橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #334 ≪献杯≫

2016年07月27日 | EHAGAKI

お世話になります

最近、子供たちや嫁さんがお世話になった方が闘病の末、亡くなられました

そのせいか、永六輔さんや大橋巨泉さんの話題に関心が向きます 

 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

永六輔さん
「くり煎餅知ってる?」

「くり煎餅? くりのお煎餅?」

永六輔さん

「駄菓子に近いんだけど、くり煎餅っていう煎餅があるの。くりの形してんの。ところが、このくり煎餅にはくりが入ってないの。入ってないのにくり煎餅って言うのはおかしいって公取(公正取引委員会)から入ったんですよ。

くり煎餅屋さんは困って『永さん、何とかしてください』。」

 「別にくりの形してたらいいかなって。」

永六輔さん

「お役人と闘うってこういうことかと思った。僕も交渉に行きました。

うぐいす餅って、うぐいす入ってませんよ。

キリンビールって、キリン入ってませんよ。

ブルドックソースって、ブルドック入ってませんよって。

お役人が法律を決めるときに、文化っていうことを考えないってこと。零細企業ですよ、くり煎餅屋さんなんて。」

2016年7月19日放送:NHKクローズアップ現代

“ともだち あなた 戦う心”
~永六輔・最期の言葉~
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3840/3.html


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

ラジオ番組での発言です

こんな反骨精神こそが、見習うべきコト、と愚考しております

永六輔さん、その昔京都の宵々山コンサートで観たり、テレビで見たり、本で読んだり、音楽、文化、仕事について随分影響を受けてます

今回のお題は「永六輔さん」 WEBやメールから拾った情報を集めてみました
※御本人の言葉や取り上げた話題等混在しております

 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


◆名言

人間、ヒマになると悪口を言うようになります。悪口を言わない程度の忙しさは大事です。

政治家の常識は、国民の非常識。同じことです。医者の常識は、患者の非常識なんです。

資本主義といえば、経済の弱肉強食を認めることですよね。それなら政治には、せめて弱者救済をしてもらわなければいけない。

民主主義というのはゆっくり機能するものなのです。テキパキやりたいなら独裁主義にしないとねェ。

知識がありゃいいってもんじゃない。その知識を生かす智恵がなきゃ。

◆怒りの途中退場事件

「大往生」の大ヒットの最中に起こったお騒がせ事件であった。後年、永が「徹子の部屋」に出演した際、事件の一連の顛末を話していた。

永に、テレビ朝日のワイドショー番組「こんにちは2時」から出演のオファーがあった。「発売から3ヶ月以内での、著者のテレビ出演は本の宣伝になってしまうのでやるべきではない」との考えである永は「『大往生』の名前を使わなければ構わない」と返答し出演のオファーを受けた。

そして出演・放映当日、新聞の番組表での番組サブタイトルには「永六輔・大往生、死に方教えます!」と載っていた。これでは本の宣伝になってしまうと考えた永はスタッフに抗議。

本番前の話し合いの結果「冒頭部で『新聞に掲載されている内容と異なる』旨をアナウンスする」ということで話がまとまった。

そして生放送が始まったが、番組冒頭部で『新聞に掲載されている内容と異なる』旨のアナウンスはされなかった。

フォーマット通りに番組は進行し、ようやく永の出演の出番となったが、本番前の話し合いの約束を破られたと思った永は、出番の冒頭部で 

「皆さんでやってください。僕失礼します。」

 と言って席を立ち、生放送中のスタジオを去っていった。そして番組は、永のいないまま進行していった。 Wikipediaから

◆名言

ひとりぽっちの孤独よりも大勢の中の孤独のほうが悲しい。

貧乏ひまなしならいいんだよ。貧乏でひまがあると、、、淋しいよ。

若いうちは貧乏がいいです。貧乏は歳をとってから経験するものではありません。

10代の夫婦はセックス夫婦、20代の夫婦は愛で結ばれる夫婦、30代の夫婦は努力して夫婦、40代の夫婦は我慢の夫婦、50代の夫婦はあきらめの夫婦、60代の夫婦は感謝しあう夫婦。

愛することの反対は、憎み合うことではありません。無関心になることです。

いいですか、夫婦ったってアカの他人ですよ。アカの他人同士が起こす奇跡、それが夫婦というものです。

人間は愛しているか、愛されているか、どっちかでないと辛いね。

叱ってくれる人がいなくなったら、探してでも見つけなさい。

◆商人

お客様は常に正しいのです、もし、お客様が間違っているとします、それは間違っていることが正しいのです。

わてら商人はお客様に頭を下げているんとちゃいます、お客様のくださるお金に頭をさげてるんですわ、「ようこそ・お越しやす」って。

農作物も、ブルセラも、作った人、使った人の顔が見えるものが、高く売れるんです。

以前なら都会にいけないと買えなかった品が、自由に買えるのである、店が無いという商売は新しいわけではない、商売の歴史では、そもそも店は無く、売り歩いていたのだから。

◆職人

「私もいっぱしの大工になりました」って威張っている職人がいたけど、「いっぱし」というのは、「いちばんはしっこ」ということなんだよね。威張って言う台詞じゃない。

いいかい、仕事は金脈じゃない、人脈だぞ。人脈の中から金脈を探せよ。金脈の何かから人脈を探すなよ。

職業に貴賤はないと思うけど、生き方には貴賤がありますねェ。

目立たないように生きる、昔はそういう考え方でしたよね。いまは、目立つように生きる、そうなってますわね。

職人が愛されるっていうんならいいですよ。でも、職人が尊敬されるようになっちゃァ、オシマイですね。

◆商人の道

農民は連帯感に生きる、安定を求める、安全を欲する、土着を喜ぶ、商人は孤独を生き甲斐にすべては競争者である、不安定こそ利潤の源泉、喜ばねば成らぬ、危険な世界を求めよ、どこからでも養分を吸いあげる浮き草でなければならぬ、他人の道は自分の道ではないというのが商人の道である。

◆糸井 重里さん

永六輔さんは、ぼくは「作詞家」として、もっともすごいなーと思ってきました。いわゆる「詩的」に見えやすいことばを、上手によけて、みごとな世界を、つくるんです。

「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」、これらの歌が、人の心のありようまで生んだ。

「帰ろかな 帰るのよそうかな」‥もう、これだけで完成されてる。

「こんにちは赤ちゃん わたしがママよ」というシチュエーションは、ずっと前からあったんだけど、その場面に、「こんにちは赤ちゃん わたしがママよ」というタイトルができちゃった。以降、赤ちゃんを生んだママは、その場面をそのタイトルで見るようになった。 

「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように」悲しみのなかで、どんな態度をとるのか? 永六輔さんのアイディアは、これだった。たくさんの人が、それをまねしようと思うようになった。

「知らない町を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」そう思うことさえも、永六輔さんのアイディアだったとわかる。

