10月も今日で終わり11月から秋が来るのか冬が来るのか
地球規模の大きな変化の時代なのでしょうか
今のままではいけないと思います
だからこそ
日本は今のままではいけないと思っている
と言った人が居ますが、同じコトの繰り返し
間違いではないですが、やれやれ、です
「御飯論法」なんてモノもあります
「弱肉強食」「適者生存」
社会に流通している進化論風の考え方がはびこり
「頑張れ」「強くないと生き残れない」と言われ
生きづらさを感じる人も多いハズです
適者とは単に生き延びて子孫を残した者を指し
強さや能力とは関係ないそうです
今回のお題は「進化論というお守り」
本来の進化論とは別物の進化論的お守りの言葉についてであります
参考図書)
「理不尽な進化 遺伝子と運のあいだ」
吉川浩満 著
※横に写っているのは「長生き」が地球を滅ぼす」本川達雄著 これもお勧めです
◆ ◆ ◆ ◆
◆進化論という「お守り」
一般人が漠然とイメージしている進化論と
専門家が研究している科学的な進化論は別物
どうしてそうなってしまったのか?
その理由は、根本仮説である自然淘汰説の独特の性質
「適者生存」という言葉
これは自然淘汰説を言い換える言葉
(スペンサーによって考案され、ダーウィン本人にも採用された)
この言葉は社会ダーウィニズムによって濫用されたので
現在ではあまり用いられない
その中心アイデアとは
「適者」は「生存(繁殖)」によってのみ定義される
というもの
適者とは単に生き延びて子孫を残した者を指すのであって
「弱肉強食」や「優勝劣敗」のイメージで想定するような
強さや能力とは関係ない
生きのびて子孫を残すことができる者を単に「適者」とみなしている
ところが「生存する者を適者とする」をひっくり返して
「適者は生存する」という自然法則のようなものとして
適者生存のアイデアを用いている
法則じゃない?
適者生存の原理は、「適者は生存する」という法則ではない
「生存する者を適者と呼ぶ」という約束事であり
そこから仮説をつくりだすための前提
「結婚していない人を独身者と呼ぶ」
と同じように適者の意味を定義しているにすぎない
つまり私たちは前提と結論を取り違えている
どうして取り違える?
おそらくはそれが都合のいい「言葉のお守り」になるから
私たちは、半分は無意識に、半分は意図的にそうしている
哲学者の鶴見俊輔は終戦直後の1946年
「言葉のお守り的使用法について」という論文を発表
言葉には「主張的な言葉」と「表現的な言葉」がある
主張的な言葉とは
1+1=2のように、真偽を確かめることができる言葉
表現的な言葉とは
「結婚してください」のように、真偽に関係なく
呼びかける相手になんらかの影響を及ぼすような言葉
鶴見が問題にしているのは実質的には表現的だが
形だけは主張的な言葉に見える場合
たとえば戦争中に唱えられた「米英は鬼畜だ」という言葉
たんに米英を憎み嫌う表現的な言葉が
あたかも主張的な言葉のように使われた
↓
「ニセ主張的命題」
お守りのように、なんらの検証なしにありがたがられる言葉になりがち
「米英は鬼畜だ」はその典型で
社会で認められている価値観に乗っかることで、なんとなく安心する
自分の言葉に箔がつく
これが言葉のお守り
「適者が生存する」という擬似法則は
このお守り的使用法にぴったり
ぱっと見、それは自然法則のようなものに見える
しかし、適者生存の原理は「生存」によって「適者」を定義するもの
↓
「生存する者は生存する」という同語反復になる
検証をまつまでもなく、つねに正しい
命題自然法則に見えながら、正しい同語反復的な命題
↓
何も言っていないに等しい
↓
あらゆる物事に当てはまる言葉
これ以上にお守り的使用法に適したものはない
各種メディアや広告、Twitterなどで
私たちが出会う進化論はそのように機能している
「優れた者が勝ち残る」
「劣ったものは淘汰される」
「滅びる運命だった」とか、いろいろなヴァリエーションがある
「適者は生存する(生存する者は生存する)」という同語反復を
さも自然法則の結果であるかのように言い立てているだけ
実際には「ざまあみろ」とか「残念だ」とか「そうなりたい」
といった表現的な言葉であらわされる感情
↓
まるで主張的な科学理論であるかのような
パッケージにくるんで送り出す
↓
こんな便利なものはなかなか手放しづらい
◆通俗的な進化論
社会に流通している通俗的な進化論=「発展的進化論」
ダーウィン以前の進化論
フランスの博物学者ラマルク
↓
キリンの首が長いのは、先祖のキリンが高所の葉っぱを食べるために
努力をつづけたからだ
↓
生物の進化には目標があると主張
目標の達成度に応じて優劣の序列がある
↓
進化とは前進であり発展
その後、イギリスの思想家ハーバート・スペンサーが
ラマルクの進化論を発展・拡張させて、世界中で大ブームに
↓
宇宙のあらゆる物事が進化する社会も
古代国家や未開社会から近代的な国家へと進化する
その過程において、「適者生存」の競争が行われる
スペンサーは、ラマルクの発展的進化論と自由競争主義を
接続上昇志向の近代人にぴったりの「進化論」を仕立てた
歴史の教科書などで「社会ダーウィニズム」と呼ばれるが
ダーウィニズムではない
正しくは社会ラマルク主義あるいはスペンサー主義と呼ばれるべきもの
学問の世界ではすでに否定されている
学問の世界で認められているのはダーウィン由来の進化論
生物の進化にいっさいの目的や目標を認めない
生物の進化を左右するのは目的や目標ではなく
偶然進化は単なる結果生物間に優劣の序列も無い
進化の目的や生物の序列といった発展的な考えと手を切ったのが進化論
学問としての進化論と、一般人の世界像としての進化論前者は
ダーウィンが発祥、後者はスペンサーによってつくられたもの
現在、「ダーウィニズム」という言葉が
「進化論」の同義語のように使われている
「進化論のせいで生きづらい」と思うとき元
凶はダーウィンにあるように感じるのは濡れ衣
社会にも進化論を当てはめることに問題があった
20世紀半ばまで世界を席巻した元祖「社会ダーウィニズム」は
科学的に間違っているだけでなく
植民地主義や人種差別を正当化するひどい代物
本来ダーウィニズムは、進化の目的や生物の序列を認めない
現在では生物学だけでなく、心理学や経済学、社会学などにも
どんどん採り入れられている
◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
これまでに登場した生物種の99.9%は絶滅したそうです
存続しているのは0.1%にすぎない、と
つまり生物種はほぼ絶滅する
通俗的に考えれば、生存競争に敗れたからと思ってしまいますが
膨大な化石標本と統計学を駆使して調べると
結論は
生物種は多くの場合、運がわるくて絶滅する、のだそうです
見も蓋もない気がしますが、それが現実だそうです
冷静に事実に基づいた言葉を使いたい
と、愚考する次第です
ではまた