奈良県(福祉部健康安全局健康増進課)選定の「奈良百遊山」という
リストがあります。「○○山」とか「○名山」というものはあまり好き
ではありません。しかし奈良に居を構えて35年、いくつもの奈良の
山を歩いてきましたが、リストを見てまだ名前を聞いたこともなかった
山があることを知り、登ってみることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f0/2b41372e95bbe40db385c8837c369ac1.jpg)
城山という名の山は、名阪国道近く(別名・椿尾塁)、大和高原の
馬場、白石、吐山、室生の竜口などにもあります。
いずれも山城が築かれていたことから付いた山名のようですが、今日
登る山は櫻井市と宇陀市榛原区の境にある、長谷寺からは正面に大き
く見える525.5mの山です。
2万5千図には山名も、山頂への登山道も記されていません。
前から気になっていた山ですが、今日は南側の笠間から登りました。
スタート地点にある新陽明門院笠間山陵にお詣りした後、右手の草深い
道を北へ登ります。
ヒノキ、スギの植林の中は薄暗く、湿った急坂の道の至る処に大きな
クモが巣を張っていて、大のクモ嫌いの私にとっては、恐ろしいアプ
ローチでした。15分ほどでしっかりした踏み跡になり、拾った木の枝で
クモの巣を払いながら、さらに20分登ると NHK宇陀中継所のTV塔
のある平坦地に出ました。ヤマホトトギス、ミズヒキ、キンミズヒキなど
の咲く草地で、東西に延びる稜線上のT字路に突き当たった感じです。
ここが宇陀松山の出城のあった場所でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e5/e267c4c7ed77a930e0516037eeb8fcd5.jpg)
ここから左(西)へ100m程は、深いクマザサの中へ踏み跡が延びて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d9/fc30dfc3f9881b11ca1837230dd93301.jpg)
GPSを頼りに笹を漕いでいくと茂みの中に山名板と三角点が
ありました。ピークとは言えない道脇です。
分岐に帰り稜線の道を直進。すぐイノシシのヌタ場にぶつかり、
林の中を捲き、ようやくスギ林の登山道らしくなったと思うと、
また草に覆われた道、ヌタ場の繰り返しです。イノシシの足跡、
掘り返した痕が多く、最初は安田から登ってくる道と出会う
「長者屋敷」跡まで行くつもりでしたが、小さなピークを過ぎた
峠状の十字路で右に下ることにしました。
最初しっかりしていた道は倒木が重なる溝状の廃道になり、植林
帯に逃げたりしているうちに、しっかりした道になってイノシシ
除けのトタン板が並ぶ山間の畑地にでました。下に朝置いた車が
見えやれやれと思うと、スタートからゴールまで腰を下ろすこと
はおろか、水も飲まずに歩き続けていていたことに、やっと気が
付きました。
展望もなく、廃道同然の道がつづくこの山が、なぜ「遊山」なのか
よく分かりません。特にクモ嫌いの私には、とても「健康増進」
とは言えない苦難の1時間半でした。
リストがあります。「○○山」とか「○名山」というものはあまり好き
ではありません。しかし奈良に居を構えて35年、いくつもの奈良の
山を歩いてきましたが、リストを見てまだ名前を聞いたこともなかった
山があることを知り、登ってみることにしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f0/2b41372e95bbe40db385c8837c369ac1.jpg)
城山という名の山は、名阪国道近く(別名・椿尾塁)、大和高原の
馬場、白石、吐山、室生の竜口などにもあります。
いずれも山城が築かれていたことから付いた山名のようですが、今日
登る山は櫻井市と宇陀市榛原区の境にある、長谷寺からは正面に大き
く見える525.5mの山です。
2万5千図には山名も、山頂への登山道も記されていません。
前から気になっていた山ですが、今日は南側の笠間から登りました。
スタート地点にある新陽明門院笠間山陵にお詣りした後、右手の草深い
道を北へ登ります。
ヒノキ、スギの植林の中は薄暗く、湿った急坂の道の至る処に大きな
クモが巣を張っていて、大のクモ嫌いの私にとっては、恐ろしいアプ
ローチでした。15分ほどでしっかりした踏み跡になり、拾った木の枝で
クモの巣を払いながら、さらに20分登ると NHK宇陀中継所のTV塔
のある平坦地に出ました。ヤマホトトギス、ミズヒキ、キンミズヒキなど
の咲く草地で、東西に延びる稜線上のT字路に突き当たった感じです。
ここが宇陀松山の出城のあった場所でしょうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e5/e267c4c7ed77a930e0516037eeb8fcd5.jpg)
ここから左(西)へ100m程は、深いクマザサの中へ踏み跡が延びて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/d9/fc30dfc3f9881b11ca1837230dd93301.jpg)
GPSを頼りに笹を漕いでいくと茂みの中に山名板と三角点が
ありました。ピークとは言えない道脇です。
分岐に帰り稜線の道を直進。すぐイノシシのヌタ場にぶつかり、
林の中を捲き、ようやくスギ林の登山道らしくなったと思うと、
また草に覆われた道、ヌタ場の繰り返しです。イノシシの足跡、
掘り返した痕が多く、最初は安田から登ってくる道と出会う
「長者屋敷」跡まで行くつもりでしたが、小さなピークを過ぎた
峠状の十字路で右に下ることにしました。
最初しっかりしていた道は倒木が重なる溝状の廃道になり、植林
帯に逃げたりしているうちに、しっかりした道になってイノシシ
除けのトタン板が並ぶ山間の畑地にでました。下に朝置いた車が
見えやれやれと思うと、スタートからゴールまで腰を下ろすこと
はおろか、水も飲まずに歩き続けていていたことに、やっと気が
付きました。
展望もなく、廃道同然の道がつづくこの山が、なぜ「遊山」なのか
よく分かりません。特にクモ嫌いの私には、とても「健康増進」
とは言えない苦難の1時間半でした。