*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
(124) 仏生ヶ岳(ぶうしょうがたけ)<1805m> 「昔はクロユリが群生」
大峰山脈で八経ヶ岳に次ぐ第二の高峰である。「コンサイス日本山名辞典」に『修験道場で七十五靡の一つにかぞえられ、仏生の岩場がある。トウヒの美林が多い』とあるが、『仏生の岩場』というのは何を指すか不明である。
七面山遥拝所から奥駆道を南に辿ると、笹原の中に避難小屋が立っている。元の楊枝宿跡で、「群山記」には『楊枝宿に、黒百合多し。白山の黒百合より苗長大にして二、三尺、…六月土用頃、花あり』と記されているが、私の生年である昭和9年(1934)には、まだ僅かに生育していたという記録が残るそうである。1693mを越えた次の鞍部には平成13年建築の新しい山小屋が建っている。この辺りは楊枝森と呼ばれていたところである。
楊枝森より仏生ヶ岳
以下、2005年の山日記より『目の前に立ちはだかる仏生ヶ岳への登りにかかる。かなりの急坂を登っていくと行所(仏生ヶ岳遥拝所)があり、更に登ったところから少し引き返す形でピークに立つ。針葉樹林に囲まれて無展望で、明星ヶ岳と似た感じのところだった。元の山腹道に戻って少し下り、緩く登り返すと倒木の多いところを通る。跨ぎ越えたり、下を潜ったり。「これも修行のうち」とMさん。
孔雀岳も山腹を捲いていく。この横駆けの途中で、烏ノ水という美味しい湧き水を一口づつ頂く。ちょうど最高点の下を過ぎる辺りでは、登山道が凍結しているところがあった。この辺りからが奥駆道最大の難所ということである。
孔雀覗きで暫く休み、遠く左手下方にニョキニョキと立ち並ぶ、五百羅漢、十六羅漢という名の岩峰群を見おろす。』この岩峰群が釈迦の生地の光景に似ているとして、『仏生の岩場』と呼ばれたのかも知れない。