暑中お見舞い申し上げます
“そうめん”が出番の季節到来であります
そうめんの常識を疑え、というような話を聞きました
その1:びっくり水
その昔、かまど等火加減の難しい時代の習慣、吹きそうになったら弱火にすればいい
急激に温度を下げると小麦の旨みが引き出せない
その2:氷水
そうめんを氷水に盛り付ける、いかにも涼しげですが、そうめん本来の味が、水や氷の匂いで損なわれるらしいです
そして、ゆで時間は90秒ほどで充分、沸騰したら梅干しを1個入れると麺がしまって美味しいそうです
ご参考に
さて、先週に引き続き「縄文人」の話題であります
参考図書)
■ ■ ■ ■ ■
文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚下ろし」を耳で聞いたメモとネット上にあった書き起こしを参考にしたメモであります
7月11日(月)
おはようございます武田鉄矢です 以下◆
おはようございます水谷加奈です 以下◇
この本を三枚におろしてる時に、遺跡関係のテレビ番組を見て、その話題に乗り換えております
北海道で見つかった縄文遺跡
函館、木の丸太に土の仮面が括りつけてあったというお墓
その木の下を探ってみると黒曜石が何本も出てきた
その黒曜石はそこで採れる黒曜石ではなく、200kmも離れた遠軽町でしか採れないモノだった
鏃(やじり)なんかに使うんですなこの黒曜石、なんと海を越えて、三内丸山からも全く同質の物が出土
千歳のほうの墓の主は、おそらく遠軽と三内丸山、海峡を越えて数百キロの旅をする流通人
◇流通人?
◆黒曜石を運ぶ旅人だったのではないか
◇当時そんな人が居たんですかね?
◆函館のすぐ側の丘の上の村で、この人が倒れ、そこの村人たちが遺品として、この人の運んでた黒曜石をお墓に埋めて弔ったのではないか
そういう説が成り立つ
だから、私共が思ってるより縄文というのは物凄くダイナミックに動いていた
ちなみに青森の三内丸山からは新潟姫川の流域でしか採れない翡翠(ひすい)
それから驚く無かれ、岩手の琥珀(こはく)も発見されてる。
◇琥珀も
◆そこに千キロを越えて物々交換の交易圏があった
縄文というのは、それほど豊かな時代であった
私先週の放送で嘘ついたかもしれませんが、縄文時代というのは1万年続いたと言われております
「2万年」って言っちゃったかな?たしか、1万年です、1万年続いたという
しかも驚く無かれ、この糸魚川の翡翠、新潟の翡翠は出雲・九州まで広がっていたらしい
◇ふ~ん
◆色、知ってるよね?翡翠の色
◇緑っぽい感じですか?
◆いろいろ色あるんだってんね、翡翠って
ただ、縄文人が大事に勾玉として加工するものは緑に決まってるそうで
何で緑に拘ったのかっていうことなんだよな、何だと思う?
◇緑、ヤッパリ自然の色ってコトですか?木々とか、草とか
◆鋭い鋭い「 新緑 」緑の再生を象徴するのが翡翠のグリーンだったんじゃないか
新緑の色、ペパーミントのね
良い感性しとりますなぁ、縄文人は
これは三内丸山でも若い研究者の方に見せてもらった事あんですよ、特別に
三内丸山ってビックリするよ?バスケットがあるんだよ、つるで編んだ
◇編んであるんですか?
◆中にね木の実が入ってたって
◇入れ物として使ってた
◆留めるボタンまであって、木の実でボタン!それがスッゴイ洒落てる
◇えー!そんな時代に,かわいらしいー
◆一番胸を強くうったのが、お子さんが死んだ亡骸のすぐ側に柴犬の骨があった
それは縄文時代、犬は神獣だったらしいんです、神様の使い
お子さんが死ぬと、黄泉の国の道を歩く時に道に迷わないように、子犬を殺して側に埋めた
で、犬っていうのは人を守ってくれる獣である
神社で、神様が居る所を守っている犬は?
