ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

「二」の山

2008-06-19 00:10:19 | 四方山話
私たちが登った「二」の字のつく山は、二上山の他にないのかと考えた挙句、
天城の「万二郎岳」があったことを思い出しました。

深田日本百名山のひとつ天城山の最高峰は万三郎岳(1405.6m)ですが、
万二郎岳(1300m) <1992/12>はそれより約100mほど低い兄弟山です。

1992年12月、天城高原ゴルフ場から霜柱を踏んで緩やかな道を天城山に登りました。
この頃は毎年12月10日の結婚記念日前後に、「富士を見る山」歩きをしていたのです。
シヤラ、アセビ、ブナ、モミなどの林を行き、やがて大きくジグザグに登るようになると木の枝越しに富士が見え出しました。


ゴルフ場から1時間ほどで、あっけなく万二郎岳の頂上に着きました。
峠のような感じの場所で、道標がなければ間違いなく通り過ぎていたでしょう。
林の中で無展望でしが、少し下った所に小さな露岩があり、そこから大きく展望が開けました。


白い衣をまとった富士が始めてくっきりと全容を見せ、その左には南アルプスの北岳と日本の最高峰と第二位の山が並んで見えました。
ここから万三郎山に縦走して、下りは苔むした涸れ沢など通って不明瞭な道を駐車場へ帰りました。


アジサイ満開(6.17)

2008-06-18 09:43:24 | 矢田だより
山友達のご夫妻を矢田丘陵にご案内しました。
東明寺から峠池、小笹の辻を経て矢田山最高所の「まほろば展望所」へ。
ぼんやり霞んでいて展望は全くなく残念でした。


しかし、のんびりお弁当を食べてデザートには「佐藤錦」を頂きました。


午後は松尾山へ登り、国見台から矢田寺へ下りました。




大勢の人で賑わうアジサイ園を周遊しました。


園内のヤマボウシが満開です。


ナツツバキも咲き始めています。
今日はたっぷり歩いて、万歩計の数字は20,000近くになりました。

「一」の山

2008-06-16 18:41:02 | 四方山話
今月は「二」上山の次に「三」輪山に登りました。
ちょっとした偶然の面白さに、これまでに登った数字のつく山や峠を拾い出してみます。
<>内は登った「年度/月」です。その時々の思い出がありますが、その中で印象的なものを…。
では「一の山」から

一ノ越(立山・2680m) <1961/08, 1966/07,1973/08 1991/08>
73年に子供を両親に預けて、二人で白馬岳~朝日岳山行。
いったん小川温泉に下ったのですが、予備日が余ったので富山駅で食料など
補給して再び山へ。
昼過ぎ室堂から一ノ越に着いて、建て増しされたばかりの山荘新館に泊まりました。
それまで幕営合宿では通過するばかりでした。
「きれいで旅館なみ…夕食には海老フライ…」と山日記に書いています。
翌日、立山に登って雷鳥沢を下り、その日のうちに帰宅しました。

一服剣(剣岳・2618m)<1961/08,1962/08,1966/07,1972/07,1998/09>

小屋前から一服剣、前剣、剣岳(左から)

♀ペンはなぜか剣に縁がなく、10年前の98年9月に初めて山頂に立ちました。
室堂から雷鳥沢を登るのはきつかったです。
「初めて来たときから年齢は37プラスだが、8キロのザックは20キロ近いマイナス…」
と自分に言い聞かせています。
剣沢小屋は個室でシャワーもあり、夕食の献立は「なんとビフテキと湯豆腐、
コンニャクのオランダ煮、そうめんカボチャの中華風、ナメコ汁…」のご馳走でした。

翌朝、サブザックを背に5時半に小屋を出て、ちょうど1時間で一服剣。
針ノ木から爺ヶ岳に続く稜線がくっきり見え、剣沢小屋も剣山荘もすでに小さくなりました。
8時半、剣頂上に着いて素晴らしい展望を楽しみました。この日は剣沢、別山乗越、室堂、地獄谷見物をしてさらに天狗平まで歩く11時間行動でした。

一ノ森(剣山・1872m)<2002/08,2006/08>

バックは槍戸山

剣山には4度登っていますが、一ノ森を通過したのこの二度、いずれもJACの仲間と一緒です。
04年はキレンゲショウマを見るのが目的でした。
06年は四国分水嶺踏査の途中でした。
一ノ森は剣山から東に伸びる尾根上にあります。間には二ノ森、三ノ森のピークがあります。
一ノ森から白骨林で有名な槍戸山をピストンしましたが、美しい森林帯を抜け出したところは、剣山や次郎笈の素晴らしい展望台でした。

