August, 1981 , I was 22 years old.
It is my first traveling abroad.
例によって facebookに 昔のナッシュビルの写真をアップしました
fuji film, OLYMPUS OM-1
August, 1981 , I was 22 years old.
It is my first traveling abroad.
例によって facebookに 昔のナッシュビルの写真をアップしました
fuji film, OLYMPUS OM-1
フェイスブックで「初めてのアメリカ」の話題がわりと話が弾み たまたま知人からニコンのフィルムスキャナーを譲って頂いたので 古いフィルムをスキャンしてみました
1981年 当時22歳で 成田からNew Yorkへ飛びました
ニューヨークでの写真 数枚をFacebookにUPしております どなたでもご覧になれますので よかったら
昔撮った写真を見ると 「あ~ 成長なんてしてないんやぁ “エエ感じや”って思ったことを 続けることが 大事なんや」 と愚考する次第です
1990 July OLYMPUS OM-1 FUJI NEOPAN SS(以下同じ)
1990年に撮影した写真です 娘のYokoとKanpai氏の息子のyou 今回大阪の家に帰って片づけして古いネガを見つけ 今スキャンしてみました 私の写真の中では“8月の夏の風景”での一番の写真と思っている写真であります 記録によると7月のようですが?
京都の上桂川 こんな風景の中での1コマです
お盆休み 久々に家族4人が集まりました 家族それぞれの近況・悩み いろいろありますが「一緒に会う」ことの大切さを感じた次第です
8月 戦争をはじめ 様々な我々の抱えている問題がクローズアップされます 夏の暑い日 蝉の声 高校野球 お墓参り 航空機事故 入道雲 終戦(敗戦) 夏休みという日常から一歩スタンスを変えた立ち位置が 普段以上に 神経を刺激します
戦争 映画にならない真実があります 戦地での攻防には その前と後があります
叔母さんが入院しておられ 家族そろってお見舞いに行きましたが かえってパワーを頂いた感がありました
穏やかな覚悟・決意 大切であり守らなければならないと 穏やかに考えた次第です
穏やかに主張し 穏やかに聞き入れる勇気を持ちたいものです
「露出計」というよりも 星座早見表のようなつくりで時期・明るさの状況を合わせて適正露出を得る為のものです 亡き父所蔵の1956年から生産された東京光学~トプコンの二眼レフカメラ “Primoflex Automat” に付属していたモノと思われます
今でこそ シャッタースピードも絞りも はたまたピントも自動が当たり前 当時はまだ露出計付きカメラはほとんど登場していませんでした そこで フィルムの紙箱には露出の目安が書かれていました これなどは それより少し精巧にしたモノでしょうか
もちろん計器としての露出計も父はもっておりましたが(それはまた改めて)
自分で判断して決める 古いやり方は新しく面白いモノであります かの木村伊兵衛は 朝出がけに露出計をだし「今日はコレ」と決めて街に出かけて撮影したとか 粋 です
そこまで達人にはなれませんが 「無くても出来る」ことを学びたいモノであります というコトで有升
亡き父の1956年から生産が始まった国産二眼レフカメラ(その話は改めて) その箱の中に 今となっては興味深いモノがありました
ネオパンS ネオパンSSロールフィルムの使い方 と左はネオパンSSSのバージョンであります 当時は自分で現像するのが基本だったのでしょうね
で その箱の中には
これは 8mm 当時の“動画”ですね そのフィルムの現像を出せるところは近くには無く 東京の現像所の送っていたようです
そしてその後
札幌 福岡 大阪にも出来たのでしょうか 大阪へ発送していたと思われますので残ったタグは札幌、福岡であります 札幌は北海道 大阪は名古屋以西 福岡は山口以西 というエリアだったようですね
包み紙や取扱説明書(トリセツ=鳥は恐竜の子孫という説by au), その時と50年後 その価値は 時間軸 現時点流通価格軸 思い込み軸 などなどがあいまってあらたなマーケットを・・・・・・・