◇狛犬(こまいぬ)
◆でしょ!それから家っていう字がありますよね?家っていう漢字一文字がありますよね
「うかんむり」の中にクシャクシャクシャってしてますよね? あれ、犬の亡骸ですよ
◇あ、そう言われると、そう見えてくるんですよねぇ
◆犬を地面に横に埋めて土を被せた後の骨の形が、あの「うかんむり」の中のクシャクシャクシャです
つまり、犬の霊が家を守るんですよ
それから漢字を作った人たちも犬を神獣として扱った民族なんですね
この辺りがアジアの一角にそういう一族が居たっていうコトでしょう、縄文系の人たち
興味持っていただけましたかね?
今週も頑張りたいと思います この続き、また明日のまな板の上で
7月12日(火)
◆勾玉、見たことありますよね
古代人たちが胸辺りに下げて飾っているアクセサリーであります
これは体に身に付けるために、勾玉にはヒモを通す穴が開けられる
これを木のキリを回しながら開けるですがが、1時間に1ミリというスピードなんだって
そういう仕事をもくもくとやるという専門職の人が、もうすでに居たんだろうと
出雲に「 玉造(たまつくり)」っていう「勾玉を作ってた一族が住んでいた」という事で付いた地名が残っております
だから縄文ってのは、職業が分けられた時代なのではないだろうか、と
◇はい
◆さらなる驚き、北海道で今続々と縄文遺跡が見つかってるんです
函館千歳にほど近い、有珠山近くの「 伊達 」
伊達市近郊で発見され、「日本史で初めて縄文の心を発見した」という大発見があった
皆さん北海道新幹線で行って下さいね、良い所ですよ
伊達市郊外で、丘と見違えるほどの「 貝塚 」が発見された
「 有珠-母子里遺跡(うすもじりいせき)」あるいは(うすもしりいせき)
貝塚は今まで貝殻の捨て場だとされていたが、それがどうも間違いであった
一般的に貝塚からは食料の貝の他、アカガイ・バイガイ・タカラガイ等の大型の貝殻で「 貝輪 」コレ貝殻で作ったブレスレットのための貝も捨てられているんです
このモジリ遺跡の圧巻は、この貝塚の下から14人分の骨が発見されたんです
これで伊達市のモジリ遺跡の貝塚は大騒ぎになった
貝殻を捨てたんではなく、集落全体の共同墓地が貝塚だったのではないか、という
驚くべきは、女性の「 屈葬 」
◇屈みこむような感じで
◆膝頭を抱えるような姿勢で埋められていた
20前後だったそうですよ、若者2人
女性に間違いないのは、その腕にベンケイガイとオオツタノハガイ、そしてイモガイという
貝のブレスレットを骨がしてた
このイモガイってのが、驚く無かれ、奄美でしか採れない貝なんだって
◇どうやって来たんだ?
◆流通ですよ、やっぱり何か居たのよ、縄文時代のクール宅急便みたいな人たちがいて、遠~い南の島から、喜ばれる貝を、それこそ黒曜石と交換にやって来たりしてたのではないか
で、この14人分の骨発見から凄い事が分かるんですが、この14人分の骨の中に、60歳の人の骨が見つかった
◇当時、相当長生きですね
◆3千年前、3千ウン百年前、この時代の平均の年齢がおそらく30歳前後であったと言われるから、60歳の女性の骨というは、もう驚異的な長寿の婦人であった
しかもこの婦人、当然といや当然ですが、歯のほとんどを失っていた
でも驚くのはここから、つまり、柔らかいモノを食べさせる食文化があったっていうことなんだ
◇そうか歯が無くても良かったんですもんね
◆そうなんです、歯が無くても生きていける、柔らかい食べ物を彼女には特別に与えた
それからこの14体の骨の中に、いささか骨に異常のある、肢体不自由の人の遺骨が見つかった
これが18歳前後の娘さんだったそうですよ
生まれつきの骨の変形した人なんで、18歳までずーっと介護し続けたんですね、その村全体でね
彼らは、老いた人とか体が生まれつき不自由な人たちを排除しないという、人間観を持っていた
◇あー、そういうのが分かるのか
◆さらにここでまた驚くべきモノが見つかるんですよ
これがね、涙が出そうになるくらい感動すんの