一徳坊山(和泉山脈・541m)<1963/05,1965/09>
1965年所属していた社会人山岳会読図練習山行で、道標のない初めての道を選びました。
三日市から歩いて中山谷の入口を探し、谷を詰めるうちにカンオコ尾根にでて猛烈なブッシュ漕ぎ。
頂上直下の痩せ尾根では吹き飛ばされそうな強風と雨。金山谷に下りる予定がシオカラ谷を下ってしまいました。
結局は予定より早く日野に下りました。今のようにGPSがあれば、悪天でもどうということのないコースなんですが…。

一体山(大和平野・595m)<2000/06>
こちらをご覧ください。

梅雨の晴れ間に…(6月11日)

2008-06-12 07:50:53 | 矢田だより
矢田山に登りました。
アジサイ・シーズンで混み合う矢田寺は敬遠して、横山北の地蔵さん横に車を置き、矢田大石を経て登ります。


「まほろば展望所」横の矢田山最高点には、新しい山名板がつけられていました。
(「奈良百遊山」については、こちらをご覧ください)



矢田山中にはこんな可愛い花(イチヤクソウ)が咲いています。


ギンリョウソウを見に東明寺に下りましたが、今年は見当たりません。
車に帰る途中の土手から、名前もかわいいミヤコグサが見送ってくれました。

三輪のお土産

2008-06-11 21:41:18 | 旅の想い出
昭和53年、奈良新聞社が「大和名物30選」を選びました。
360万票を超える人気投票で「菓子部門第一位」に輝いたのが、弘化元年(1844)に初代栄寿が創製。一子相伝のこの最中です。
「みむろ」の名はご神体山・三輪山(別名・三諸山)にちなんでつけられたものです。


平成9年に奈良日日新聞が読者の投票で選出した「大和のうまいもん」でも第一位でした。

大和大納言の餡があっさりした甘さの上品な味で、甘辛両刀使いのペンギン夫婦--どちらかといえば変愚院の大好きなお菓子です。

神の山・三輪山(6.10)

2008-06-11 08:52:55 | 山日記

大神神社(三輪明神)から摂社・狭井神社への道は「くすり道」と名付けられています。
狭井神社は花鎮社(はなしずめのやしろ)と呼ばれ、病気治療に霊験のある神様なのです。


ここから境内に入ります。


境内の立札によると…「今から約二千余年前、垂仁天皇の御世に創祀された名社で、古来鎮花祭の行われるを以って有名であります。この祭は春季花の飛散する陽気な頃には、種々な病気が流行するので、之を鎮める為に祀るところから起こったものであります。」


三輪山に登るのはちょうど20年ぶりです。
社務所で初穂料300円を納め、「三輪山参拝証」の白い襷をかけます。
神の山ですから火気厳禁はもちろん、食事も写真撮影もできません。
後ろに急な階段道が見えるここが登山口です。

山頂まではジグザグの登りで約45分かかりました。
山中にはスギやヒノキの大木が鬱蒼と茂り、途中二か所に古代祭祀の跡と思われる磐座(イワクラ)があります。山頂には高宮社が建ち、その100m先「奥津磐座」から反対側に下る道は通行止めになっています。

山中の登り下りで、タスキに付いた清らかな鈴の音とともに、思いもかけず多くの登拝者の方に出会いました。若い女性、白衣の人、裸足の人、泉州から月参りのひと、広島から日帰りでお参りの人…。信仰心の篤さには驚くばかりです。


30分後、無事下山して冷たい「御神水」をいただきました。
「狭井」神社の名前の源になっていて「古来「酒造家は醸酒、製薬業者は薬剤に、さらには書画に精進される方はその用水に(傍らの立札)」使われてきた三輪山から湧きだす清水です。
しかしボタンを押して水を頂くのは実に現代的、コップもガラス扉の中で消毒されています。

蒸し暑さに汗びっしょりでしたが、いいトレーニングになりました。

大神神社とササユリ(6.10)

2008-06-10 17:57:44 | Weblog
箸中にある行きつけのK製麺所で三輪素麺を買って、その足で大神神社に参拝しました。


平日の今日も、大勢の参拝者が参道を行きかっています。


拝殿で参拝を済ませて左の方へ…


宝物収蔵庫横のササユリ園入口に「今が見頃です」の立札がありました。


摂社・率川神社の「ゆりまつり(正しくは三枝祭・さいくさまつり)」に因んで、10数年前から豊年講の人たちが激減したササユリの再生に努められています。


思ったより花の数は少なかったですが、「現在約2000本が植栽されている」とパンフレットにありました。
種子から開花までには数年かかるそうです。
何年かのちには花の数も増え、馥郁とした香りが辺りに漂うようになることでしょう。