「いい湯だな アハハ いい湯だな」それ以上、なにがいえようという大きな容れ物。

◆商人

安売りをして儲かるってことは、安売りじゃないってことでしょう、どうしてそこがわからないんでしょう。

「安いから買う」じゃいけません、「高くても買う」のが買物です、「欲しいから買う」じゃいけません、「必要だから買う」のが買物です。

売場を拡げると品数が増えます、品数が増えると、質にかかわっていられなくなります、そういう店が増えました。

ヤーさんというんですか、やくざは経済評論家より目先がききますから、景気のいい町にしかいません、金の動く場所にはかならず群がっています。

不景気は最初にデパートで兆しがあらわれてきましてね、最後に来るのがスーパー・マーケットです、オシャレからはじまって食費にきたら、、、これは本当に不景気です。

「安い・高い」で商売していた時代は楽でした、最近の客は「好き・嫌い」ですからね、これはむずかしい商売です。

商売は、約束を守ることで信用をつくることが一番大切です。

◆名言

人間、今が一番若いんだよ。

人間と違って、動物が死んでも気楽なのは、ペットには遺産がありませんから。

生きているということは、誰かに借りをつくること。生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと。

子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの 来た道 行く道 二人旅 これから通る今日の道 通り直しのできぬ道

死ぬことについて心配することはありませんよ。ちゃーんと死にますから安心しなさい。


 ◆  ◆  ◆  ◆  ◆

ということでした

ご冥福をお祈りする、ということは、自分と向き合うことでもある、と愚考している今日この頃です

ではまた


EHAGAKI #333≪縄文人その2≫

2016年07月19日 | EHAGAKI
暑中お見舞い申し上げます
 
“そうめん”が出番の季節到来であります
そうめんの常識を疑え、というような話を聞きました
 
その1:びっくり水
その昔、かまど等火加減の難しい時代の習慣、吹きそうになったら弱火にすればいい
急激に温度を下げると小麦の旨みが引き出せない
その2:氷水
そうめんを氷水に盛り付ける、いかにも涼しげですが、そうめん本来の味が、水や氷の匂いで損なわれるらしいです
 
そして、ゆで時間は90秒ほどで充分、沸騰したら梅干しを1個入れると麺がしまって美味しいそうです
ご参考に
 
さて、先週に引き続き「縄文人」の話題であります
 
参考図書)
月と蛇と縄文人
大島 直行
寿郎社

 ■  ■  ■  ■  ■

文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚下ろし」を耳で聞いたメモとネット上にあった書き起こしを参考にしたメモであります
 
7月11日(月)

おはようございます武田鉄矢です 以下◆
おはようございます水谷加奈です 以下◇
 
◆大島直行さんがお書きになりました 『月と蛇と縄文人』 寿郎社から出ております
この本を三枚におろしてる時に、遺跡関係のテレビ番組を見て、その話題に乗り換えております
北海道で見つかった縄文遺跡
函館、木の丸太に土の仮面が括りつけてあったというお墓
その木の下を探ってみると黒曜石が何本も出てきた
その黒曜石はそこで採れる黒曜石ではなく、200kmも離れた遠軽町でしか採れないモノだった
鏃(やじり)なんかに使うんですなこの黒曜石、なんと海を越えて、三内丸山からも全く同質の物が出土
千歳のほうの墓の主は、おそらく遠軽と三内丸山、海峡を越えて数百キロの旅をする流通人
 
◇流通人?
 
◆黒曜石を運ぶ旅人だったのではないか
 
◇当時そんな人が居たんですかね?
 
◆函館のすぐ側の丘の上の村で、この人が倒れ、そこの村人たちが遺品として、この人の運んでた黒曜石をお墓に埋めて弔ったのではないか
そういう説が成り立つ
だから、私共が思ってるより縄文というのは物凄くダイナミックに動いていた
ちなみに青森の三内丸山からは新潟姫川の流域でしか採れない翡翠(ひすい)
それから驚く無かれ、岩手の琥珀(こはく)も発見されてる。
 
◇琥珀も
 
◆そこに千キロを越えて物々交換の交易圏があった
縄文というのは、それほど豊かな時代であった
私先週の放送で嘘ついたかもしれませんが、縄文時代というのは1万年続いたと言われております
「2万年」って言っちゃったかな?たしか、1万年です、1万年続いたという
しかも驚く無かれ、この糸魚川の翡翠、新潟の翡翠は出雲・九州まで広がっていたらしい
 
◇ふ~ん
 
◆色、知ってるよね?翡翠の色
 
◇緑っぽい感じですか?
 
◆いろいろ色あるんだってんね、翡翠って
ただ、縄文人が大事に勾玉として加工するものは緑に決まってるそうで
何で緑に拘ったのかっていうことなんだよな、何だと思う?
 
◇緑、ヤッパリ自然の色ってコトですか?木々とか、草とか
 
◆鋭い鋭い「 新緑 」緑の再生を象徴するのが翡翠のグリーンだったんじゃないか
新緑の色、ペパーミントのね
良い感性しとりますなぁ、縄文人は
これは三内丸山でも若い研究者の方に見せてもらった事あんですよ、特別に
三内丸山ってビックリするよ?バスケットがあるんだよ、つるで編んだ
 
◇編んであるんですか?
 
◆中にね木の実が入ってたって
 
◇入れ物として使ってた
 
◆留めるボタンまであって、木の実でボタン!それがスッゴイ洒落てる
 
◇えー!そんな時代に,かわいらしいー
 
◆一番胸を強くうったのが、お子さんが死んだ亡骸のすぐ側に柴犬の骨があった
それは縄文時代、犬は神獣だったらしいんです、神様の使い
お子さんが死ぬと、黄泉の国の道を歩く時に道に迷わないように、子犬を殺して側に埋めた
で、犬っていうのは人を守ってくれる獣である
神社で、神様が居る所を守っている犬は?
 
◇狛犬(こまいぬ)
 
◆でしょ!それから家っていう字がありますよね?家っていう漢字一文字がありますよね
「うかんむり」の中にクシャクシャクシャってしてますよね? あれ、犬の亡骸ですよ
 
◇あ、そう言われると、そう見えてくるんですよねぇ
 
◆犬を地面に横に埋めて土を被せた後の骨の形が、あの「うかんむり」の中のクシャクシャクシャです
つまり、犬の霊が家を守るんですよ
それから漢字を作った人たちも犬を神獣として扱った民族なんですね
この辺りがアジアの一角にそういう一族が居たっていうコトでしょう、縄文系の人たち
 
興味持っていただけましたかね?
 
