ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

早朝の松尾山(2014.07.15)

2014-07-15 11:29:16 | 矢田だより

5時半、法隆寺カントリー下の池の横に車を置いて参道を登り始めました。

足元に月見草が咲いています。山道にかかる十一丁の町石で、早くも降りてくる3人の男性に出会いました。昨日までの雨でしっとり濡れた道をゆっくり登って行くうちに、全身から汗が噴き出してきます。湿気が高く、朝の爽やかさは感じられません。6時少し前、南門を潜りました。

境内のユリはしっとりと朝露に濡れていました。後ほどゆっくり見ることにして、

三重塔の横から久しぶりに松尾山神社への階段を登ります。

松尾山神社は松尾寺の鎮守社で、境内からは奈良時代の瓦などが出土したところです。

この神社の前にも地植えのユリの花が美しく咲いていました。いったん三重塔横に降りて、登り返して松尾山へ。

切通の辺りから上は、朝靄の海の中を歩くようで湿度100%。全身汗まみれで山頂三角点に着きました。

下りは林道を歩いて北総門から再び寺内へ。

閼伽井から流れる名水「松尾の水」を頂いて、石段を登り二度目の参詣。

境内や福寿院さんのユリも拝観して、登ってくる人の増えた参道をのんびり下りました。汗を出し切って身体が軽くなったような、1時間20分ほどの快調なウォーキングでした。


16年前の今日(1998.07.14)

2014-07-14 08:29:34 | 過去の今日

カナダの旅も5日目。昨夜はジャスパーのゲストハウスで泊まりました。

ジャスパーの町からアイスフィールドパーク・ウェイを南へ35キロほど走ると、ミネラル・リック・ビューポイントに着く。ここからはサスカチュワン川を挟んで、すぐ目の前に白亜のロッキーの山々を仰ぐことが出来る。

車は更に南へ。昨日のラフティングのスタート地点、アサバスカ滝を過ぎた頃、道路を渡るマウンティン・シープの大群と遭遇。車を止めてお通りを待つ。この辺りも先のミネラル・リック同様、塩分を含んだ土が露出しているので、それを舐めに来る動物が多いそうだ。
 
ここから正面に純白のアサバスカ(3493m)、コロンビア大氷原、アンドロメダ(3450m)を間近に望むことができた。コロンビア大氷原への入り口を過ぎ、道端のスペースに停車。

ここからパーカーズ・リッジのハイキング。わずか往復5キロだが、カナディアン・ロッキーのハイキングコースとしては非常に人気が高いところだ。帰りに空港で求めた「Canasian Rockies -An Alutitude Superguide 」でも2ページを割いて「もしアイスフィールドパーク・ウェイ沿いで車を離れて歩くなら、ここがベスト」と絶賛している。道標に従ってジグザグに登る。直登する細い道には「ショートカット禁止」の標識が必ず付いている。しばらく登ると眺望が開け、アサバスカ、ブラッセスを反対側から見ながらの快適な尾根歩きとなる。大きな岩に蘚苔類の朱色の斑点が浮き出している。道の両側は百花繚乱のお花畑である。

稜線に出て500mも行くと9キロもの長さを持つ大氷河・サスカチュウワンが見えてくる。この辺りで氷河の痕跡を残した石と、サンゴの化石を見つけた。



がらがらの岩の上を行くと正面に↑純白のアサバスカ(3493m)、コロンビア大氷原、アンドロメダ(3450m)を間近に望むことができた。カンカン照りだが空気は乾燥して、風も爽やかで心地よい。

下りは元の道をナイジェルを見ながらのんびり下る。アランの話ではこの尾根はテレマーク・スキーでも有名なところという 。展望と高嶺の花に酔うような山歩きだった。

遅めの昼食は湖の色を七色に変えるというペイト・レイクの畔で摂った。地リスやclark's nutcrackerという嘴の鋭い鳥が餌をねだりに来る。今夜の泊まり、フィールドへ行く車中から白いマウンティン・ゴートを見る。いったんツーリストホームへ荷物を下ろし、シャトー・レイク・ルイーズへ夕食に行く。

レイク・ルイーズは正面にビクトリア(3464m)を仰ぐ有名な観光地で、綺麗ではあるが絵葉書的で、感動は山から見る山には遥か及ばない。ホームに帰る頃日が暮れ、早や22時前。


16年前の今日 (1998.07.13)

2014-07-13 06:00:00 | 旅の想い出

もう16年前になりますが、1998年7月10日から2週間、友人5人とホームステイをしながらカナディアン・ロッキーのトレッキングと周辺の旅をしていました。

 

