橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

カスタマー

2010年01月30日 | 窓から

前の記事の続きであります

本日JR東海のカスタマーセンターに電話しました

大阪での予定に間に合いそうもないので品川駅窓口で指定の件とあわせて京都までに変更の話をするも「着いてからで」という回答

京都駅で係員に聞くと「特急券部分はEXカードでしたら自動的に返金処理できます 乗車券部分は精算窓口で並んで下さい」とのこと 大行列なので 改札を出る 外に居る係員に精算を申し出ると 「出来ない」とのこと 散々やりとりがありましたが 時間もないので京都で降りたことを確認し カスタマーセンターの電話番号を聞きました

私の主張は「事故で運転見合わせは仕方ない 係員に聞いた通りにして精算できないのは納得できない かつ不測の事態で時間が過ぎて携帯で変更出来ないことも判る 選択肢のないモノが指示どうりしてルールだから はないだろう」ということ 

カスタマーでは最初 担当者Sさん「よくわかります ただ~」 で上司からかけるとのこと 

マネジャーのSさんとの話でも同じ 乗る前に 前の予約をそのままにして 新たに京都までの乗車券を買えばよかったらしい(前の予約分を使わないことになるがこの事態なので全額返金されるとのこと)

もし京都駅の窓口に並んでも精算できないハズだった もし精算していたらその担当者は処分の対象になる とのこと

思うに 品川駅や京都駅で「精算出来る」と答えた人は 細かいル-ル云々ではなく ごくごく一般的に考えてそう答えたのでしょう カスタマーのSさんに「10人中10人がおかしいと思うでしょ」と聞くと「はい」と答えています

「ICを使って嘘もごまかしもないシステム ルールに不都合があったら変えたら! この事態を想定してなかったら変えたら! 今後変えないんですか?」 

「もちろんそれは 様々な事例を検証して・・・・」

まぁ この手の話 マネジャーでも結論を出せる訳も無く 

「じゃあ 後日でいいから 会社としての対応を文書でおくっといてください」というと 

「カスタマーでは文書をだせない 電話なら・・・」 とのこと

「あのねぇ 私はべつにあなたとこの部署の話をしていない 会社として」

「もちろんカスタマーは本社直轄の云々・・・」

「ええわ じゃぁ 何年かかってもエエから電話くれ」

ということで休日の午前中を “納得いかない私”と“会話の中では理解していても今のルール以外の対応は一切できない気の毒な方”との 楽しいおしゃべりの時間で費やした訳であります

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手を振ってくれた機関手さん

血のかよった仕事をしたいものですね 文句を言うだけでなく わが身に置き換え反省したいものであります

追記)

午後になりSマネジャーから早速電話が

「京都駅での詳細を確認いたしましたところ 特殊な処理をさせて頂いておりまして 京都~新大阪間の運賃は 精算するようになっておりまして 後日明細で ご確認頂けるかと思います 今回の~お詫びもうしあげ 頂戴したご意見も~させて頂きます ~申し訳ありませんでした~」

ん~ 解決ではありますが すでに処理していた云々? “その場で対応してしまったコト”にしておこう という感じでしょうか
課題が解決したようには思えませんが


携帯戯言:社内放送

2010年01月29日 | 携帯戯言

携帯戯言:社内放送
今朝の朝礼で ある社員が「JRのダイヤが乱れてご迷惑をおかけします と説明しているが情報がなく不親切」というコメント

私も他の話題を話したあと「ちなみに 今朝の浅草線では社内放送のあとスイッチの切替ミスかなにかで“管制室”からの指示がそのまま流れていました それを聞いてると 運行状況がよくわかりました」と コメントしました

午後16時頃に新幹線で大阪に向かうべく品川駅へ 事故の為運行見合わせで大混乱 「チケットレスで携帯で予約しているがどうすればいいか?」やっと係員をつかまえ聞くと「本来の時間を過ぎているので携帯で変更はできません 早い便への変更は窓口でお願いします」とのたまう

長い行列をさんざん待ちカウンターにいくと「本日指定は発券出来ません」「どうすればええねん!」「空いてる指定席に座ってもらって結構です」「それやったら先に言え  並ぶ必要なかったやないか!」「申し訳ございません」

ふ~

並んでいる間 放送で「先ほど○○と」と言ったと同時に被せて「申し上げました“”」と大きな声でオッチャンが 場の雰囲気がなごみました

さらにまたもやスイッチの切替ミス? 駅員の会話が「ちょっとトイレに行き・・」「ダメ!」これにはかなりの笑いがおこりました ホームに止まっている13:57発!の のぞみの指定席に座っていると やっとのことで出発 で 動いたはいいが 今(18時)新横浜の手前でストップ

どうなりますやら


2010年01月27日 | 芝浦亭

20100126221517もう何年も いや数十年「おみくじ」というものをひいていません なんかそれに影響されるのもイヤだし・・・ というよりも嫌な内容を気にする自分を想像するだけで “あえて・・・” という思考回路です 同感はしない が結果的に同じ方も多いかと存じます