今週も頑張りたいと思います この続き、また明日のまな板の上で
 
7月12日(火)
 
◆勾玉、見たことありますよね
古代人たちが胸辺りに下げて飾っているアクセサリーであります
これは体に身に付けるために、勾玉にはヒモを通す穴が開けられる
これを木のキリを回しながら開けるですがが、1時間に1ミリというスピードなんだって
そういう仕事をもくもくとやるという専門職の人が、もうすでに居たんだろうと
 
出雲に「 玉造(たまつくり)」っていう「勾玉を作ってた一族が住んでいた」という事で付いた地名が残っております
だから縄文ってのは、職業が分けられた時代なのではないだろうか、と
 
◇はい
 
◆さらなる驚き、北海道で今続々と縄文遺跡が見つかってるんです
函館千歳にほど近い、有珠山近くの「 伊達 」
伊達市近郊で発見され、「日本史で初めて縄文の心を発見した」という大発見があった
皆さん北海道新幹線で行って下さいね、良い所ですよ
 
伊達市郊外で、丘と見違えるほどの「 貝塚 」が発見された
「 有珠-母子里遺跡(うすもじりいせき)」あるいは(うすもしりいせき)
 
貝塚は今まで貝殻の捨て場だとされていたが、それがどうも間違いであった
 
一般的に貝塚からは食料の貝の他、アカガイ・バイガイ・タカラガイ等の大型の貝殻で「 貝輪 」コレ貝殻で作ったブレスレットのための貝も捨てられているんです
このモジリ遺跡の圧巻は、この貝塚の下から14人分の骨が発見されたんです
 
これで伊達市のモジリ遺跡の貝塚は大騒ぎになった
貝殻を捨てたんではなく、集落全体の共同墓地が貝塚だったのではないか、という
驚くべきは、女性の「 屈葬 」
 
◇屈みこむような感じで
 
◆膝頭を抱えるような姿勢で埋められていた
20前後だったそうですよ、若者2人
女性に間違いないのは、その腕にベンケイガイとオオツタノハガイ、そしてイモガイという
貝のブレスレットを骨がしてた
このイモガイってのが、驚く無かれ、奄美でしか採れない貝なんだって
 
◇どうやって来たんだ?
 
◆流通ですよ、やっぱり何か居たのよ、縄文時代のクール宅急便みたいな人たちがいて、遠~い南の島から、喜ばれる貝を、それこそ黒曜石と交換にやって来たりしてたのではないか
で、この14人分の骨発見から凄い事が分かるんですが、この14人分の骨の中に、60歳の人の骨が見つかった
 
◇当時、相当長生きですね
 
◆3千年前、3千ウン百年前、この時代の平均の年齢がおそらく30歳前後であったと言われるから、60歳の女性の骨というは、もう驚異的な長寿の婦人であった
しかもこの婦人、当然といや当然ですが、歯のほとんどを失っていた
でも驚くのはここから、つまり、柔らかいモノを食べさせる食文化があったっていうことなんだ
 
◇そうか歯が無くても良かったんですもんね
 
◆そうなんです、歯が無くても生きていける、柔らかい食べ物を彼女には特別に与えた
それからこの14体の骨の中に、いささか骨に異常のある、肢体不自由の人の遺骨が見つかった
これが18歳前後の娘さんだったそうですよ
生まれつきの骨の変形した人なんで、18歳までずーっと介護し続けたんですね、その村全体でね
彼らは、老いた人とか体が生まれつき不自由な人たちを排除しないという、人間観を持っていた
 
◇あー、そういうのが分かるのか
 
◆さらにここでまた驚くべきモノが見つかるんですよ
これがね、涙が出そうになるくらい感動すんの
 
この続き、また明日のまな板の上で
 
7月13日(水)
 
◆ゴミ捨て場だと思われていた、それが宗教の場所ではないかという遺跡がまた見つかった
「 水場 」って呼ばれる場所があって、ゴミ捨て場ではないかって言われてたんです
土板(ドバン)、土を焼いた板状のモノが見つかるんだそうです
 
◇はい
 
◆新たに北海道で見つかった遺跡のその「 土版」
焼いた土の板には、赤ん坊の手とか足の型、手の型とか足型がその土版に押してあってそれが焼き物で焼いてあるんです
その土版の上のほうには穴が開いてて、ヒモで吊るせるようになってるんです
子供の手形や足形だということが分かって、大島さんたちが研究した結果「死んだ子供の手形じゃないか、足形じゃないか」って
いわゆる墓標として、そういうモノを残しといて、家に吊るしてたんじゃないか、と
 
◇ふ~ん
 
◆これは親心だろ
ある一定の時間が経つと、その土版も水場という所に砕いて、水が流れている場所なんで、それを割って流して「また循環して戻ってこい」といういう
再生の儀式のために割ったんではないか、土偶等もことごとく割られてる
おそらく子供を亡くした親たちが、せつなくて、土偶を作って「再度、巡り産まれてこい」っていう意味で作った物を祈って割って捨てることによって、循環の大自然の中に置いた、という
 
◇ほぉー
 
◆「帰ってくるんだ、死に別れた人がまた別の命を得て戻ってくる」という、大きな宗教観を縄文人たちは持っていたのではないだろうか
 
こういうの考えこむよなー
で、昔の侍とかね、例えば古代人たちは何を思ったか
「ここで自分の分は終わるけど、また生まれ変わってもう1回ここに来るかもしれない」という設定のもとで生きてる
 
で、その岡潔(おかきよし)っていう人がね
「人間の思いとか人間の願いっていうモノが、たかだか60年70年の人生で完成できるはずがない」
「ということは、また戻ってくると思いながら生きたほうがいい」
「でないとヤッパり60、70になるとやたら焦るから、そんな簡単に人間て出来上がるもんじゃない」と言った
 
つまらないことで落ち込むのよ
これが「老いる」っていうことなんだね
打っても打ってもね、ゴルフボールが曲がるのよ
 
◇アハハ(笑)ゴルフ
 
◆そりゃ練習するよ、上手になりたいから
だけどさ、千発打ってさ「まだ目標までいかない」っていう「 己 」っていうのを引きずって家に帰る時に
もう一生上手くならないんじゃねえかと思うと
もうそんなに無いからさ、ゴルフできる年月が
落ち込むのよ結構、そのゴルフ1個でも、夜半に目覚めてさ
 
◇そうか、昔だったら「まあ、まだ先がある」と思えるけど
 
◆そうよ!「あしーたがあるさ 明日がある」
だけど60もね、もう真ん中過ぎたわけで、そんなにたくさん明日も無いんだよ
 
「何だまだ完成しないの俺、たかだが遊びのゴルフが」と思うと、何もかも完成しないんだよね
フッとね滅入る時があるの
 
そん時に岡潔が言った「ここで終わると思うからさ」という
次の生の流れに、循環に入るかもしれないから
昔の人たちはそれを思ったから死に際が見事だったんじゃないのか、って
岡潔っていう数学者がポツンと言った時にさ
どう考えるかの問題だったらば、上手くいかない事を今箇条書きにしといて
しっかり年取ったら覚えておこうと、それが次生まれてくる時の己のテーマだって
 
◇あ、面白い!その考え方
 
◆縄文の考え方の一端なんでありますが、そんなふうにして考えるとね
命を水に流し、循環に戻すという
 
この続き、また明日のまな板の上で
7月14日(木)
 
◆余談に余談を継ぎましょう
北海道伊達辺りで見つかった土版の遺跡、縄文遺跡の、土の板に死んだ赤ん坊の手形とか足型を焼き物にして、家の中に置いた
死んだ赤ん坊、子供の手形足形を縄文の親たちは見つめて、切なくなってたんでしょう
これは武田の考えですよ
黄河流域に「殷」という古代文明が今から3千年ほど前に興りました
この殷という文化文明の凄い所は「 甲骨文字 」亀の甲羅に刻んだ、まあ絵文字から漢字という大文明を興すわけであります
 
「 親 」という字、書けますね?
 
