橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #291 ≪森を見る力≫

2014年09月16日 | EHAGAKI
お世話になります

自分でコントロールできないことは無視して、できることに集中する。

これはテニスの錦織圭選手の言葉だそうです
きっと“チーム錦織”として積み上げてきたことなんでしょうね

時代の大きなうねりの中でどうすべきか

さて 今回のお題はラジオから(3回目)例によって元ネタを読んだり
調べたりするコトなく耳から入ってくる情報だけをメモしました


■ ■ ■ ■ ■

文化放送(8/18~29)「武田鉄矢・今朝の三枚下ろし」
以下 メモの羅列です

元ネタ)
森を見る力: インターネット以後の社会を生きる
橘川 幸夫
晶文社
森を見る力: インターネット以後の社会を生​きる■
橘川 幸夫(著)

街場の共同体論※
内田 樹(著)


■エピソード)

ベトナムにおけるバイク市場で日本は中国に大きく遅れをとっていた
ホンダは値段が高いので売れず、中国のバイクの独占状態であった

ところが 中国製は粗悪品が多かった 
「左折した瞬間にハンドルが抜けた」
「時速60kmになったとたん前輪が外れた」 等々
死者が相次いだという

その時ホンダがしたことは
「ヘルメットをかぶりましょ」キャンペーン

びた一文自社製品を値引することなく、日本の中古ヘルメットを無料で配りだした
ヘルメットのおかげで命拾いする人も

安全なホンダが支持されだし、何年もかかって貯蓄しホンダを買う人も現れ順調に売り上げを伸ばしていった

その後もホンダは「ヘルメットをかぶりましょ」キャンペーンをスポンサーとして展開した
有料としたが安いヘルメットを供給し続けている

ホンダはベトナムの一流大学生の就職先の人気企業となったのである


■森全体を見る力が無くなってきたのではないか?

戦後日本の生産力向上と斬新な商品は、勤勉な日本人の無我夢中の労働生産性さだけで生まれたのではない
企業には、企画、マーケティングあるいは広告代理店とのコラボがあり、必死の消費者マインドへの探査があった、研究があった

かつてテレビのゴールデンアワーは、家電メーカーの単独スポンサーだった
戦後日本は家電メーカーの成長とともに成長してきた

80年代バブルの終焉から消費者マインドの多様化もあり「何を売るか」から「どう売るか」に企業がシフトしてしまった

かつて日本企業は 中国や韓国に進出する時 徹底的にその国民のマインドを調査した
日本の家電メーカーは「性能の良いものをつくれば売れる」が

1970年代まで価格は製造メーカーが決めていた
機能だけから付加価値を求める時代になり、メーカーと流通との戦いがはじまった。
松下電器とダイエーの戦い
松下電器は日本中のダイエーのチラシをチェックし安売り商品が出ると自社製品を買いにいった、とか。
松下電器は絶対の値段をキープした
家電メーカーとしての絶対的なプライドにみなぎっていた

やがて

オープン価格、そしてメーカーに価格決定権は無くなった

このことから家電メーカーに製品に対する愛情が薄れていったのではないか
かつて炊飯器や洗濯機は、それを使うおかあさんへのいたわりの情があった
流通が支配するようになって「情」が無くなったのではないか

そして韓国家電にしてやられた


※父親と激しく反逆した団塊世代


戦争をおこしてしまった父親への反逆、反抗

このことから圧倒的な支配力をもった母親と子供が出現した
この事態に人類は 充分な経験値を持ちあわせていなかった

父親が一番偉いという時代が長かった

子供の人数が多い時は母はそのこの欲望、弱さ、強さ、根性の無さを熟知しているが故に、その子を母親が振り分ける
才能の使い分け、子供それぞれの進む道を振り分けようとする

子供の人数が少なくなると子供のことをよく知っている母親は、弱者デフォルト、高望みの否定から子の将来を決定していく
なるべく地味に、確かに、安全に生きていく、草食動物の戦略を母親はとろうとした