7月13日はトレッキングはお休みで、まず有名な観光地・コロンビア大平原へ。325平方キロもある大氷原からいくつも流れ出す氷河の一つ、青白く輝くアサバスカ氷河を雪上車で登り、

氷河の上に降り立ちました。さすが観光名所だけに、いろんな国の人のカラフルな防寒着が白い氷河の上に散らばっています。

氷河の舌端まで登って見ました。

スプルースの森に囲まれた静かなキャンプ場でランチの後、アサバスカ滝を見に行きます。豪快に水飛沫を上げる滝の下流へ歩き、アサバスカ川の急流下りに挑戦。

年寄りだから漕がなくてもいいフローティングかと思っていたら、アレンジされていたのはグレードⅡのホワイト・ラフティングでした。ウェットスーツの上に救命具を付けて川辺で練習した後、いよいよ6人でゴムボートに乗り込みます。私とTさんは一番前で、すぐに泡立つ激流が迫ります。ガイドが船尾で何とかしてくれるとは思うものの、全員必死でパドルをふるいました。

 

大きな波に突っ込んで頭から水を被り、たらふく飲みました。流れが静かになるとゆっくり漕いだり、自然に流されたり、 周りの美しい景色を眺める余裕も出てきます。エディス・キヤベルの峰が見事と見とれていると、また瀬がせまり懸命に漕ぐ。こんな繰り返しで、練習込みの2時間があっという間に過ぎました。<線画は「写真加工.com」で作成しました>


私の関西百山(70)法師山

2014-07-11 16:54:33 | 私の関西百山

70 法師山(1120m)<紀伊山地西部>
(ほうしやま) 紀伊続風土記に「山峰他峰よりすくれて其頂を顕すを似て名つくなり」と記されている。標高は同じ大塔山系の主峰である大塔山に僅か1.6m及ばないが、一等三角点の埋まる山頂からの展望は実に雄大だった。

2005年2月20日、千日山歩渉会11名で登った。紀伊半島中央部にある山までは遠く、宗小屋谷出合に3台の車が集結したときは、すでに11時を大きく廻っていた。ぐらぐら揺れる吊り橋を渡り、スギ植林の山腹道をジグザグに10分ほど登り、尾根に出る。シャクナゲの混じる自然林の中、道は何度か緩急を繰り返して高度を上げていく。1時間少しで顕著なピーク(932m)を越し、崩れかけた斜面を下る。

鞍部から登り返して急坂を登る。何度も同じような小さなコブに騙される。大塔山への縦走路分岐から最後の急登になる。岩混じりの急斜面を登り切ると、灌木帯を抜け出して広々と明るい山頂に飛び出した。

三角点のある頂上西側はコンクリート製の絶壁になっていて、下に電波反射板が設置されている。眺望は文字通り360度で期待を裏切らなかった。先着の地元の男性にお願いして、見える範囲の山の名前を教えて頂く。

すぐ近く真東に見える美しい双耳峰が大塔山である。その右手に大雲取山、烏帽子山から妙法山に続く那智の山々、大塔山の左には子ノ泊山。

そのまま左(北東)に目を移すと、笠捨、八経ヶ岳などの大峰山脈。手前にはゴンニャク山、野竹法師と変わった名前の山が並ぶ。北には果無山脈が横たわり、稜線の下を走る林道がはっきりと望める。

西側手前に百間山、その向こうに「乙女の寝姿」の半作嶺。その右に三森山、田辺湾近くに白く光る白浜空港。西から南へは潮岬、大島、熊野灘と続く海岸線が続いている。本当に見飽きない眺めだった。

山頂滞在一時間足らず、殆ど私たちで独占して勿体ないほどの絶景に別れを告げ、急いで元の道を下った。

<参考コースタイム>宗小屋橋11:28…尾根に出る11:40…P674m 12:05…P932m 12:50…法師山13:30~14:20…宗小屋橋15:55


私の関西百山(69)護摩壇山

2014-07-08 09:02:46 | 私の関西百山

69 護摩壇山(1372m) <紀伊山地西部>

(ごまだんざん)この山から伯母子山へ、十津川と野迫川の村境となる山稜が続いている。山名は次の伝説による。源平屋島の戦いで敗れた平維盛は、西国に落ちた一門と別れて高野山に隠れたあと、滝口入道に導かれ熊野に向かう。この山頂で護摩を焚き行く末を占うが、煙が空に昇らず谷に下るのを見て平家の運命を知る。そして那智に至り熊野の海に入水した。一説には、護摩を焚いて一門の将来を占ったのは清盛ともいう。