◇親?はい
 
◆「子供の帰りが遅いと親は心配し、木の上に立って見る」
「だから( 親 )って言うんだ」
これ金八先生の説だったんですが、金八先生は嘘を言っとりましたですね
 
◇あはは(笑)案外、金八先生嘘多い
 
◆意外と多いんです
白川静先生が言っておるんですが
「じゃあ、何で(新)って文字は木の上に立って斧持ってんだ」
 
◇あー「新」そうか、右側「斧」か
 
◆横の「木の上に立つ」っていう字が、なんとなく「 辛 」(ツラい)に見えません?
 
◇あー「 辛 」にちょっと足してるような感じですね
 
◆これはですね「 針 」なんですよ、実は
 
◇はり?
 
◆手持つ所、取っ手のある針、それをですね木に向かって投げつけるんですよ
で、その針が木に刺さります、それが親という字の左側です
その木、針を投げつけた木を持って帰って、そこに死んだ人の名前を書くんですよ、木に
それを家の中に置いてジーッと見ているという、つまり位牌を作るんです、親の位牌が多いですよね、子にとって
それ故に親という字になったではないかっていう
 
◇全然、立って木を見てない感じ、、、
 
◆じゃ「 新 」っていうのは何かって言うと
その木を斧で切りますよね?そうすると木の新しい匂いがするんで「新」(あたらしい)なんですよ。
 
◇へぇ~
 
◆私がハッとしたのは「土版に子供の手形足型を付けて墓標とした」っていうのと「木に親の名を書いて懐かしんだ」という
その2つの文明が、この木と土の違いこそあれ、重なるような気がいたしましてね、縄文土版との共通を感じさせるわけであります
 
この辺り、縄文はもっと大きな思想で、アジアから東アジアを語れるテーマを持ってるような気がします
ナウマンさん、ドイツのこの人は、縄文学「日本縄文学」という学問を新しく興した人なんでありますが、振り返ると、巨大な学問であろうかと思います
 
最後のほうになってしまいましたけども、この本の中で大島直行さんが、縄文というのは「粗末に扱われたんだ」と
今、歴史の本でも縄文って乱暴だよなぁ
 
◇縄文・弥生はスッと通り過ぎますよ
 
◆縄文もわりと見下した見方ですよね、先生たちはね
「中国では、三国志、、、」とかね
「秦の始皇帝が生まれてる頃、日本人は猪の皮を被ってキャッキャ・キャッキャやっとりました」
とかね
 
「トンデモナイ!文明として、縄文というのは相当優秀な、、、」
この本の著者の大島さんは「縄文の存在の凄さっていうのを発見したのは、真に残念なことに、考古学の先生ではなくて、前衛芸術家の岡本太郎だ」という
岡本さんって好きなのね、縄文が
 
◇ま、でも確かに作品を見ると
 
◆その縄文の土器に込められてる生命感や躍動感、心、あるいは縄文の情緒を発見したのは、考古学者ではなくて、前衛芸術家・岡本太郎だっていう
その事に関して、我々考古学者はもっともっと恥じいて、岡本さんに負けないように縄文を研究すべきである、と
 
狩猟の民という自覚を持つ彼らは、狩る獲物である動物を、敵であると同時に、糧として生きなければならないという、命の矛盾を知っていた
 
その中で彼らはその矛盾を「神の支配故」という宗教にしたのである
明朗で屈託のない生き方、それが縄文土器に滲み出ている
こう、折り紙をつけたのは考古学者ではなくて、岡本太郎なんです
 
この続き、また明日のまな板の上で
 
7月15日(金)
 
◆大島直行さんのこの本の締めくくりの言葉
 
自分の神様を自分で勝手に解釈して、自分の意味・価値を決める
そういうものが今、世界に戦いを起こしている
 
また日本史・世界史共に、戦いを記録する歴史になっている
弥生時代の前の縄文時代が歴史年表で隙間が多いのは、あるべき戦いの痕跡がないからである
 
つまり歴史解釈そのものが戦争を解釈すること、そのことにあまりにも重きを置きすぎているのである
戦争と技術生産力の発展、制度の複雑化の過程
 
これに対して縄文はまったく違う
美と神を自ら作らねばならないという、そういうエネルギーに満ち溢れた1万年の王国
それが縄文時代だったのである

◇美しい1万年だったのかもしれませんねぇ

◆かもしれないですね、ほんと昨今の歴史解釈は、戦争をどう解釈するかですな
その事にずいぶん私共は無駄なエネルギーを使っている
 
縄文のほうが遥かに文明としては純粋で澄み切ってるのではないか
 
神話的ではありますが、熊本のエリアで大きな地震がありました 私はものすごく感動したことがあります
 
阿蘇神社という神社の山門が崩れ落ちてしまいました
ところが門前の町の人々は、自分たちに被害が少なかったことに寄せて、「阿蘇神社が自分たちのために犠牲になってくれたんだ」
そう言いながら皆手を合わせているらしいです、美しい発想だと思います
 
そう考えますと瓦屋根を落とした熊本城も懸命に熊本市民の命を守るべく立ち尽くして、地震と戦ったのではないか、と思いますと、一種神話の象徴ではないかと思えたりするんですな
 
そういう縄文的エネルギーが熊本にはあるような気がします
 
また、自分の目で見たんですが、福岡にね九州大学、国立大学、ここ優秀なんです
それがね全部移転して「 糸島 」っていう、半島の真ん中、みかん畑潰してね、3万人の学園都市が今福岡に出来上がりつつある
 
◇移転したんですか?

◆全部引き上げて、そこをテレビの取材で行ったのよ
ボロボロ遺跡が出てくるの、前方後円墳とか
糸島、そう!邪馬台国の伊都国の後ですよ!この糸島ってエリアがね
 
九州大学の校内を歩いてて一番驚いたのは、イスラム圏の学生さんが多い
食堂に行くとイスラム圏の方々は豚肉等々とかがね、とんこつラーメンとかダメでありますから
イスラム圏の人たちの食事の列があるんです

◇えっ~
 
◆で、そこはイスラム教で許された食物を、食堂のおばちゃんたちが作るんです
だからマレーシア等々の東南アジア、アジア圏のイスラム教の人と、中東からも続々と九州大学に集まってきてるんです

◇そんなに多いんですか?今

◆アッと驚いたのは、講義やってる最中、時間になったらお祈りに行ってもいいの
それで大教室の脇にメッカの方角を向いたお祈り場が用意してあるんです

◇え~ビックリ、そんな徹底して作られてるんですか

◆ビックリでしょ、イスラムには深い理解を
「イスラムの人たちも、この九州大学をすごく大事に思ってくれてます」って教務課の人が胸を張ってました

◇それは素晴らしいですねぇ

◆これもある意味で九州・福岡が持つ、あの伊都国からの伝統で、縄文のエネルギー渦巻く邪馬台国の流れがあるような気がする訳です
 
そんなこんな考えますと、我々の体内に残っているあるエネルギー、それが縄文に繋がるとね、スゴく落ち着くような気がいたします
 
自分の人生観・生命感も含めまして、縄文という時代からもっとたくさんの汲み上げが出来るんじゃないか、と思ってね
 
九州大学ってね、俺ショックだったのよ
あのね、水素で車を走らせるとかっていう、水素エネルギーの車のトップバッターなんですって今

◇九州大学が?へぇ~

◆それで例の有名な日本の自動車メーカーがバッチリついてて、アジア圏の学生が集まってて、最も熱心なのは、中国の学生さん、真面目に勉強してるのね、中国の学生さんたちが、感動するくらい、オレ感動したなぁ

◇そうなんだぁ

◆で、嬉しくなったのは、東京にわざわざ勉強に行かなくても、九州大学辺りに行きますと、世界最先端の勉強ができるのと、安い!

