」と「有力な異説」が紹介されて

います、そこの部分は明日に。


日本海に沈む巨大な太陽。

2014-02-03 20:48:33 | kaeruの「おくのほそ道」

 芭蕉が立石寺、出羽三山で会得したものは寺院での禊とか弔いとかいう

よりも、己と宇宙を結ぶものとしての「山」であった、と長谷川さんは語って

います。

 そして、最上川河口で芭蕉は「海」に出会います。ここにも己と宇宙を結

ぶものを見いだします。それは後ほどさらに「天の川」の句として深まりを増

していくのですが、ここでは次の句についての長谷川さんの話を続けます。

  暑き日を海にいれたり最上川    芭蕉

 最上川の句については

五月雨と大河を詠む、芭蕉と蕪村。 2014-01-15 

で触れましたが、「山と海での宇宙との出会い」を知ったうえで、最上川を

描いた本文を読んでみます。

≪最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん、はやぶさなど云う

おそろしき難所有。板敷山の北を流れて、果ては酒田の海に入。左右山覆

ひ、茂みの中に船を下す。(略)水みなぎって、舟あやふし。

  五月雨をあつめて早し最上川  ≫

 宇宙観を会得した場である「山」と「海」を結びつけた水流、「水みなぎって、

舟あやふし」の思いを経たとき、この句を「すゞし」とのみ詠み「挨拶句」として

いることは芭蕉にはできなかったに違いありません。

 そのようなことを長谷川さんがいっているわけではありませんが、放送テキ

ストの第3回にあたる「尿前の関から立石寺・出羽三山・象潟まで」を「宇宙

と出会う」と題していることからみてそう間違いではないと思います。

 

 鶴岡から舟で内川から最上川に出た芭蕉は、上流の≪舟あやふし≫とい

う激流とは違うゆるやかに河口に向かう最上川を知り、酒田で日本海に流

れ入る最上川を眺めることになります。

 それを  涼しさや海に入(いれ)たる最上川  と詠みました。

この句について長谷川さんは、

≪この句は「海に入たる最上川」が現実、「涼しさや」は心の世界ですから一

応は古池型の句です。しかし「涼しさや」は心の世界といっても何とも弱く、風

の涼しさ以上のものが湧きあがってきません。立石寺の「閑さや」のような宇

宙の静かさを感じさせるまでにはゆかない。≫

そして、次のように直します。

 涼しさを海に入たり最上川

 「切れ」の位置を変えて(/=切れ)

「涼しさや/海に入たる」→「涼しさを海に入たり」

「海に入たる最上川」→「海に入れたり/最上川」

≪これによって「涼しさを海に入たり」という飛躍を含んだ文句が生まれました。

最上川は涼しさを日本海に注ぎこんでいるというのです。大胆な手の入れ方

です。≫

 しかし、芭蕉が最終的に決めた句は次の句です。  

  暑き日を海にいれたり最上川  

≪これはもう一つの最上川」の句「さみだれをあつめてすゞし」を「早し」にした

のと同じ手ですが、これによってこの句がどっしりした雄大な句に生まれ変わ

りました。≫