こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク1本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声が聞こえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
「生ましめんかな」
というこの詩の後半はこちらでお読み下さい。
この産婆さんの体(産婆は血まみれのまま死んだ)を覆った血には、被爆による己や近くの人の血と生まれ出た赤児がまとっていた母親の血が混じっていたに違いありません。
マスコミが・・こぞってトップニュース
で報道してくれて・・再び広島が
世界の広島となりました。
ノーモアヒロシマ 果たして
東アジアの核保有国は・・
まだまだ 核廃絶のスタートライン
すら辿りつけない、世界は広い。
複雑な思いの一日でした。
広島をヒロシマに、長崎をナガサキにしたのはアメリカ国と日本国、ならば福島とフクシマの場合は誰がそうしたのか。
鹿児島をカゴシマと呼ばせてはならない。
実際はモデルになった妊婦も赤ん坊とともにいく抜き、産婆さんも命永らえていたそうです。作者栗原さんとも交流の機会があったとwikipediaに書かれています。