ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(126) 大日岳

2016-04-14 17:59:26 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

(126)大日岳(だいにちたけ) <1540m>  「岩上に大日如来像」

釈迦ヶ岳の南にある神仙ノ宿は修験道の重要な聖地で、これより北は蔵王権現の支配する金剛界、南は熊野権現の胎蔵界になぞらえた大峯の中心とされてきた。従ってこの山には、多くの靡き(行所)が点在している。三五番靡の大日岳は釈迦ヶ岳の東南に聳える岩峰である。鎖のある一枚岩を登る修行場だが、捲き道もある。山頂には大日如来像が鎮座している。これも「鬼雅」が運び上げたと伝えられている。

釈迦ヶ岳への東山麓からの登山口は前鬼である。ここには三重滝(みかさねのたき)という大峰修験者にとっては重要な裏行場(二八番靡)がある。前鬼には役行者に帰依した前鬼・後鬼の子孫が住み続けてきたが、現在は小仲坊ただ一軒で、現当主五鬼助義之氏は61代目に当たる。「群山記」に「釈迦嶽前鬼より登る道」として『前鬼村より釈迦嶽へ六十八丁(神仙宿へ五十丁、前鬼より西南の谷を登る)』とある。私たちもこの谷を登った。

 地蔵の尾

谷を詰め、地蔵の尾の急斜面を登ると制多迦(せいたか)童子と矜伽羅(こんがら)童子の名を持つ二つ石がある。「群山記」には『俗にせくらべ石といふ』とも記されている。しばらく平坦な道を行き、最後に笹原の中の急登を終えると奥駆道の通る太古ノ辻に出た。さらに深仙宿への途中の鞍部が大日岳(群山記では『宝冠嶽 すなはち大日嶽なり』)の基部になる。

以下、山日記より…
 『三三尋(約60m)と言われるフェイスには鉄鎖が下がっていて、ここを登ると面白そうなのだが…。17名の大人数なので、万一のことも考えて捲き道をとることにした。それでも最後は結構、面白い登りで全員が通過するのに時間がかかった。

大日岳頂上にはブロンズの大日如来が安置されている。狭い頂上は樹木に囲まれているが、北側が開けて釈迦ヶ岳から孔雀岳へ続く稜線、五百羅漢の岩峰群が美しく望めた。