「100年の100倍、その100倍の100倍という展望」ということは、
100年✖️100✖️100✖️100=1億年
人生100歳時代と言い出された時代に生きて私も80歳台に入り、がんの不安も和らぎ狭心症もカテーテル検査を2回やって、はじめは7粒服用していた薬が検診の度に増えこの頃は9 粒になってますが順調におさまっているようです。それで気が大きくなって一気に億年単位で考えよう、となったわけではありません。
億年単位のことが日本共産党の大会で報告された事があります。1994年に開かれた第20回党大会で、党綱領の一部改定が行われ不破哲三さんが委員長としてその報告を行いました、その「最後の問題」の部分です。
この部分に億年単位の話が触れられています。上のページの部分も含め不破さんの報告部分を引用します。
〝 最後の問題でありますが、一部改定案は、共産主義社会の叙述の締めくくりとして、つぎの文章をつけくわえました。
「人類は、こうして、ほんとうの意味で人間的な生存と生活の諸条件の保障をかちとり、人類史の新しい発展段階に足をふみだすことになる」
この文章を読んで、「自分は党に入ってからこれまで、共産主義は最終目標だとばかり思いこんできたが、違っていたのか」とおどろきの投書をよせてきた同志もいました。しかし、実はここに、科学的社会主義のほんとうに壮大な見地があるのであります。人間がこの地球上に生まれて二~三百万年、長い原始共産制の社会をへて、階級社会に足をふみいれてから長く数えても数千年であります。これにたいして、こんごの人類史は、すくなくとも、数億年単位、数十億年単位で展開されるはずであります。ですから、そういう大きな歴史的な視野からみれば、われわれはいま、人類史のあけぼのの段階にいるわけで、いまとりくんでいる社会変革の事業をやりとげて共産主義社会に到達するというのは、歴史の終着駅どころか、人類の本格的な歴史への始発駅だといってもよいのであります。
マルクスもエンゲルスもこのことをくりかえし強調しました。マルクスは、『経済学批判・序言』で、資本主義社会をもって「人間社会の前史は終わる」という有名な言葉を残しました。これは共産主義社会とともに、人間社会の本史、ほんとうの歴史がはじまるということであります。エンゲルスも『自然の弁証法』という遺稿のなかの一八七六年ごろに書いた文章で、人間が動物の世界から分離する過程を歩んできたことをあとづけながら、動物界からの人間の分離は、社会主義、共産主義の社会によってはじめて完成するのだということを強調しました。「計画的に生産され分配されるような社会的生産の意識的な組織」、すなわち共産主義社会だけが、「人間を社会的関係においても他の動物世界からぬけださせることができる」し、そこから「一つの新しい歴史の時代」がはじまって、人間の活動の全分野が「従来のいっさいのものをしてその光を失わせるほどの一大躍進をとげる」(自然の弁証法への「序論」)、人類はこういうかがやかしい未来展望をもっているのだということです。〟
ひとりの人間の生涯とかある政党とか団体等が100年経緯したこと、それも大きくは人類史のなかに組み込まれていることです。その人・団体等が己の100年を人類史のなかに位置づけられていることに気づくか、その位置づけを科学的根拠で示したのがマルクス・エンゲルスが切り開いた理論でした。
不破さんは、このあとの方で次のように述べています。
〝そういう意味では、私たちはほんとうに生きがいのある時代、人類の「本史」を切りひらく、もっとも創造的な歴史の開拓者の時代に生きているのであります。綱領の最後につけくわえた文章にはこういう思いが込められているのです〟
と同時に、
〝現代社会には、前史から本史への移行以前に、人類史を中断させかねないような重大な危険もはらまれています〟
と述べ、核戦争の危機と地球的規模での自然破壊に触れています。この点については改めて「つぶやき」ます。
今までこの地球に生きた数限りない人々たちが
みんなこのようなことを理解して生きたか??
殆どの人たちは私と同じように 自然の中で
世のなかの人たちが普通に生きてきたように
死んでいくと思います
今後の社会がどのようになろうと、そこに生きる
人間はいるはず、この地球が一瞬のうちに消滅でも
しない限りは・・
千曲川氾濫を思い出します。何回か経験していますが、必ず荒狂う川によって堤防が決壊して住宅地に流
れて来ていました。
テレビでの状況では短時間の大雨は一気に川面を押し
上げ堤防を乗りこえて住宅地に溢れているようです。
そして、テレビ画面には「経験したことのない」と表
示されます。
経験したことのない現象に対して、人間は今までにな
い想像力を発揮することを求められ、想像力は創造力
を引出します。こうして人類は未知であった危機や危
険に対応して来ました。
21世紀の現代はどうやらそういう時代かと思われます。