この続き、また明日のまな板の上で
7月13日(水)
◆ゴミ捨て場だと思われていた、それが宗教の場所ではないかという遺跡がまた見つかった
「 水場 」って呼ばれる場所があって、ゴミ捨て場ではないかって言われてたんです
土板(ドバン)、土を焼いた板状のモノが見つかるんだそうです
◇はい
◆新たに北海道で見つかった遺跡のその「 土版」
焼いた土の板には、赤ん坊の手とか足の型、手の型とか足型がその土版に押してあってそれが焼き物で焼いてあるんです
その土版の上のほうには穴が開いてて、ヒモで吊るせるようになってるんです
子供の手形や足形だということが分かって、大島さんたちが研究した結果「死んだ子供の手形じゃないか、足形じゃないか」って
いわゆる墓標として、そういうモノを残しといて、家に吊るしてたんじゃないか、と
◇ふ~ん
◆これは親心だろ
ある一定の時間が経つと、その土版も水場という所に砕いて、水が流れている場所なんで、それを割って流して「また循環して戻ってこい」といういう
再生の儀式のために割ったんではないか、土偶等もことごとく割られてる
おそらく子供を亡くした親たちが、せつなくて、土偶を作って「再度、巡り産まれてこい」っていう意味で作った物を祈って割って捨てることによって、循環の大自然の中に置いた、という
◆「帰ってくるんだ、死に別れた人がまた別の命を得て戻ってくる」という、大きな宗教観を縄文人たちは持っていたのではないだろうか
で、昔の侍とかね、例えば古代人たちは何を思ったか
「ここで自分の分は終わるけど、また生まれ変わってもう1回ここに来るかもしれない」という設定のもとで生きてる
で、その岡潔(おかきよし)っていう人がね
「人間の思いとか人間の願いっていうモノが、たかだか60年70年の人生で完成できるはずがない」
「ということは、また戻ってくると思いながら生きたほうがいい」
「でないとヤッパり60、70になるとやたら焦るから、そんな簡単に人間て出来上がるもんじゃない」と言った
つまらないことで落ち込むのよ
これが「老いる」っていうことなんだね
打っても打ってもね、ゴルフボールが曲がるのよ
◇アハハ(笑)ゴルフ
◆そりゃ練習するよ、上手になりたいから
だけどさ、千発打ってさ「まだ目標までいかない」っていう「 己 」っていうのを引きずって家に帰る時に
もう一生上手くならないんじゃねえかと思うと
もうそんなに無いからさ、ゴルフできる年月が
落ち込むのよ結構、そのゴルフ1個でも、夜半に目覚めてさ
◇そうか、昔だったら「まあ、まだ先がある」と思えるけど
◆そうよ!「あしーたがあるさ 明日がある」
だけど60もね、もう真ん中過ぎたわけで、そんなにたくさん明日も無いんだよ
「何だまだ完成しないの俺、たかだが遊びのゴルフが」と思うと、何もかも完成しないんだよね
フッとね滅入る時があるの
そん時に岡潔が言った「ここで終わると思うからさ」という
次の生の流れに、循環に入るかもしれないから
昔の人たちはそれを思ったから死に際が見事だったんじゃないのか、って
岡潔っていう数学者がポツンと言った時にさ
どう考えるかの問題だったらば、上手くいかない事を今箇条書きにしといて
しっかり年取ったら覚えておこうと、それが次生まれてくる時の己のテーマだって
◇あ、面白い!その考え方
◆縄文の考え方の一端なんでありますが、そんなふうにして考えるとね
命を水に流し、循環に戻すという
この続き、また明日のまな板の上で
7月14日(木)
◆余談に余談を継ぎましょう
北海道伊達辺りで見つかった土版の遺跡、縄文遺跡の、土の板に死んだ赤ん坊の手形とか足型を焼き物にして、家の中に置いた
死んだ赤ん坊、子供の手形足形を縄文の親たちは見つめて、切なくなってたんでしょう
これは武田の考えですよ
黄河流域に「殷」という古代文明が今から3千年ほど前に興りました
この殷という文化文明の凄い所は「 甲骨文字 」亀の甲羅に刻んだ、まあ絵文字から漢字という大文明を興すわけであります
「 親 」という字、書けますね?
