kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

バレンタインチョコレート

2020-02-17 21:39:40 | kaeruの五七五

こういうバレンタインチョコがイイなー、という話です。

このブログに時々紹介している小父さん、90歳独り暮らし、奥さんの月命日の15日には
私たち夫婦でお線香をあげにいって晩酌におつき合いし、夕食を共にしてきます。
 
この15日バレンタインの翌日、小父さんがもらったチョコレートを私たちがいただいたのです、これは去年に続きです。
実は去年の2月にはじめて、バレンタインデーにチョコレートを持って訪ねてくる人の話を知ったのでした。その時も夫婦連れで上がりこみ何時もの夕食になりましたが、食卓の隅に綺麗な箱が、いかにもチョコレートが入ってます、という感じで……。
 
「これ、バレンタイン?」、そうだよとニッコリ。
いろいろ話していると、引出しから写真を出して見せてくれます、三十人ほどの年齢の高い男女がダンス用の服装で写っています。小父さんが元気な頃のダンス同好会、年一回の模範技の披露会で組んだ人が贈り主だったという、「どの人か分かるかい?」。
私の指した人は違っていましたが妻が当てました。
 
ホワイトデーはどうするの? と無遠慮に聞いたら、先方が来てくれるので、
渡すのだそうです。腰を痛めているので家の周り以外には足をのばせないのです。
2月から3月にかけて老春というべき行き来ですね。
 
さてわが老春は? 妻に注文「来年はハート形のチョコにして……」
 
新「現代川柳必携」にバレンタインデーが載っていませんので、チョコレートを、
 

「好きです」

2020-02-16 21:25:00 | kaeruの五七五
  もう三十年くらい前だから昔の話と言ってもいいでしょう。
その日県内某所の仕事先の事務所で、二十歳代中頃のご婦人と仕事のことで打ち合わせをしていていました。その話の流れのなかで「貴女が好きだから……」と口にしたのです、「そうですか」と言って見つめられました。その時はそれだけでしたが……。今でも記憶に残っているのは、「貴女が信頼できるから……」というべきだったと思うからです。

 バレンタインチョコを「好きだ」と言っても「(チョコを)愛している」とは誤解されないでしょう。今日はその「好き」の川柳のページです。

 なにごともファンやサポーターの力は大きい。「好き」というリクツ抜きの感情はリクツを超えたエネルギーをもたらす。
 さて川柳も実作者の他にさまざまなファンやサポーターの支持を受けて世に広まってきた文芸。なかでも作家・田辺聖子さんの頼もしさはとてつもなかった。

 昨年六月六日、九十一歳で逝去された田辺さん。手掛けられたのは小説にエッセー、古典への導きと実に多岐にわたり、しかもとびきりの名作ぞろい。そのペンは川柳にもふるわれた。
 古今東西の秀句を絶妙な読み解きで紹介したエッセーの数々や、評伝『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』などなど。いずれにも川柳への深い造詣と敬愛があふれ、田辺さんの本がどれほど川柳ファンを増やしてきたことだろう。
     〈 ぬぎすててうちが一番よいという   岸本水府 〉

 ところで昨夏。
 学生時代からの田辺ファンとして、追悼の思いで大阪の田辺聖子文学館を訪れた。館内には著書をはじめ自筆原稿や愛蔵品が多数収蔵されていて、展示のタッチパネルに触れると、こんな音声が流れてきた。
 「もともと七五調は好きや。俳句よりも愛とユーモアにあふれる川柳が性に合うてるんやないかと思います」
 おおお。かの田辺さんがやんわりきっぱりと川柳派宣言されている。音声はナレーションながら、まるで氏の肉声のように聞いた。そしてうなずいた。
そう、愛とユーモアなんですよね。
 〈あの日あの時吠えていたらの五十年 杉山昌善 〉
 あの日あのときが運命の分かれ道。ペーソスに裏打ちされたユーモアの味わい。
 〈下手な鉄砲に直撃されている 松尾冬彦 〉
 えらいこっちゃ。でも撃ち返してみたところで。
 〈開脚はできぬがトンボにはなれる 川田由紀子 〉
 なれるなれる。今からだって空くらい飛べる。
 〈楽しいに決まっているさ曲がり角 高瀬霜石〉
 それはどうでしょう。曲がり角にもいろいろありますが、お肌の曲がり角なんて曲がるたび血の気が引きますよ。なんてツッコんで笑って一句二句と口に転がせば、なにやら気持ちが軽くなる。眉間のシワも消えてゆく。かどうかは別として、世界平和の鍵を握っているのは、やっぱり愛とユーモアの気がする。
 〈お金なさすぎーって女子高生ジャンプ 博子〉


2020/02/15 🎶 迷路は続くよ、誘惑へ ♬

2020-02-15 12:49:00 | kaeruの五七五

「川柳の時間です」の3回目にしてはやくも「迷宮入り」です。宮殿内をさまよっていると耳元に聴こえてくるものがあります、それがバレンタインのささやきなのです。「こちらにいらっしゃい」と……、どこへ向かうのか? 今日の川柳ばなし。

