バスはいい
待ち時間はバスか来ることしか考えないものだから
これは立川談志の言葉です
さりげない日常、思いあたる心の動き
さすがの洞察力だと思います
談志はたびたび取り上げております
要は落語が好きなのであります
さて今回のお題は、「業の肯定」
昨年11月に出版された立川談慶著「談志語辞典」 であります
参考図書)
「談志語辞典」立川 談慶著
立川談志にまつわる言葉をイラストと豆知識で
「イリュージョン」と読み解く
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
◆酒に決まってるだろ
談志という人物を表す歴史的名言
1975 (昭和50)年の年末に、沖縄開発庁(三木武夫内閣)の
政務次官に就任
翌年1月沖縄入りし
翌日の記者会見は、サングラス姿の二日酔いで挑む
「酒と公務とどちらが大切ですか」
記者からの質問に
「酒に決まってるだろ」
これをきっかけに自民党を離党し、翌年政界から引退
就任後わすか36日だった
「36日間もの長い間、政務次官を務めた」
と、弟子たちはネタにした
◆地震予知
「地震予知なんてできるわけない。
研究者はできると言い張ってカネをもらってるたけだ」
と、よく言っていた
根拠は不明だが、得てして天才の直感というのは当たるモノ
「地震予知はできない」ことを「予知」していたのかもしれない
※橋長注地震学者で東京大学名誉教授のロバート・ゲラーさん
「本当は多くの地震学者は予知はできないと分かっている。
マイクやカメラがないところではみんなそう言っている(笑)。
でも、予知はできないと言うと研究予算がもらえない。
だから、予知はできないとは言えない」
TBSラジオ1月18日(土)放送
「久米宏 ラジオなんですけど」のゲストで
詳細はココ←
◆銭湯は裏切らない
談志がよくサインに書いた言葉
映画や小説でカネ返せと怒りたくなる時がある
しかし
「銭湯は、あの値段でいつでもどこでも喜ばせてくれる」と続く
◆粗忽長屋(主観長屋)
浅草観音詣でに来た八五郎は、身元不明の行き倒れに出くわす
死体の顔を見た八五郎は、同じ長屋の熊五郎だと言う
「お友達なら引き取ってもらえますか?」
と聞かれ
「いや、死んだ当人を連れてくるよ」と
役人たちは唖然!
長屋へ帰ってきた八五郎は、熊五郎に
「お前が浅草寺の近くで死んでいた」と言う
熊五郎は
「生きているよ」
と言い返すが主観の強い八五郎に諭され、自分は死んだ
と納得する
そして2人は浅草寺へやってくる
変なのがニ人になり、さらに唖然とする役人たちを尻目に
熊五郎は泣きながら死骸を抱きしめ
「どうもわからなくなったよ
確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」
談志十八番
粗忽という概念ではなく、八五郎=主観の強い奴
という設定で、「主観長屋」という演目でやった
人間多かれ少なかれ、この八五郎のような主観で生きている
そもそもそんな自分を規定している「常識」とは一体なんなのか?
こう書いている俺は俺だが
同時に読んでいる俺は、 一体誰なんだろう?
◆業の肯定
「人間というものは眠くなれば寝てしまう。
飲むなと言っても飲んでしまう。
そういう深い欲望(すなわち業)というものを
一切合切認めてしまっているのが落語なんだ」と
これが現役の落語家による、落語史上初の落語の定義づけ
落語の凄さと同時に、談志の天才性を如実に伝えた一言
◆業の克服と肯定
談志は、人間の業の肯定こそ「落語」だと定義した
一方、業の克服を旨としているのが「講談」だと
江戸時代
庶民は世辞愛嬌などの生きる知恵を落語から学んだ
対し
支配階級である武家の子弟たちは
徳川家の威光を講釈(講談)を通して学び
「武士の気概」を吸収した
落語が
「飲むなと言っても飲んでしまうもんだ」
「眠くなれば寝ちまうもんだ」という
人間の汚さや弱さを庶民に伝えるのに対し
講釈は
「精神ー到何事か成らざらん」の実例を
為政者サイドに鼓舞する装置として、それぞれ機能した
◆酒
「酒が人間をダメにするのではなく
人間というものはもともとダメだ
ということを酒が教えてくれるだけ」
「人間はもともとダメなものなのだ」という発想は
人間に限りなく優しい
そして酒も悪者にしていない
◆あたま山
ケチな男がサクランポを丸ごと食べた
その種から芽が出て、伸び、やがて頭から大きな桜の木が育った
見事な桜
近所の人が大勢集まり花見に!
あまりに騒がしいのでその桜を根っこから抜いてしまう
するとその穴に水がたまり、池になる
今度は、釣り人たちが船を出すなどでまたまた騒々しく
悲観した男はそこに身を投げてしまう
この遠近法を無視したような破天荒な話の展開こそ
「イリュージョン」だと、談志はよく言っていた
こういう発想の柔軟性を、かっての日本人は持っていた
◆常識
常識とは
「人間を生まれたときからずっと抑え込み続ける強制力」
と、談志は判断していた
知らす知らずのうちにそれに縛られた人間を解放させるのが
芸術やスポーツの役目
ゆえに人間は
知らず知らずのうちに非常識なものに憧れる
「常識」に対する非常識を表現した噺が「滑稽噺」
これを談志は「業の肯定」と定義した
そして非常識を凌駕するのが「自我」とも言った
「業の肯定」という定義だけでは捕捉できないものの存在を発見し
それをどう落語の中で表現してゆくかのドキュメンタリーこそが
晩年の談志のテーマであった
◆未来とは修正できると思っている過去
談志の定義
夢とか希望とか愛とか真心などという
好感度しか売り物にならないタレントさんたちが
一般的に書くような言葉全部が嫌いな人であった
好感度タレントの逆張りこそが談志の真骨頂
「未来なんて何もしてない奴になんか訪れるわけない」
つまりは
「現実が事実」という
根底にある考え方からつながった言葉
「修正できると思っているうちに過去になってしまう」
それが時間の怖さ
◆東京都江戸東京博物館
オープン前に特別に許可をもらい、 談志とともに見学
実寸大に復元された日本橋などを見て
子供のようにはしゃぐ談志だが
係員から
「こちら空襲関連コーナーになります」と言われた途端
「あー、勘弁してくれ」と、突如泣き始めた
少年時代の筆舌に尽くし難い惨劇を思い出してしまったようだ
感動しての涙は何度か見たが
悲しみや辛さから来る涙は初めてのこと
辛かったんだろうなぁ
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
同じ様な内容は昨年も2回発信しております
著者:談慶も師匠談志ネタでこれだけ本を出しています
反復・継続してこそ発信
と愚考する今日この頃です
ではまた
EHAGAKI #366 ≪与太郎的こころ≫2019年03月18日
EHAGAKI #368≪与太郎的に≫2019年04月21日
参考図書)
老後は非マジメのすすめ」立川談慶著
「なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか」 立川談慶著
「立川談志 落語の革命家 総特集」KAWADE夢ムック