◇親?はい
◆「子供の帰りが遅いと親は心配し、木の上に立って見る」
「だから( 親 )って言うんだ」
これ金八先生の説だったんですが、金八先生は嘘を言っとりましたですね
◇あはは(笑)案外、金八先生嘘多い
◆意外と多いんです
白川静先生が言っておるんですが
「じゃあ、何で(新)って文字は木の上に立って斧持ってんだ」
◇あー「新」そうか、右側「斧」か
◆横の「木の上に立つ」っていう字が、なんとなく「 辛 」(ツラい)に見えません?
◇あー「 辛 」にちょっと足してるような感じですね
◆これはですね「 針 」なんですよ、実は
◇はり?
◆手持つ所、取っ手のある針、それをですね木に向かって投げつけるんですよ
で、その針が木に刺さります、それが親という字の左側です
その木、針を投げつけた木を持って帰って、そこに死んだ人の名前を書くんですよ、木に
それを家の中に置いてジーッと見ているという、つまり位牌を作るんです、親の位牌が多いですよね、子にとって
それ故に親という字になったではないかっていう
◇全然、立って木を見てない感じ、、、
◆じゃ「 新 」っていうのは何かって言うと
その木を斧で切りますよね?そうすると木の新しい匂いがするんで「新」(あたらしい)なんですよ。
◇へぇ~
◆私がハッとしたのは「土版に子供の手形足型を付けて墓標とした」っていうのと「木に親の名を書いて懐かしんだ」という
その2つの文明が、この木と土の違いこそあれ、重なるような気がいたしましてね、縄文土版との共通を感じさせるわけであります
この辺り、縄文はもっと大きな思想で、アジアから東アジアを語れるテーマを持ってるような気がします
ナウマンさん、ドイツのこの人は、縄文学「日本縄文学」という学問を新しく興した人なんでありますが、振り返ると、巨大な学問であろうかと思います
最後のほうになってしまいましたけども、この本の中で大島直行さんが、縄文というのは「粗末に扱われたんだ」と
今、歴史の本でも縄文って乱暴だよなぁ
◇縄文・弥生はスッと通り過ぎますよ
◆縄文もわりと見下した見方ですよね、先生たちはね
「中国では、三国志、、、」とかね
「秦の始皇帝が生まれてる頃、日本人は猪の皮を被ってキャッキャ・キャッキャやっとりました」
とかね
「トンデモナイ!文明として、縄文というのは相当優秀な、、、」
この本の著者の大島さんは「縄文の存在の凄さっていうのを発見したのは、真に残念なことに、考古学の先生ではなくて、前衛芸術家の岡本太郎だ」という
岡本さんって好きなのね、縄文が
◇ま、でも確かに作品を見ると
◆その縄文の土器に込められてる生命感や躍動感、心、あるいは縄文の情緒を発見したのは、考古学者ではなくて、前衛芸術家・岡本太郎だっていう
その事に関して、我々考古学者はもっともっと恥じいて、岡本さんに負けないように縄文を研究すべきである、と
狩猟の民という自覚を持つ彼らは、狩る獲物である動物を、敵であると同時に、糧として生きなければならないという、命の矛盾を知っていた
その中で彼らはその矛盾を「神の支配故」という宗教にしたのである
明朗で屈託のない生き方、それが縄文土器に滲み出ている
こう、折り紙をつけたのは考古学者ではなくて、岡本太郎なんです
この続き、また明日のまな板の上で
7月15日(金)
自分の神様を自分で勝手に解釈して、自分の意味・価値を決める
そういうものが今、世界に戦いを起こしている
また日本史・世界史共に、戦いを記録する歴史になっている
弥生時代の前の縄文時代が歴史年表で隙間が多いのは、あるべき戦いの痕跡がないからである
つまり歴史解釈そのものが戦争を解釈すること、そのことにあまりにも重きを置きすぎているのである
戦争と技術生産力の発展、制度の複雑化の過程