すると
社会全体が多様性を失っていく、これが今の少子化をうんでるんではないか

※父親の失敗は

父親は己の子を熟知していない、誤解している、ズレている、そのために抜きん出た才能を、つい夢を見てしまう

底の抜けた夢を見てしまう

父親は子どもに、目立つこと、勝つことを、抜きん出た存在になることを望んでいた


※母親のパワーが強ければ草食系になる

母親は群れの中に入ることを望み、父親は群れから離れろ、 独立独歩で生きていくことを望んだ
この父親と母親の葛藤が子供に未来を決定させる


※父親は子供が遠くへ行く時 なぜか深々とうなづく

※母親は子供が近くに留まると しみじみと微笑む

子供とは父親と母親の力関係、そのぶつかり合いの中での緩衝地帯で育っている、非武装地帯をみつけて

だから日本列島に満遍なく住んでいた
父親の力が劣化すると、子供はどんどん群れていき、母親の気に入った場所に住む


※ジャイアンはのび太をいじめているかぎり他の子はいじめない
それが二人の関係
ジャイアンのいじめは他に及ばない
現代は、誰もジャイアンを演じないので集団化する
人格がブレンドされることが無くなった


■「何を売るか」から「どう売るか」


「何を売るか」から「どう売るか」に企業がシフトしてスケールメリットで他を潰すことに夢中になっている

かつて労働の価値は有用なもの、価値あるモノをつくったことによって考量されていた

バブル以後は「どれほどの収入をもたらしか」によって考量されるように変わってしまった
すると最低価格でモノを購入しなければならなくなる、すべて費用対効果が決定するグローバリズムが形成される

■己の成長に費用をかけるよりもライバル達を無知のままにいる方が効果が高い

ゆえに電車の中での学生の会話は、友人の成績が一点も上がらない話題に限定されるようになる
(敵を賢くしないことが自分の成績を上げることにつながる


■テレビ ~ 流行 ~ 家族全員が同じテレビを見る= 大多数の人が同じ情報を共有する 

■ネットメディアの登場 = 「個人」という階層が現れた


■変化

今、ヒット曲でもCDそのものもの売上枚数は少ない
商品としてCDの売上はどんどん減っている、音楽はダウンロードするものとなった

仲介する流通業者が限りなく居なくなりつつある


■橋長談)
かつてはレコードの時代が長く続き、並行してカセットテープがありました
1982年、CDが登場し、レコードが衰退、その後登場のMDも短命に

しかし今 少数ですがLPレコードを出す若いミュージシャンがいます
その購入者は再生出来ない場合もあるかと思うのですが 
レコードを買うとそこにはアクセスコードが書かれていて、指定のHPに接続してダウンロード出来るという
モノとしてのLPレコードを手に入れ、音はMP3で聞く時代

私などはレコードの優しい音と30cm角のアルバムジャケットの魅力は今でも充分あると感じます
いや遠ざかっていた「失われた20年」があったからよけい新鮮に感じ、そこに価値があると思うのですが


■かつて質を証明するものは量であった

大量に生産され、大量に売れるもの長蛇の列、量に支えられてていた

■量への信仰が危なくなってきた
量には限界があり、間違いなく量が終わる時代がくる

■量を支えたのは個であった

■かつて「一人で生きられる」とか言ってたがそうではない
一人では生きられない、ネットワークの中でしか生きられなくなる


※コミュニケーションを失った、失調からの回復の一番の基本的な方法は、一旦、口をつぐむことである
一旦、黙ろう
自分の立場を離れて、身を乗り出し、相手の体温を感じるまで近づく、懐に飛び込む
相手の知性に対する「敬意」をきちんと、表現を持ちましょう


■海水の生命体が大気の生命体に変容する為には 根本的な変革が必要であった

つまり 自分の体の中に「海」を取り入れたのだ


■これからの新たな時代

これからの我々が体の中に取り込むのは「情報」ではないか

■自分の体の中に「共同体の情報」を取り込む、そういう感性が必要でえはないか

その為には
「人は何かしら生産に関与しなければ生きていけなくなる」だろう

何もしないと不安になる 何か達成感を求める


■もはや中間マージンは無く

川のように上流の生産から、中流の流通で広々と人を養った経済市場は消えうせた
いきなり上流から海の消費世界に結びつけられた

消費のみの老後は、人々をますます惨めにするのではないか
消費だけの一日は惨めになるのではないか


■動脈としての産業 = 若い人達

■静脈としての産業 = 一定以上の年齢層の人達

そういう二極で考えるべきではないか


■ ■ ■ ■ ■


ということでした

人やモノのを点数で評価する人はよく居られます
問題は100点を知っているか否か

さだまさしさんがテレビか何かで言ってました

「出来もしない完璧を目指していては駄目になる」


大きな転換期です

批判するだけではなく、常に先人や関係する人に敬意を表しつつ
自分、関係する人、状況をじっくり見据え判断すべき
と 愚考する次第です


ではまた