奈良、和歌山両県にまたがる山頂近くまで高野竜神スカイラインが通り、駐車場と護摩木を積み上げたユニークな形の展望塔「ごまさんスカイタワー」がある。塔の横から広い階段状の遊歩道を登ると、10分程で山頂に着く。

休憩舎と「和歌山県朝日夕陽100選」の標識がある。護摩壇を象った大きな山名板があり、永らく和歌山県最高峰とされてきたが、東に見える頂きにNHKのTV無線中継塔が立つ山、龍神岳の方が10m高いことが分かり、その座を譲った。

最初に登ったのは子供たちの幼い頃だったが、2004年6月には町内の会で訪ねた。タワー横まで車で入り、護摩壇山頂上を経て東の稜線伝いに耳取山(現在の龍神岳)へ歩く。

NHKのTV無線中継塔があり、三角点名は丸山。

ここは展望にすぐれ、眼下に深い谷に沿って龍神へ続くスカイライン、その左にこれから向かう1304mピークなどの山、さらに左に鉾尖山の鋭峰、正面遠くには果無山脈などがよく見える。本峰に引き返して、休憩舎横を左に折れ南側の尾根を下る。スカイラインを横切ると「森林公園ワイルドライフ」の大きな広場である。

ここから自然観察路に入り、山頂休憩舎にくると、タワーから護摩壇山、耳取山とつづく稜線が正面に見えた。

2005年3月、果無山脈縦走のためにスカイラインを龍神温泉へ向かう途中で、雪の山頂へ壺足で登った。かなり気温が低かったことが印象に残っている。

今年(2014)5月、高野三山を巡り竜神温泉で一泊して、再び高野山に帰る途中に護摩壇山に登った。駐車場には何台ものオートバイが屯していたが、山に向かうと人影がなく、道は少し荒れているようだった。山頂のモニュメントは古びて、その横に「龍神岳へ」の標識があった。時間の余裕がなく最高峰へは行かずに引き返したが、駐車場近くで元気に登ってくる子供連れの夫婦を見て、若い頃に子供たちと来たことが懐かしかった。


私の関西百山(68)高野山<続>

2014-07-04 17:10:18 | 私の関西百山

【高野三山】

始めて三つの山(摩尼山、楊柳山、転軸山)を巡拝したのは1988年7月である。町内のハイキング同好会のメンバーで歩いた。摩尼山山頂(1004m)からの尾根道には咲き残ったササユリやホタルフクロが目を楽しませ、左手にこれから至る揚柳山が特徴のある姿を見せた。右手には紀の川越しに和泉葛城あたりか、霞んで見える。この時は楊柳山(1008m)から転軸山は割愛して、急坂を下ると高野槙の苗木畠のある一軒家にでた。三本杉を経て元の林道に出て奥の院・弘法大師の御廟に参詣して山行を終えた。

2005年、猛暑が続く8月初旬、河口慧海師の供養塔を尋ねる機会に、奥の院を囲む三山を二人で歩いた。奥ノ院参道を進み御廟橋から御廟を拝んで右に折れる。水向地蔵さんの横に「水行場」と「三山巡り参詣入口」の石標が並んでいる。「浄め橋」で玉川を渡り、門を出て林道を登り、急な登りで摩尼峠へ。摩尼山からはゆるやかな尾根道を行き、左手の展望が開けるところからは咲き終わったササユリが点々と続いていた。

黒河峠から急登になり、いったんゆるんだ傾斜を再び階段道を頑張ると揚柳山山頂に出た。

祠があり、前に「揚柳観世音」側面には「天保五甲年三月」、と「摩尼山二十丁、転軸山二十丁」の石標が立っている。三角点はこの祠の後ろにあった。いったん下った後、スギ林の中を登り返す。木のベンチと道標があるピークから、かなり急な階段道の下りになる。

下りきった所はT字路になっていて、「左奥の院、右・久保、北又へ」「粉種(子継)道」の標識がある。この子継峠から左へ下る道は、少しじめじめしている。沢沿いになり、小さな木の橋を何度か渡って草原に出た。ようやくT字路になった車道に出て、横断してスギ林の中の階段を登る。

いったん勾配がゆるみ再び急登になると弥勒菩薩の祠がある転軸山頂上。奥の院へ下る道を見送って、女人道の通る南西尾根を転軸山森林公園に下る。急な坂道から薄暗い林の中に入る。シャクナゲの群落を過ぎ、池の横を通ると急にバスの通る舗装路に出た。しばらく道を探してウロウロしたが、杉林の中の玉石を敷いた道に出て、供養塔が並ぶ区域に入る。

 