◇安い?

◆食い物が、安い!

◇「物価が」ってコトですか?家賃も高いしね、東京は

◆安いんですよ、福岡
そういう意味で、学生さんたちの良い環境がね
あの、熊本にもありますからね
 
 
 ■  ■  ■  ■  ■
 
ということでした
 
縄文、なかなか興味深い時代だと思います
これからの社会、生き方、そういったコトを考える上で参考にすべき、と愚考する次第です
 
ではまた

EHAGAKI #332≪縄文人≫

2016年07月11日 | EHAGAKI
「学校で近現代史は時間切れでまともに授業が行われていない」とよく言われます
実際私もそうでありました
現在の政治に直結するこの近現代史、大人も子供も、もっと学ばなければなりません
 
そしてもう一方の古い時代
弥生時代、縄文時代もほとんど学ぶことはありませんでした
もっとも教える材料が無かったのでしょうが
 
最近見聞きするに、縄文時代にロマンを感じています
また、新しい発見もあるそうで、縄文時代に関する本でも読もうかなぁ?
と思っているとラジオで縄文ネタがありました

今回もラジオ、文化放送「武田鉄矢・今朝の三枚下ろし」で取り上げていたモノ
耳で聞いたメモとネット上にあった書き起こしを参考にしたメモであります
(今回も、この本を読んでおりません)

参考図書)
月と蛇と縄文人
大島 直行
寿郎社
 
 ■  ■  ■  ■  ■
 
7月4日(月)

おはようございます武田鉄矢です 以下◆
おはようございます水谷加奈です 以下◇
 
また縄文人が出てまいりました
◇あ、縄文ですね?
 
◆最近研究が進んで、結構新しい事がドンドン分かってるんです
『 月と蛇と縄文人 』 という本、大島直行さんという方がお書きになった、寿郎社
「まあ読んでみっか」と思って読み始めたら、面白いんですよねぇ、新しい縄文の解釈というかなぁ、わくわくすんのよ
 
◆縄文という時代に関しましては色々言われております
日本の縄文時代というのは実は世界の4大文明にも匹敵する文明がそこにあった
だから世界にあった文明は実は4大ではなくて5大文明だったんじゃないか
日本、黄河文明、それからインダス、メソポタミア、エジプト、この5つが実は先行する世界の5大文明だったのではないか
日本で縄文時代は2万年くらい続くのかな?

縄文土器とか見たことあるでしょ?遮光土器とか火焔土器とか
岡本太郎が思わず「バクハツだ!」って言ったヤツでありますけども、造形としては圧倒するような文明ですよね
スゴイ怪奇だと思わない?

「何だコレ?」っていう感じはありますけども
 
じゃ、それが一体何を意味してるのかってのは、解らないんです
ゾーッと背筋が寒いモノがはしったりするんです、私はね
縄文土偶というのは女性なんです、男性全く出てこないと言っていいです
それから何故か、叩き割られているんですよ

わざと叩き割られてる?

◆そう、だから「意図的に割ったんだ」っていうね
それから日本にある「 ストーン・サークル 」
「サークル」っていうだけあって、丸いんですよ、イギリスにもあるヤツも丸いんですよ
何で丸いのかってのは解らないんですよ
 
◇はい

それから新潟、糸魚川、姫川、この流域
翡翠が7千年前から全国へ広がっているんですけども、どのようにして広がっていったのかが解らないんすよ

私たちはその縄文が残した遺物・遺跡というのが、一体何を意味し、一体縄文人は何を考え何を思ってその形にしたのかは、実は何も知らない

その縄文っていうモノが、日本は普段の暮らしの中に無闇に残っている怪文明なんですよ

ん?

縄文の遺物っていうのが、普通の暮らしの中に平気で残ってんの
◇普通の暮らしって、何時の普通の?
◆今!
◇今ですか!今、残ってます?縄文の

「 注連縄(シメナワ)」何であの形なのかっての解らないんです
しかもアレ藁で作ってる、縄文土器の藁と同じじゃないですか、縄じゃないですか

なんて言うんですか?土偶にゴロゴロ付け型をとってるわけですね?
あ、そうかあれ縄文の時からか
 
◆何でゴロゴロやったのか?
しかもね、「滑り止め」とかって言う人居ますけども、ゴロゴロやってない土器も縄文土器であるんですよ
明らかに意図的に何かの意味があって縄文の模様を付けている

で、これまた「してやられたり」ですが
この縄文文明ってのが「只者じゃないぞ!」と騒ぎ始めたのは、実はヨーロッパの人なんです
ドイツに生まれのネリー・ナウマンさんという方がおりまして、この人は「 日本学 」という新しい学問をヨーロッパで起こして縄文を調べてるんですよ
 
◇へえー

で、この方は中国の古代文明、中東、あるいは南米と比較しながら日本の縄文を調べてるんです

日本の地名で「 貝塚 」っていくらでもある
縄文の人たちが食べた貝殻を捨てた大森貝塚とか、貝塚っていう地名が日本に残ってる
縄文の名残ですよね、何百年にも渡って捨ててるんですよ
それはゴミ捨て場とは考えにくいんですよ

ええ!ただの残飯を捨ててたわけじゃないんですか?

No No その貝塚から貝の殻以外のモノも見つかる、それが割れた縄文土器だったりするんですよ
どうも貝塚って、祈りの塚だったのではないかという新説が
これもネリー・ナウマンさんの指摘なんでありますが
その辺り、異国の目から縄文文化というのを眺めてみようかなあと思います

この続き、また明日のまな板の上で

7月5日(火)
 
◆縄文人というのは、いかなる思いであのような文明を、あのような遺跡を残したのであろうか
 
今からクイズ、何のシンボルか当てて下さいね?
 
「 十字架 」
◇え?イエス・キリスト
 
◆そうですね、シンボルですよね
「 三日月 」
◇三日月?シンボル、何だ?
 
