橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

圓福殿辧財天

2014年11月21日 | realfeels

「浅草橋」駅徒歩3分の地に、事務所・店舗としても利用可能な分譲マンションを株式会社リアルフィールズにてリノベーション!
22日(土曜日)よりオープンルームを開催いたします。

その浅草橋シティハイツの1階はにある「弁天様」の歴史を御紹介 同じく1階にある弁天湯さんのホームページから(以下転記)

 

圓福殿弁財天の歴史


ここでは、当店の目印であり浅草橋シティハイツの入口にある、 小さな祠『圓福殿弁財天(弁天様)』について掲載します。なお、下記は人づてに語られてきた内容のため、信ぴょう性、正確性は保証できません。

戦前、町には小さな池とお不動様があった。弁天堂はそのお不動様の脇にあり、弁天様の縁日が行われていた。ところが、弁天堂は空襲で燃えてなくなってしまった。

戦後、古老がどこからか弁天様を運んできた。テントで簡易的に弁天様を祀り、縁日も復活した。しかし、今度は道路交通法により弁天様の行き場がなくなってしまった。

弁天様が先にあり、そのことが由来となって当店の名が弁天湯になったのか、弁天湯が既にあり、水に関係のある弁天様を引き取ったかは定かではないが、弁天湯店主(二代目)は銭湯の入口に設置場を設け、行き場のない弁天様を祀った。この頃、縁日は月に3回行われていた。

昭和後期には、縁日が廃すたれてきたため、町の人々で弁天講(*)を作り、当番で弁天様の面倒をみることとなった。お盆の7月15日には年に一度のお祭りが開かれた。

お祭りでは、婦人警官による交通安全指導、花火の取り扱いについての紙芝居や手品などが行われた。お土産には金魚、モナカアイス、お菓子などが子供たちに配られた。

現在は弁天講も廃すたれ、7月15日にお坊さんがお経を上げるだけとなっている。

(*)弁天講
   宮元
   三丁目
   新福
   西浅
   福栄会 の寄付によって行われていた。

以上

1階奥にはその弁天様のお世話をしておられる昔ながらの銭湯「弁天湯」さんがあります。

そんな懐かしさも感じる都心のリノベーション・マンション!


EHAGAKI #293 ≪日々の非常口≫

2014年11月16日 | EHAGAKI

お世話になります

遠くの山々が澄んだ青空に映える今日この頃 寒さも増してまいりましたがお変わりなくお過ごしでしょうか

“慌しさ感”の増す11月も半ば 今回のお題は「2014年のヒット商品を振り返り15年を予測する」であります

でもその前に「日々の非常口」を


■日々の非常口

前回も少し紹介しましたがアメリカ生まれ日本在住の詩人アーサー・ビナードさんのエッセイから


■2014年のヒット商品を振り返り15年を予測する

日刊でメール通信を出し続けておられる澤田さんの「ケメコ通信【おやかまっさんどす】から 日経BPヒット総合研究所上席研究員の品田英雄さんの講演レポートです

 

■ ■ ■ ■ ■


「日々の非常口」
アーサー・ビナード著(新潮文庫)から

■「大まかな好き嫌い」

ぼくは「アバウト」というカタカナ語が好きだ。性格や言動、計画や予定などが「大まか」で「大雑把」なことを表すが、英語を母国語とする人間から見て、型破りの使い方だ。
英語辞典でaboutを引けば、前置詞、副詞、形容詞でもあり、定義がずらずらと並ぶ。

前置詞と副詞のaboutには「ほぼ」「だいたい」「およそ」といった意味が含まれ、about one o'clock といえば「一時ごろ」だ。でも形容詞の場合は、「動きまわっている」ような状態を指し「大雑把」ではない。

「アバウト」を日本語に持ち込んだ人は、その辺の文法なんぞお構いなしに、大胆にも副詞の意を形容詞に化けさせた。たとえるなら「一時ごろ」の「ごろ」を「ごろな人」といった具合に。