慧海師の供養塔は一の橋近く、参道に建つ「雪山道人慧海師供養塔」という石標から三区画奥にある。下部に「慧海」という大きな文字を刻んだ五輪塔で、横に由来を記した銅板を埋め込んだ大きな石標があった。

今年(2014)5月、丸屋夫妻と4人で三山を巡った。10年近くの間に辺りの様子が変わっていて摩尼山への登山口へ行くのに少し戸惑った。摩尼山からは以前の尾根道を行かず、左山腹に道が付けられている。展望も樹木の間から辛うじて楊柳山の姿をちらりと見ただけに終わる。楊柳山で昼食の時、女性を含む6人の若者グループが登ってきたが、他には誰にも出会わない貸し切りの山だった。子継峠から杉林の中を細い流れに沿って下る道はうんざりするほど単調で長く感じる。奥ノ院の方からくる車道を渡って、三山最後の転軸山への登り道になる。ゆっくりと登りつめて山頂に立つ。奥ノ院への下り道は通行できなくなっていた。

シャクナゲやシロヤシオの咲く南西尾根を転軸山森林公園に下る。今回も少し戸惑ったが、中之橋霊園の横からスキー場の下にでて石畳に道に入るとすぐに一の橋から来る御廟への道に合流した。前に探した『我国最初のヒマラヤ踏破者、日本チベット学の始祖』(墓碑銘による)河口慧海の墓に詣で、中の橋へ参道を歩いて三山歩きを終えた。


半夏生の二上山(2014.07.02)

2014-07-02 17:04:54 | 山日記

今日は夏至から数えて11日目。暦の上では「半夏生」で、農家ではこの日までに田植えを終える習わしがありました。
明日からはまた梅雨空に帰るというので、丸さん夫妻を誘って二上山へ行きました。

丸さん夫妻は初めての山なので、道の駅「ふたかみパーク當麻」から久しぶりにメインルートを歩きます。8時30分、今日の登山口・葛木二上神社に参拝。二宮金次郎さんの前を左へ歩いて、イノシシ除けの金網を開けて山道に入ります。

気温も湿度も高く、木の階段道をゆっくり登っても体中から汗が噴き出してきます。二上山駅からのコースと合流する地点で小休止して水分補給。

ここからは手摺もある急な道や、なだらかな道と変化もあって、快調に雄岳に着きました。

大津皇子墓所、頂上の葛木二上神社に参拝。少し先の山名板のある広場の木陰でコーヒータイム。

馬ノ背へ下って雌岳へ登る辺りはアジサイが満開でした。少し寄り道しながらカンカン照りの雌岳頂上へ。さすがにこの暑さで人影も少なく、長居は無用としばらく休んで岩屋峠に下ります。春のサザンカの赤い花に変わって、足元の緑の夏草にホタルブクロやオカトラノオの白い色が目立ちます。

平成10年(1998)の台風で倒れた千年杉(岩屋杉)のあった頃を懐かしみながら、岩屋へ行きました。
奈良時代の築造で、この岩屋で中将姫が当麻寺の当麻蔓陀羅を織ったという伝説が残されています。

岩屋の中に、思いがけず「ハンゲショウ」の見事な群落を見ることができました。

ドクダミ科の薬用植物ですが、葉の片面が白いので「カタシログサ」とも呼ばれました。この時期に咲くので「半夏生」の名が付いたとも、「半化粧」の意味だとも言われています。ともあれ、花は目立たない小さなもので葉が花弁の役割をしています。

美しい光景に満足して、岩屋峠から祐泉寺に下りました。途中の水場は上の二つは殆ど涸れていましたが、最後の右の谷から落ちる水は豊富でした。冷たい水で顔を洗い、思う存分喉を潤しました。

大池のカモたちは北へ帰ったようで姿は見えませんでしたが、アヒル君は手を叩くと喜んで池の反対側からやってきました。「はい、今日は忘れんとパンを持ってきたで…」

當麻山口神社に参拝して、傘堂を見て道の駅に帰る途中、中川酒造さんに寄りました。

お土産に「カップトウセン」を買って玄関をでると、見事なハンゲショウの大鉢がありました。見送ってくださったご主人から、今日が暦の「半夏生」と教えて頂きました。

道の駅に帰り「小麦餅」を買いました。「はげっしょ」餅ともいい、「7月初めに田植えを終えた肩休みに『田植えお疲れ様、今年も豊作でありますように』と願って、5月に採れた小麦をつぶして餅米と一緒に搗いた、喉越しさっぱりのお餅」という説明がついています。

ついでですが関西では半夏生にタコを食べる習慣がありますが、香川ではウドンを食べるそうです。今年3度目の二上山ですが、偶然にも半夏生の日に巡りあわせて記憶に残る日になることでしょう。