◆イスラム教ですね、新月社とかって言いますけども
宗教はシンボルを持っとるんですね

今年辺りね、ヨーロッパで揉めたのは、ヤッパリ三日月と十字架の戦いだと言っても過言ではありません
それから5月、日本で伊勢志摩でサミットをやった
伊勢といえば伊勢神宮、日本の神道の発祥地

神道ってのは非常に特異な宗教でして、神道の驚くべき所は何か?
聖典が無いんです

あ、そうか

神道は何かっていうと、木と岩と水なんですよ
それが三日月を象徴とする宗教、十字架を象徴とする宗教と違うんですね
で、その神道をジーッと睨んでいきますと、その奥に見え隠れするのが実は縄文時代なんです

古事記とか日本書紀を見ましても非常に縄文的ですよね?
分かる?言ってるコト(笑)

◇うふふ
 
◆興味ないだろうけど、私はそう思いますよね
ちょっとこの話横に置いときまして、著者、大島さんは言います

縄文への関心をもったドイツ人ナウマンは、特に縄文土偶の研究を進めた人である
その縄文土偶の特徴、強く表現されているものは何か
乳房、膨らんだ腹とヘソ、さらに顔に描かれている、涙
涙を流してるんです

え、あの目袋みたいなのって涙なんですか?

その目の下からね筋が2本スーッと
で、刺青とかって言われたんですが、アレは涙を表しているんじゃないか

あー、分かります、それは

◆別の土偶で鼻水垂らしてる、それからヨダレを垂らす、そういう表現が縄文土偶にあるんです
どうしてそういうモノを描いたんだろうか?

涙は解りますけど、鼻水とヨダレは何でか? 解らないですね

古事記にも出てきますけど、アノ人は泣くんですね、アマテラスの弟さんのスサノオノミコト
スサノオノミコトって泣いて泣いて泣きじゃくるんです
神が泣くんですよ、子供みたいに

何で泣くんですか?

「お母さんに会いたい」って、そういう直情径行のところが涙を流す縄文土偶と相まって、所謂、人間の体から溢れでるモノ、鼻水・ヨダレ・涙、含めて、そういうモノに一種信仰心と言いますか、そういうモノを込めたという

溢れるモノか
ナウマンは旧石器時代のヨーロッパ、フランスで出土したレリーフ、向こうにも土偶があるんですが、女神像ドルドーニュっていう土偶があるんです
これね「 ローセルの女神 」というお人形さんがあり、そのフランスで遠い昔に作られた、旧石器時代に作られた土偶と、日本の縄文土器が
あまりにも似てるんで驚くんですよ

で、このローセルの女神こそ月の女神なんです
ということは縄文の女たちの土偶も実は月を象徴してるのではないか
女と月、ピーンとくるモノがありませんか?
 
7月6日(水)
 
ヨーロッパ旧石器時代に作られた「 ローセルの女神 」という土の人形があります
その女神は片手に月を、三日月を抱きしめてるんです
何で女神、女性なんです
オッパイもありますから、コレが何で月を抱いているのか?
 
月というのは信仰の対象であった、その月と結びばれているのが女性
何故こんなふうに結びつけられているのか?

よく女性の体は月に左右されるって、出産ナンカもね言われますけど

そうですね、それから朝からなんですが、生理ですよね
◇あ、言われますねえ

月と同調して女性の体が巡っていく、その事にたいする直感が女性と月を結びつけて
しかも体液、人間の体から出る液体で次の生命が生まれていったり、新しい生命が宿ったりするという
その不思議を縄文人たちはあの土偶に託したのではないか

ならば、何で打ち壊すんだっていう話でありますが、コレも何か宗教的にあったんでありましょう
また縄文の土偶の中に絶えず書かれ、描かれる動物が、蛇とカエル
 
これ、どう考えても「 脱皮 」それから「 変態 」だよ
尾っぽがあるくせに、やがて手足が伸びてという
それから、あなたあれ知ってる?勾玉の謎って知ってる?

◇いいえ
 
◆勾玉を「胎児じゃないか」って言った人がいたんだよ
◇ん?
 
お母さんの中に芽生えたばっかりの命の形、それを形にしたのが勾玉ではないか
でも、お母さんのお腹の中見る事なんて出来ないわけだからと思ってたら
昔の人、生き物の腹を割いて中を見るってことは頻繁にあって、サメなんかのお腹を割くと、胎児の形してるんですね

◇え?
そうよ!生き物って発生時、そうじゃん
◇最初は?

生命の記憶を女性のお腹の中で全部辿るわけでしょ、人間の赤ん坊は
それと同じように、だから人間の赤ん坊も魚類として生まれて、尾っぽがへっこんで手が、、、
大体生き物の歴史を全部辿るから、その一番始まりは何かというと、あの胎児の格好になる

それを生魚を割いたり生き物の腹を割いたりするうちに、縄文人は俺たちよりも沢山目撃してる
だからあの勾玉っていうのがああいう形になったのではないかということなんです

ええ
 
で、一旦横に置いておきましたけども、あの注連縄(シメナワ)ね
私は縄文的だって言いましたけど、これも色々説あるんですよ?説あるんですが
あなた見たことないか?出雲大社の注連縄(シメナワ)

どんなのでしたっけ?

もうね1回見てご覧、息飲むよ
◇私20年前くらいに1回行ってるんですけど、記憶が、、、

見た時にさ、ヤマタノオロチが絡まってるって見えたのよ
まさしく3匹の蛇が絡まってるように見えて
それでその蛇の普遍性でありますが、脱皮を繰り返し冬眠し、という

だから縄文人たちが、「この蛇という生き物は不死なのではないだろうか、死なないのではないだろうか」と夢見、それが実は「 縄信仰 」になったっていう

それで土器の中にその蛇のエネルギーが宿るように網目を転がして入れたっていうのが縄文土器ではないのか?

それ信ぴょう性ありますね、なんで昔から蛇ってそんなに神聖視されているのかなって
昔から不思議だったんですよね、蛇が家を守ってるとか色々言うじゃないですか

そうそう、基本的に気味悪がるくせに「積極的に殺せ」とは、昔の教えは言わないんだ
家を守ってるって事があるし「 豊作の神 」だとか、西洋においては「 知恵の神 」だと言う

エデンの園では、人間をたぶらかした知恵者もまた蛇なんで、神話に登場して人間と関わりをもつという生き物としては、最古の歴史をもってる

そう考えると、縄文土器ってなかなかのモンでしょ?

ダンダン自信が湧いてきましたね、武田鉄矢
こういうの勢いがかかってくるもんな、俺も
この続き、また明日のまな板の上で

7月7日(木)
 
縄文土器の網目模様が無くてですね、貝殻模様があったりする
私も見たことありますが、鹿児島県の上野原遺跡には貝殻紋土器ってのが出てるんです

コレ貝殻の模様がね、一杯貼り付けて焼いてあるんだ
ということはコレ、貝殻を守り神とするような部族が住んでたんだろうな、その辺りが縄文の面白さであります
 
俺昔ね、NHKのローカル番組で邪馬台国を探そうって番組でものすごく怖い先生から話を聞いたののよ
その時に何気なくその人が仰ったんだけど、尖底土器っていうのが問題になってて尖底土器って、円錐の形してるの

あ、歴史で習ったなぁ、尖底土器
その尖底土器っていうのは、置けない
◇そう、転がっちゃいますもんね

で、その怖い古代史の先生は「それくらい古代人ってバカだったんだ」って言うのよ
◇うふふ、はい

そんなのが複雑な国家を作れるわけがないし、机の上に立たないようなコップしか作れない人間が、歴史に謎など残すはずがない、って言う
 
で、俺、それ叱られたから、その尖底土器ってスゴく心に残ってて、「置けない物を何で作ったんだ」って思わない?