 
ショーケースの中の宝石たち。艶やかにどれもとってもおいしそうだ。ここは某大手百貨店のバレンタインチョコ特設会場。友人に誘われ、所用ついでにのぞいてみた。全国屈指の巨大会場には世界のチョコが集結。平日の昼前とは思えないにぎわいと熱気だ。自称チョコマニアの彼女はがぜん、瞳キラキラと甘い迷宮に分け入ってい「だってパリのOZAの限定品が出てるのよ」
 
え? と一回では聞き取れないブランド名をすらすら口にして、さらにずんずん奥へ奥へ。チョコは自分へのご褒美用で、夫への「義理チョコ」選びは後回しらしい。 ナハハと笑っているうちに、おっとはぐれてしまった。目の前には生チョコの試食。つまんでみるなり「!」。そのとろけように即ひと箱ゲットして、さてこれは誰用にしようかしらん。
  〈 八合目あたりの恋がおもしろい   木本朱夏 〉
 
それにつけてもバレンタインデー。そもそもの由来はさておき、日本で独自の変容を続ける恋の風習。しかしもし、ときめきに添えるのがチョコじゃなくて、たとえばキャンディやクッキーだったら、これほどまでに浸透しただろうか。媚薬ともいわれるチョコだからこそ見事にハマったのかも。
 
ところで詩歌の世界に目を向けると、実は川柳もまたチョコと同じくらい恋と相性がいいのであります。まずは爽やかな一句から。
      〈 休日を問われて動き出すボート 平野ふさ子 〉
まだ恋未満の二人かな。さりげなく「次の休日はいつ?」なんて聞かれて、いきなり心臓がドキン。

      〈 信仰に似てくる彼のアドバイス 小原由佳 〉
こちらはスリリンクな恋の過程。でも信仰がいつしーか盲信になっていったら。

片や男性もドラマチックに恋を詠む、詠む。
      〈 引金をひく一瞬が 恋にあり 橘高薫風〉
      〈 水牛の余波かきわけて逢いにゆく 小池正博〉
一句目。「一瞬」の後にはすべてを得るのか失うのか。
二句目。水牛の群れが大移動する余波をかき分けて、たった一人がたった一人に逢いにゆく。わが想像に壮大な8K映像が広がる。

と素敵な川柳は、あなたの胸の中にも、さまざまな物語を展開してくれるはず。ドキドキと恋を詠み、恋を読む。きっと川柳にも媚薬効果があります。
      〈 恋人はカカオの90パーセン   博子 〉

 (2月5日の「しんぶん赤旗」の「水曜エッセー」でした)
 

いつでも心は元日にー初心を忘れない。

2020-02-14 22:02:00 | kaeruの五七五

【すみません、このエッセーは1月29日付の「しんぶん赤旗」からです。

 お正月は一ヶ月以上前、旧暦の元日でも1月の25日だったし、立春だってとっくに過ぎたし、どう転んでもーお正月ーにはならないところ、川柳精神で気持ちを切り替えて……。】

あれよあれよと一月も終わりだ。が、部屋には要整理の書類箱が越年して、いまだに積み上がったままである。まったく元旦早々、声高らかに「片付け元年」を宣言したのはどこのどなたですかいのー。なんて吐息をついたら、一緒にこんな句がぽろりと出た。
  〈 あしたからがんばりますよあしたから  新家完司

 いやいや、今でしょう。
 と、愛誦句の誘惑を振り払い、まずは残っていたお餅を食べきることから「新年」を片付ける。

 次は年賀状に着手。
 お年玉ハガキの当選番号を確認しながら、懐かしい人の文字をもう一度懐かしがったりする恒例のひとときだ。
 SNSでつながる知人友人との賀状交換は、お互い「もういいよね」と年々減りつつある。けれどやっぱり肉筆はあったかいな。
 写真付きも楽しい。
 かつての家族写真に代わって、近年は本人が主役のもの、それも登山の写真が増えた。
 「山の空気に心身洗われています」「今年は〇〇山、単独登頂目指します」など、山ガール山ボーイたちの一筆も清々しく勇ましい。登山ブームが周囲でも定着した感じ。きっと山には「新しい自分」を目覚めさせる何かがあるのだろう。
 なかにはご夫妻のツーショットもある。
 ご夫君は大学の先輩で、学生時代はモテモテのクールガイ。が、いまや山頂の青空バックに二人でにっこり、とはすっかり焼きがまわったというか微笑ましいというか。といいつつ、この先輩にこそっと憧れていた時期もあったっけ。
あの頃の恋に恋ではかなわない  佐田眞喜

 一方、今年は子年であるからしてイラストは実に多彩なネズミのオンパレードだ。もちろんミッキーマウスもハッピーにご登場。
 と、ふと。実物のネズミを最後に見たのはいつかなと思った。幼い頃は家の天井裏をよくネズミが駆けっこしていたけれど。
 そうそう、田舎の母の実家で、生まれたてのネズミの赤ん坊たちに遭遇したこともあった。 ピンクのつやつやがひしめく様子に総毛立ちながら釘付けになって。 なのでネズミは多産、というのは強烈な原体験の一つでもある。
 げに、子年は繁栄の年ときく。今年がみなさまにとて素晴らしい……ってだから来週は早立春で、いやはやどうなる片付け元年。
打ち明ける優しい方のミッキーに   博子