むちゃな話ではあるが、aboutという英語は、本質的に大まかな性格なので、文法のルール違反でもカタカナの「アバウト」を否定する気にはなれない。いや、それどころかすぐ合点がいき、やや邪道的な楽しみを覚えながら、好んで使っている。

ぼくの好かないカタカナ語となると「ユビキタス」がトップか。そのもとになった英語の ubiquitousは、キリストが「至る所に存在する」ことを示す宗教用語だ。ただし現在は、真面目に使われるケースは少なく、むしろ ubiquitous mosquitos(逃れられない蚊)のように、皮肉を込めてうざったい存在を形容する場合が多い。

にもかかわらず、情報通信技術を神と勘違いしてしまったのか、日本のある学者が「ユビキタス社会」を提唱し出し、企業と行政がそれを真に受けているらしい。

「いつでもどこでもネットワークに接続できる」新世界と謳い上げるが、本当にそうなったら、人々はいつでも監視下におかれ、個人情報取り放題の状態になるんじゃないか、、、。


■「平和について」

平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ。

アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレー

平和は、戦争をしたがる人の準備のための時間

ホーチミンのガイドのフィさん

人が死ぬと、写真の中のその顔が急に変わる。
目は今までとは違う視線でこっちを見返し、
唇のほほ笑みも別物だ。むかし
ある詩人の葬式から帰宅して私はこのことに気づいた。
その後、何人も亡くし、毎回写真が変わるので、おそらく
でれもがそうなのだ。
ロシアの詩人アンナ・アフマートワ「変わる顔」


■「民主化野郎!」

~電車内で酒を飲み、罵っている人。~
そして川崎駅で、彼は何事もなかったかのようにパッと席を立って降りて行った。カップ酒のゴミもちゃんと持って。

そこでぼくは思った。ののしりと正反対の機能を持つのは、婉曲(えんきょく)だ。消費者をゾッとさせる「狂牛病」を無機質なBSEに言い換えることで恐ろしさが消える。けれど、もし今後「BSE大発生」で拡がれば、次の言い換えを考えるだろうか。

「民主化」という婉曲語は使い古され、もはや煙幕の用をなさないはずだが、それでも政治家は「中東の民主化」などを連呼する。

2003年の攻撃開始から、イラクで殺された民間人の数について、米政府は一切触れない。しかし米ジョンズ・ホプキンス大学の研究グループがその翌年、イラクの各地の医療関係者に依頼した聞き取り調査によれば、犠牲者は十万人をくだらない。

しかも、ファルージャの惨劇については把握し切れず、その死者数は計算に入れなかったという。
つまり、ぼくの母国の軍隊がイラクで民衆を万単位、十万単位で「民主化」している。口汚くののしりたい気持ちは、よくわかる。


■ ■ ■ ■ ■


ケメコ通信VOL.4825【おやかまっさんどす】
「ヒットトレンド」から

■ ■ ■ ■ ■

ということでした

政治家さんは「言い換え=婉曲」の名手 日本人の持つ“良さ”を持ち合わせない人たちが日本の代表 アメリカ批判のアメリカ人が日本的?

「見た目を褒めるんじゃなく内面を褒める」 自分にも相手にも正直でありたいものです


ではまた


お知らせ
グループ写真展に参加させて頂きます
テーマは「神楽坂」 よろしければ

 ■カメラサミット「神楽坂」グループ展

■会期
2014年12月4日(木)から2014年12月9日(火)
13:00-20:00
(初日15:00から、最終日19:00まで)

■カメラをこよなく愛するハイアマチュアの面々が、歴史ある「神楽坂」を
自由に撮り下ろした、初のグループ写真展

■会場
Gallery NIW

〒112-0014 東京都文京区関口1-44-8
東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅 1b出口より徒歩3分
(中央・総武線からの乗り換えは市ヶ谷駅を推奨)
東京メトロ東西線 神楽坂駅 2出口(矢来口)より徒歩11分
都電荒川線 早稲田駅より徒歩12分

■入場無料