俺、ふと気付いたんだけど、地面の上ではどうだ?
つまりさ尖底土器って、土に挿せばいいんだよ
◇ブスッとね

そしたらこれくらい安定した器はないわけじゃない
そしたらその時の怖い先生、結構いい加減だなあとおもってさ
この座りの悪いこの尖底土器なんだけど今でも謎なんだけども
この大島直行さんっていうのは、これさあ夜露を集めるためのしんき、神様の器だったんじゃないかと

ちょっとロートみたいな
 
そうそう、それを地面に挿しといて満月の晩にそのままにしとく、想像だよ
そうするとつゆが底に垂れて、いくぶん器の中に溜まる
その夜露を月からの水っていうか、生きる水として、月が流した水として、人々はおまじないで飲んだんじないかという

◇とっても神秘的ですそれは、コレ鉄矢さん論ですか?

◆いやいや、これはもう無茶苦茶、ゴメンナサイ
で、この人の大島さんの面白いのは

土器って、妙に斜め45度くらいを見上げてるじゃない?そういう土器が多い
遮光土器とかは正面だけど、上向いてるヤツってある
しかも平べった~い顔したヤツで
アレ、全員「月、見てるんじゃないか」って言うのよ
 
あ、なんかちょっと繋がってきた?

それで、上向いてる顔の部分に液が溜まるっていう、鼻や口や目の辺りに
それが縄文人たちを励ました生きる清めの水となったんではないか、という

◇はぁ~、美しい

そうすると「水で清める」とかっていうのは、まさしく神道だよ
そんな風に考えると、縄文ってのが霞の向こうから、ぱっとこちら側に来たような

この続き、また明日のまな板の上で

7月8日(金)

◆縄文人とは、満月への信仰があったのではないか?
三日月じゃ無く、満月への信仰があったのではないかと

で、その満月の夜に土偶を並べて、土器の中に夜露を溜めて、溜まった水を飲む
それを「月からの贈り物」と称し、穢(けがれ)を祓う液体としたのではないか
 
◇イメージ膨らみます

◆そうやって考えると、縄文人の思考・思想というのに惹かれていくような気がします
数々残ってる遺跡の中でも、とんでもない物がまた続々と発見されつつあるんです

スイマセン大島先生、話変わっちゃうけど
コレを一生懸命三枚におろしてたら、面白い番組があったのよ
函館新幹線
 
◇はい
 
◆あの函館新幹線を作るために北海道のどっかを掘ってたら、縄文の遺跡が見つかった
「北海道土偶の謎を追う」という番組、この番組が面白かったんです
慌てて座りこんで、わぁ~と色々書いたんだ

まずは新幹線の通った函館、南茅部(みなみかやべ)という所で40年前に1体の土偶が発見された
新幹線着工のための基礎工事で、30cm大の土偶が発見された
その土偶は中空構造、CTスキャンで厚さを測ってみるとわずか3ミリしかない
すごく精巧なんです

で、足元、くるぶしに一つ穴が開けられ、頭部にも穴が
つまり、足元から水が流れ落ちるという構造を持っている

作られたのは検査の結果3500年前のもの、色もわずかに残ってた
色で塗られてたんだって、この縄文土偶
◇色があったんだ
 
◆この色というのが漆(うるし)だそうです
 
◇ええー!
 
◆凄いね日本人、3500年前に漆塗りの土器を作ってた
色は赤と黒だそうです
 
◇おー、漆かー
 
◆この赤と黒、世界の色彩感覚から見てですよ
赤は生命・出産を象徴する色、黒は、葬儀・死を意味する色なんですって
その2色で塗られてるんで、その土偶は生と死を象徴する土偶だったんだろうと

この発見に次いで千歳で小ぶりの、ウチワ大の土の仮面が発見されている
これが2300年前
仮面は左右に紐を通す穴があり、人が顔面に付けられる構造だったと
しかも、その仮面が発見された場所から人骨が見つかり、仮面と全く同じ場所から同時代の柱
丸太の柱が発見された

ということは、土で作った人間のお面ね、コレ拙~いモンですが
迫力あるんだよ、見ると
それは、どうも丸太の木に括り付けられていた、墓標だったらしい
 
◇ほぉ
 
◆仮面を付けた墓標っていうのが2300年前、お墓としてあったという
で、この墓標の下に黒曜石が何枚も埋められていた

黒曜石が出てくる場所って北海道では、1箇所しかないの
コレが、千歳から200kmも離れた遠軽町の白滝っていう町なんです
ココから持ってきたらしい
 
◇200kmも運んだんですか?
 
◆アッと驚くなよ
この遠軽地方の黒曜石と全く同じ物が、青森「 三内丸山遺跡 」からも出土している
ということは、遠軽の黒曜石は、かつて3000年ほど前、船で渡ったヤツがいるんだよ
 
◇あ、船でね
 
◆それで仮面の墓標の主っていうのは、黒曜石の関係者じゃないか?
 
◇関係者って、黒曜石の関係者?

◆ちょっとこれ、来週にしときましょうか
◇わかりました
 
◆いったい黒曜石の関係者、いかなる人物なのか
来週の謎として、今週はここまででございます
 ■  ■  ■  ■  ■
 
ということでした
 
完結すると思って聴いていましたが来週も続くようです
なかなか興味深いですが、まだ本を買う気にはなれません
来週も聞いてみて、面白そうなら続報を書き、関連本を買おおと思います
イマイチなら?
また、別の話題でご機嫌を伺います
 
ではまた

EHAGAKI #331≪効率という非情≫

2016年07月04日 | EHAGAKI
新築分譲マンションの販売を生業としている訳ですが、駅からの距離が大きな選択基準であることは言うまでもありません
駅から近くて、環境がよく、公園なんかがあると人気があります
そして朝などランニングやウォーキングを楽しみ、、、
 
まぁ、理想的な住まいとなるんですが、駅から徒歩10分以上歩く物件の方がウォーキングも楽しめて一石二鳥ではないかと
自分が求めているものは効率だけ?
 