美と神を自ら作らねばならないという、そういうエネルギーに満ち溢れた1万年の王国
それが縄文時代だったのである
◇美しい1万年だったのかもしれませんねぇ
◆かもしれないですね、ほんと昨今の歴史解釈は、戦争をどう解釈するかですな
その事にずいぶん私共は無駄なエネルギーを使っている
縄文のほうが遥かに文明としては純粋で澄み切ってるのではないか
神話的ではありますが、熊本のエリアで大きな地震がありました 私はものすごく感動したことがあります
阿蘇神社という神社の山門が崩れ落ちてしまいました
ところが門前の町の人々は、自分たちに被害が少なかったことに寄せて、「阿蘇神社が自分たちのために犠牲になってくれたんだ」
そう言いながら皆手を合わせているらしいです、美しい発想だと思います
そう考えますと瓦屋根を落とした熊本城も懸命に熊本市民の命を守るべく立ち尽くして、地震と戦ったのではないか、と思いますと、一種神話の象徴ではないかと思えたりするんですな
そういう縄文的エネルギーが熊本にはあるような気がします
また、自分の目で見たんですが、福岡にね九州大学、国立大学、ここ優秀なんです
それがね全部移転して「 糸島 」っていう、半島の真ん中、みかん畑潰してね、3万人の学園都市が今福岡に出来上がりつつある
◆全部引き上げて、そこをテレビの取材で行ったのよ
ボロボロ遺跡が出てくるの、前方後円墳とか
糸島、そう!邪馬台国の伊都国の後ですよ!この糸島ってエリアがね
九州大学の校内を歩いてて一番驚いたのは、イスラム圏の学生さんが多い
食堂に行くとイスラム圏の方々は豚肉等々とかがね、とんこつラーメンとかダメでありますから
イスラム圏の人たちの食事の列があるんです
◇えっ~
◆で、そこはイスラム教で許された食物を、食堂のおばちゃんたちが作るんです
だからマレーシア等々の東南アジア、アジア圏のイスラム教の人と、中東からも続々と九州大学に集まってきてるんです
◇そんなに多いんですか?今
◆アッと驚いたのは、講義やってる最中、時間になったらお祈りに行ってもいいの
それで大教室の脇にメッカの方角を向いたお祈り場が用意してあるんです
◇え~ビックリ、そんな徹底して作られてるんですか
◆ビックリでしょ、イスラムには深い理解を
「イスラムの人たちも、この九州大学をすごく大事に思ってくれてます」って教務課の人が胸を張ってました
◇それは素晴らしいですねぇ
◆これもある意味で九州・福岡が持つ、あの伊都国からの伝統で、縄文のエネルギー渦巻く邪馬台国の流れがあるような気がする訳です
そんなこんな考えますと、我々の体内に残っているあるエネルギー、それが縄文に繋がるとね、スゴく落ち着くような気がいたします
自分の人生観・生命感も含めまして、縄文という時代からもっとたくさんの汲み上げが出来るんじゃないか、と思ってね
あのね、水素で車を走らせるとかっていう、水素エネルギーの車のトップバッターなんですって今
◇九州大学が?へぇ~
◆それで例の有名な日本の自動車メーカーがバッチリついてて、アジア圏の学生が集まってて、最も熱心なのは、中国の学生さん、真面目に勉強してるのね、中国の学生さんたちが、感動するくらい、オレ感動したなぁ
◇そうなんだぁ
◆で、嬉しくなったのは、東京にわざわざ勉強に行かなくても、九州大学辺りに行きますと、世界最先端の勉強ができるのと、安い!
◇安い?
◆食い物が、安い!
◇「物価が」ってコトですか?家賃も高いしね、東京は
◆安いんですよ、福岡
そういう意味で、学生さんたちの良い環境がね
あの、熊本にもありますからね
■ ■ ■ ■ ■
ということでした
縄文、なかなか興味深い時代だと思います
これからの社会、生き方、そういったコトを考える上で参考にすべき、と愚考する次第です
ではまた