川柳の時間です。

2020-02-14 01:03:35 | kaeruの五七五
川柳の時間です ①
 芳賀博子/川柳作家 はが・ひろこ 1961年神戸市生まれ。
 時実新子に師事。句集『移動遊園地』『髷を切る』

 川柳で人生が三倍面白くなる。これホントの話。少なくとも実例がここにいる。はい、ワタクシです。いやしかし、なんでまた川柳なのか。と振り返るたび、あの一瞬にワープする。

 当時、三十路に突入のコピーライター。勤務中、サーボり半分で資料探しに出向いた図書館。たまたま手に、取った雑誌をぱらぱらめくっていたら、不意にキリギリスが飛び出してきた。
  〈 行末を激しく問いぬキリギリス 〉

 ひゃっ。ページの一句から3Dで現れたキリギリスは、まるで待ち構えていたかのように私を直視した。公私ともにいろんな葛藤に悶々の日々。だが生来、しんどいことへの耐性がない。 スキあらば逃げ出そう、投げ出そうとしていた胸のうちを、小さな一匹に看破された気がした。放ったのは時実新子。
  〈 妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ 〉

 恋や情念を大胆に詠んだ作品で「川柳界の与謝野晶子」と称され、句集『有夫恋』が異例のベストセラーになった人気作家。としてなんとなく知っていたに過ぎなかった「時実新子」や 「川柳」なる文芸と、初め️てガツンと出会った。
  〈 ぞんぶんに人を泣かして粥うまし 〉
  〈 流れつつ美しい日がまれにある 〉

 たった十七音の奥に、なんと豊かで底知れない世界が広がっているんだろう。
 さらにガツンは続く。阪神・淡路大震災。その日、 神戸の自宅マンションで被災した私は、幸い怪我もなく家も無事であった。けれど当然のことながら人生観は一変。同じく神戸在住であった時実新子はその瞬間をこう詠んだ。
  〈 平成七年一月十七日裂ける 〉

 ほどなく氏が、翌年新しい川柳誌『川柳大学』を創刊すると知り、決めた。川柳をやろう。この先生に学びたい。さても師の標榜するは、一貫して「わたくし発」。すなわち一人一人が自分を詠む。「あなたの本音を吐きなさい。他人をおちょくってるヒマはないわよ」。ことごとくガツン、ガツン。しかし良識常識、何ものからも解放されて自由に心を詠むカタルシスといったら。️
 以来四半世紀。師はすでに世を去り、この三月で没後十三年になる。そして、あ、明日はお誕生日*だ。健在ならば九十一歳。雲の上に、新鮮な神戸の風を届けられたら。(*1月23日)
  〈 迷ったら海の匂いのする方へ   博子 〉

    「しんぶん赤旗」1月22日「水曜エッセー」
 

ニューてんがらもんへ……。

2020-02-13 00:21:00 | 「てんがらもんラジオ」

 「kaeru のつぶやき」のカテゴリー別で多い順2番で284が「てんがらもんラジオ」、そのラジオ番組が昨日「てんがらもん ありがとう会」で8年間の放送番組を閉じました。この日の模様は20日放送されますので実際には2020年2月20日第410回目をもって最後の放送となります。その前に明日12日409回目にあたる「川柳教室」が放送されます。

 
2012年2月11日に村永さんがアップしたブログの跡がありました、
 

当時は「FMぎんが」ではなく「FMさつま」としてスタートしたのですね。私のブログはこの年の7月に始めています、「てんがらもんラジオ」と繋がったのは、これです。
 


録画も当時は見れましたが、今は見れません。
 
今日は半日「てんがらもんラジオ」に目を通していましたので、多くのことを「つぶやき」たいのですが、一番「つぶやき」たいことはこの顔ぶれ……!
 


今日のタイトルを「ニューてんがらもん」としたのは、この顔ぶれを30秒間見つめていて……。
 
確かに「てんがらもんラジオ」はラジオ番組としては終了、とは言っても石神紅雀さんによる「川柳教室」は引続き月一で電波に乗るとのこと。それにこの8年間鹿児島市の魅力あふれる人が登場し、市内外の魅力を全国にも発信しておいて、後はご随意にというのはもったいないです。
 
特に、鹿児島はもとより各地の土地と人の魅力をガイドしてくれた向井さん、この人のガイドでバスの旅を満喫したいという声はこの8年間、というと嘘になりますが、向井さんの登場以来コメントなどに寄せられていました。
 
こうなると、リスナーのひとりとして「ありがとうございました、ご苦労さま」だけでは済まなくなりますし、顔ぶれを見ても済みそうもない、と思うのです。そこで名は体をあらわす、ということで「ニュー」をつけてみました。啓蟄(けいちつ)とは冬ごもりの虫もはい出る意味だそうで、三月五日前後の時期です、蛙もその仲間に入って動き出さねばと思っています。