ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

富士山のスーパースター

2006-09-09 08:23:07 | 四方山話
富士山の魅力に取り付かれた人は多い。
富士を題材にした文学、絵画、写真、音楽…などで名を残した人
も数え切れない。過去幾多のヒマラヤを目指す登山家が冬の富士
で訓練を重ねたことだろう。

 しかし「富士に登る」という「単純にして純粋な」行為を黙々
と続ける「富士山が本当に好きな」人たちも大勢いるのだ。
今年の富士では偶然にも同じ日にそんな三人に出合って、短時間
だが話を聞かせて貰うことができた。三人とも六合目・宝永山荘の
主人夫妻とは昵懇の仲で、必ず顔を見せて行く。

まず、Sさん。登り始めて1時間ほどの七合目付近で凄いスピード
で追いついてきた人から「宝永山荘の小母さんから聞いたが、ヒマ
ラヤにも行かれる方でしょう」と声をかけられた。
「いやトレッキングですから、そんな大層なものじゃありません」
「富士山には毎年登られているそうですね。私もあなた(変愚院)
と同業でしたが定年後3年間の非常勤も終わり、今年から富士登山
を重ねて30回を越しました」と気さくに話を続けられた。

「どうぞお先に」と別れたが、驚いたことに私たちが九合目近くまで
来た時に、もう下山してくるではないか!「もう剣ヶ峰から…」
「いいえ、昨日と連続ですから今日は富士宮頂上までで…」。絶句!
別れ際に「あなた方、わたしの考えていたイメージより、かなり早い
ペースですよ」これは褒められたのか、冷やかされたのか…。

あっという間に後ろ姿が遠ざかっていった。後で聞くとこの人の所要
時間は登り2時間半、下り1時間ほどだそうだ。このSさんが尊敬して
いる富士登山の先輩二人に、その後で出合うことになる。

元七合目のブル道まで降りて来たとき、高年の山慣れた様子の登山者
と出会った。もう15時近い。「これから登るんですか?」と聞く♀ペン
に「まあ隣の村に遊びに行くようなもんだから…」ぽつんと「今日は
二度目でね。これで462回目になる」。!!。



 昨夜、話に聞いていた大貫さんだ。「この富士宮口から頂上に登り、
須走口を五合目まで下って、またこっちに廻って来た」。♀ペンが
「一緒に写真撮らせてください」とお願いすると快く応じて「また、
会いましょう」と素晴らしい笑顔で登って行かれた。

 大貫金吾さん。74歳。元高校の数学の先生で、岩崎元郎もこの人の
教え子である。第1回からワープロで記録してきた登頂日、ルート、
記録文等を集めた「限りなきオマージュ 富士山 400回までの登頂記録」
という著書が、ごま書房から出版されている。このことも山荘に置いて
あったサイン入りの本で知った。
 
 49歳になってから、高校山岳部の引率者として必要な体力養成の
「究極のトレーニング」として富士登山を続けることになったという。
63歳でフルマラソンを始め、5年間で7回完走したとも。ともかく凄い人だ。
山荘のコタツに入ってそんな話をしていると、三人目の凄い人が現れた。

 沼津市の實川欣伸さん。登山回数は大貫さんに及ばない(それでも
250回を越えている)が、その登山スタイルが凄い。ともかく考えられる
限りの登り方で富士山を「遊び尽くしている」。

 例えば34時間50分で6連続登頂。30時間52分で四登山道連続登頂。
42時間で東京駅から登頂。下田から伊豆半島を縦断して39時間で山頂へ…。
富士山だけでなく、日本縦断で3000m峰29座を29日で踏破。海外では
キリマンジャロ、エルブルースなど四大陸の最高峰に登っている。



この人も気さくな人で、一緒に生ビールを飲みながら色々と話を聞かせて
下さった。「今の夢は、日本百名山を連続して登ること」だそうだ。
「もう帰ろう」と腰を上げて暖かい手で握手。「機会があれば、熊野古道
のような静かな道も歩いてみたい」と言われた。これは酔った私が余計な
ことを口走ったことへの、思いやりだったのかも知れない。優しい人だ。

 この山小屋には野口健や今井通子などの登山家や有名な芸能人なども
訪れている。主人夫妻の人柄にひかれて、山に登らずにここまで遊びに
来る人も多い。訪れるたびに素晴らしい人との出会いがある。
去年は下山後、同宿の映画監督・新城卓氏(勝新太郎そっくり)と
すっかり意気投合して琉球古酒を飲み交わした。(彼はあれほど飲んだ
翌日、ちゃんと山頂を極めたそうだ)。来年はどんな人に出会えるか、
今から楽しみにしている。

<この記事も2003年10月の再録です>
*今年もこの記事のSさん(佐々木さん)、實川さんにお目にかかった。
大貫さんとはすれ違いだったが、もうお一人、富士に取り付かれたような
人(失礼!)と同室だった。詳しくは次回にでも…。