朝から小雨が降る6月24日(月)。CT社の日帰りツァーで出雲大社へ参拝しました。平成の大造営を終えて正式参拝できるのがウリですので、トイレ休憩の他はずっと走りっぱなしで食事もバスの中。ショッピングに興味がない私たちには、むしろ嬉しかったです。蒜山高原を過ぎる頃から小雨になり、大山は雲に覆われていましたが、山陰道を終点の出雲で降りる頃から青空が見え始めました。駐車場を出るとすぐに、鳥居の奥に大注連縄を張った社殿が見えました。大社へ参拝するのは三度目ですが、前に親子4人で訪れたのは1984年、30年も前の下関からの遠路ドライブの途中です。それでも♀ペンは拝殿までは長い松並木を通り抜けたことを覚えていました。ン?と首をひねっていると、これは神楽殿で後で参拝するとの地元ガイドの説明があり納得。
何ヶ所かある駐車場のうち一番近い大駐車場から境内へは、西側からこの門を潜って入ります。
社務所の前で60年ごとに行われる遷宮の説明をガイドさんから聞きました。伊勢神宮と違って建て替えるのではなく、仮殿(拝殿)に神霊を移して修築が行われます。今年は昭和28年以来の「平成の遷宮」の年で、先月5月10日に五か月前から仮殿に祀っていた神霊を本殿に還す本殿遷座祭が催行されました。写真は社務所前に張ってあったもので、修築前の桧皮葺きの大屋根や千木の様子が分かります。
新しくなった本殿の屋根。緑色が鮮やかな破風には、松脂やエゴマなどを材料とする「チャン塗り」という塗法が用いられています。
社務所横の手水舎(右に写っている建物)で手と口を清めました。ここから南への松並木の道が、本来の正面大鳥居からの参道です。
手水舎の向い側にある「ムスビの御神像」と言われる大国主命像。「古事記」では出雲大社が「オオクニヌシノミコトがアマテラスオオミカミに国を譲った功績によって造営された」と伝えられています。
直径52㎝、高さ6mの銅製の大鳥居を潜り、正面の拝殿に進みます。
拝殿は1959年に再築された戦後最大の木造建築物で、正面の大注連縄は長さ6.5m、重さ1tあります。
拝殿右手にある八足門。ここからは撮影禁止です。門の前で発掘された鎌倉時代の本殿の柱跡。「宇豆柱」と呼ばれ、大木3本をくくり合わせて現代の二倍も高い48mの本殿を支えていたといわれています。これまで建築学的に疑問視されていましたが、2000年の発掘調査で実証されました。正月5日間以外は八足門までしか入れないのですが、今年は遷宮の年で本殿との間にある楼門まで入って参拝することができました。普通の神社と違ってここでは二礼、四拍手、一礼です。
参拝を終えて西側に回りました。本殿のご神体(大国主命)は西の稲佐ノ浜の方を向いておられるので、こちらからお顔を拝むことになります。本殿は高さ24mの大社造りで国宝。屋根は桧皮葺きで、棟の上で組み合わされた千木の長さは7.9mあり、空けてある小さな穴は人が通り抜けられるとか…。「雲太、和二(大仏殿)、京三(御所)」と言われた日本三大建築物の第一に挙げられただけに、ともかく巨大な神殿です。縁結びを願う御神籤が傍らの木を白く染めています。
時間が来たので神楽殿に向かいました。破風の下にステンドグラスが張ってある明治の建築ですが、ここにも大国主命が祀っています。正面の注連縄は太さ8m、長さ13.5m、重さ4.5tの日本最大のものです。
「浄掛」と呼ぶ和紙の襷をかけて昇殿して、神官の祝詞や巫女さんの舞の奉納を見てお祓いを受けました。厳粛な気持ちになって頭を垂れて参拝。お神酒とお授けものを頂きました。
浄掛には本殿大屋根の桧皮古材が混ぜ抄(す)かれています。また縁結びの糸には、恋人同士になること、夫婦になることだけでなく、人と出会う、親子になる、家を建てる、仕事に就く、物を買う、旅をする、食べる、遊ぶ…生きることすべてが「縁結び」と記されていました。
心地よい風に吹かれながら出雲大社を後にしました。国旗掲揚塔の高さは47m(伝えられる神殿の高さより1m低くしてある)、翻る日の丸の大きさは畳75枚分、重さ25㎏(今は化繊ですが前の木綿の時は50㎏!)…大国主命様は何でも日本一がお好きなようです。稲佐ノ浜(アマテラスの使者がオオクニヌシと国譲りの談判をしたところ)を車窓から眺めて、元の道をバスに揺られて帰りました。