などと、ひねくれて考えたりしますが、今回のお題は「効率という非情」であります
 
参考図書)
最後の職人伝
塩野 米松
平凡社
 
全国各地の漁師や職人の取材を行い、失われゆく伝統文化・技術の取材をしている塩野氏、若い頃から時々読んでる作家さんです
 
 ■  ■  ■  ■  ■

◆藁細工
 
縄、筵、蓑、草履、草鞋、米俵、敷物、壁掛け、籠、座布団、注連縄、神仏を祭る際に使われるものまでありとあらゆるものが藁でつくられた
 
材料はどこの農家にもあった稲の茎、脱穀したあとの。穂のついたままのものを石の上で叩き、柔らかくして使ったのである
工藤佐吉さんの話にもあるが、藁を細工するためにした拵(こしら)えは、簡単なものではなかった
横槌で打ち、手持ちの槌でさらに柔らかくするという、大人でも一回でせいぜい三束をちくるのが精いっぱいであったという
 
藁製品であれば、不要になったり使い終われば土に還すことが出来た
化学製品ではこうはいかない
これだけ日本全土でつくりだされている稲の茎、利用法は無いのであろうか
こうした声を無視するのは、効率という非情だ
 
◆櫓と櫂
 
船は、命を預かる道具だから板をつなぎ合わせながら、決して水の漏れがないようにつくる
その為に、材の育った山を選び、木を見、癖を読み、それを活かす
櫓や櫂も同じである
どんな木がいいか、どの部分を使うのが良いか長い経験から答えは出ている
産地を選び、製材に気をつかい、丁寧に乾燥させ、経験を積んだ腕で仕上げる
山本安平さんも述べているが樫や椎が多い、杉や檜に比べ固く世話の焼ける材である
川船は、FRPや鉄に変わった
万一の為、櫓や櫂を積んでいた時期もあったがそれも不要になった
木造船の出番はないのであろうか
 
◆爪楊枝
 
選ばれる木は柔らかで、毒がなく、出来れば薬用の効果があった方がいい
日本では楊柳(ようりゅう)、黒文字(くろもじ)、卯木(うつき)などが使われた
爪楊枝をクロモジというのもこの木がよく使われたからだ
産地にたりうるのは、消費地が近く、原材料が豊富なことが鉄則である
大阪の河内長野もそのひとつであった
黒文字や卯木の産地であった河内長野は、近在の農家の副業として楊枝づくりが進み、大阪という消費地と問屋を控える立地で、大きく成長していった
 
中国産の楊枝が日本中を席巻するようになると、クロモジの高級品づくりに狙いを絞って、手作りを守りとおしているのが、場工耕司さんだ
手作りで楊枝を削っているのは数人だけという
原木の黒文字の採取の時期、親木を残す話など、なんでもないようだが、そこには資源を尽きさせぬ知恵がある
仕事が消えるとき、自然が荒廃してしまう恐ろしさも話の裏には潜んでいる
 
座敷箒
 
畳の部屋に箪笥やちゃぶ台という日本人の生活が変わり、箒は掃除機へと変わった
箒にも座敷用と外用があった
座敷用は、ホウキモロコシの穂を綴じたもの、外用は竹箒かシュロ箒、箒草をまとめとものであった
手元に一本の座敷箒がある
土屋与五郎さんの座敷箒である
長さ90cm、屈まなくても使えるちょうどよいサイズ
柄が突き刺さった根元から穂先に向かって開き、先端は25cmほど、鳥の翼の形をしている
ホウキモロコシの茎の皮で丁寧に編み込まれ、金、青、赤、緑、黒のの糸で補強を兼ねた模様がついている
実に美しく仕上げられている 日常の道具にこれだけの意匠を凝らして、日本人は暮らしていたのである
掃除道具にも美を求める、豊かな心を持っていた人たちだった
こうした箒で掃除することを、掃き清めると言ったものだ
箒を使った跡を振り返れば、確かに清められた気がしたものである
 
◆無くしたものの大きさを
 
筆者が育った戦後の秋田の小さな街、小さな川に面した街
仕立屋、魚屋、食堂、大工、鍛冶屋、産婆、酒屋兼米の精米屋、冠婚葬祭の家に出かけて菓子をつくるおばさん、豆腐屋、八百屋、金物屋、麹屋、たばこ屋、下駄屋、床屋、桶屋、鮨屋、造り酒屋、呉服屋、石屋、砂利採取人、国鉄の職員、先生、町会議員、銀行員の家、小さな神社があった
すぐ北隣の町内にはブリキ屋、用品屋、樺細工職人、漆屋、建具屋、炭屋があり南隣には親方が住み、多くの大工たちが住んでいた
買い物はほとんど町内で間に合った
家を建てたり直したりするのも町内で間に合った
これが典型的な日本の街であった
 
それら手仕事をする人は急速に少なくなっていく
 
◆何が手仕事を消したのか

すべてが使い捨てになり、経済は雪だるまのように、転げるたびに大きくなった
使い捨てにしたのは品物ばかりではない、家も自動車もそうなった

それらを選び、買い求めたのは私たちである
気がつけば手仕事の職人たちはいなくなっていた
誰も消えて欲しいとは思わなかったし、あったほうがいいと思っていたのだが、実際に選んだのは、彼らを失う道だった。

◆手仕事と一緒に何をなくしたのか

人間は考え、悲しみ、喜ぶ精神と、訓練することで精緻で極限まで力を発揮する肉体を持っていた
体を作り、考えた物を作り上げることで、やりがいや歓びを手に入れていた

機械技術の進歩と、飽くなきコスト削減の追求、人間から肉体の意味を奪いはじめたのではないか?
バーチャルという言葉が、日常生活に入り込んでいる、バーチャルには肉体は伴わない
現代の教育も、考えや思考を中心としたもので、頭脳の訓練に、偏向し過ぎてはいるのではないか?
肉体不在の人間社会。それはあまりに不自然でもろい、歪んだ社会ではないか?

循環の知恵
自然素材を扱う職人たち
工業化の日本の中で、とうの昔に置き去られたような職業の人たちであるが、彼らから学ぶことは多い
素材はすべて違うもの
その癖や個性を見抜き、それを活かす
その素材は、自然から供給を受けるか、自ら育てる
そのためには、絶やさぬように使いつづける「循環の知恵」があった
また使いつづけるというのも、その技をもつ職人の後を継ぐ者がいて初めて持続させられる考えであった
 
◆もう遅い?
今までこんなご託を並べずに、彼らの話すままを、聞き書きの形で紹介してきた
しかし、それだけでは話が通じない時代になった
個人の話というものは、人の心を揺るがす力があり、時代や、職業など、大きな枠でくくるのでは見えないものを見せてくれる
こうした個人が集まって、本来、国は形成されていたのである

無駄と試行を排除してしまった世界は無機質だ
そこには人を育てるという姿はない
結果だけを数字で追う世界は、人を機械化する
効率だけを追わされれば、人は感情や思考を停止せねばならない
そんな世界が行き着く世界は?
 
◆手仕事の現場
現場を見ていると、なんと人は真摯で、表情豊かで、作業に歓びを見つけていることかと思う
細道に迷い込んだ現代社会に、手仕事に生きる人たちの姿は「その道は不毛だ」「そっちへ行くんじゃない」と警鐘を鳴らしてくれている
 
◆できるものなら
効率だけを求める道から、自然や季節のなかで、日々自分を磨くことが歓びである道へ、戻っていくことに気付いて、方向を変えてほしいと思っている
こうした本がなかなか出版しずらい時代になってきた

 ■  ■  ■  ■  ■
 
ということでした
 
仕事=効率、趣味=歓び・健康
 
仕事と趣味が相反している様な現在の日本人
 
何を消費するか
何を買い、何を使うか
そこから、仕事のありようを自分の求めるモノに近づけたい
そんな社会にしたい、と愚考する今日このごろです
 
ではまた

東急池上線「御嶽山」駅徒歩14分、「久が原」駅徒歩15分