ともあれ 「おみくじ」というもの 久しくひいていなかった訳であります

で  上の写真 我が会社の本拠地 人形町の 松島神社の「おみくじ」であります  仕事始めに 日本橋七福神にお参りした際も 大黒神をまつった松島神社さんにはお参りしましたが この神社にはもうひとつかかわりが

MCEI つながりで親しくしてもらっている仁藤さん率いるSPソリューションズ さんが 松島神社のビル(つまり神社の上)に入っておられ先般その行事(古いか? イベントですかな)に参加させて頂き 帰り際に縁起もののお土産として くじ箱からひかせて頂きました

「 吉 」

前提条件 「 心正しければ 」を忘れずに 

心したいと存じます


ここしばらく

2010年01月24日 | On the Road

20100116071218東京下宿は 西向きです この写真は ビルに反射した朝日であります 慌ただしい一週間でした

で 大阪南の中華 台湾系のお店らしいですが メニューに 串焼きがありました その中に“ニラ”がありました ニラの串焼き? 「たぶん 練り物でニラ団子みたいな感じで まさか 一本一本串に なんてことは無いですよねぇ」 などと言いながら気になって注文したら

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いやいや 恐れ入りました  まさかが現実になって現れました 辛い! でも旨い!  焼きそばに絡ませて食べるとGoodでした

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人形町のとあるお店 「燗酒のおいしいお店」という看板 でお刺身を注文 この盛り付けは初体験でした

この間 東京方面では三度 人前で演奏する機会がありました ありがたいことです

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渋谷 夕方の街はあいかわらずでした 


ちょうど良い営業

2010年01月15日 | お仕事

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写真は 日本橋七福神 人形町界隈の神社を8カ所 お参りいたしました 私たちのまわった順番は

水天宮 <弁財天>  有馬頼徳公が、加賀百万国の前田公と能の芸を競われることになった際、弁財天に於いて願をかけられ、満願の日に目出度く勝つことができた為、室生弁財天ともいわれる。 御像は運慶の作と伝えられ、芸事や学業貨殖に霊験あらたかといわれる。

茶の木神社 <布袋尊>  周囲の茶の木が名の由来となった神社。又、佐倉城主の屋敷内はもとより、町方にも火災がなかったことで、火伏の神とも崇められた。布袋尊は福徳円満の神として広く信じられている。

松島神社(大鳥神社)<大黒神>  明暦の大火前、大鳥神社の周囲は歓楽街であった為、人形細工職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の 芸妓傾城等々、芸能関係や庶民の参拝によりたいへん賑わった。11月の酉の市が往時を伝える風物詩として今に遺っている。

末廣神社 <毘沙門天>  末廣神社は倉稲魂命を主祭神としている。葭原がこの地にあった当時は葭原八ヶ町の、明暦の大火で葭原移転後には難波町、高砂町、住吉町、新泉町、四ヶ町の産土神として信仰されてきた。多聞天の異名を持つ毘沙門天は、世界の守護神であり、又、福徳を授ける神ともされる。

笹間稲荷神社 <寿老>  江戸時代中期、常陸笠間神社の御分霊を奉斎、五穀をはじめ水産、殖産の守護神として信仰されてきた。寿老人は長寿の神にして、お導きの神、幸運の神として、人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神とされる

椙森神社 <恵比寿神>  聖徳太子がはじめて市を立てた際、市の守護神として仰ぎ、商売の神、福徳の神とあがめたことに由来。10月の恵比寿神大祭は毎年盛大に盛り上がっている。

宝田恵比寿神社 <恵比寿神>  宝田村の鎮守は、元々は皇居前にあった。祭壇の中央に安置される恵比寿神像は、慶長11年三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受け、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。1月20日初恵比寿、10月19日・20日には商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれている。

小綱神社 <福禄寿 弁財天>  稲荷大神を主祭とし、527年前に鎮座した歴史的に古いお社。5月の大祭では東部有数の神社大御輿で賑う。11月末に繰り広げられるどぶろく祭りは奇祭としてとみに有名。なお、福禄寿は福徳長寿の神、また弁財天は営業隆昌、学芸成就の神として、親しまれている。

ということで2010年のパワーを 社員皆で頂戴しました そして本日 1月15日(旧暦では12月1日)すっきり明るく元気よくスタートします  

フィンテックリアルティ株式会社 http://www.fr-i.co.jp/
〒103-0013
東京都中央区日本橋人形町1-4-14 日庄別館3階 へ移転いたしました これを機に社員一同より一層の努力をしてまいりますので何卒 倍旧のご支援ご厚誼を賜りますようお願い申し上げます

また 私 本日 フィンテックリアルティ株式会社の代表取締役に就任いたしました

新築分譲マンションの企画・販売においてデベロッパー様とお客様との「架け橋」となるよう「親切」「丁寧」「迅速」を追求してまいります  何とぞ ご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます

如何に“売る”というコトを実行していくか おそらく 会社の数 人の数だけ答えがあるのではないでしょうか 価値観が大きく変わろうとしている今 常に見直し続ける つまり 変化し続けることが鍵でありますが 変化させないコトもまた重要であります 時代に合わせたちょうど良い営業について これからも考え続けたいと思います

よろしくお願いします

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歩いてます

2010年01月10日 | お仕事

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 ラーメンと同じぐらい“やってしまった感 ”があります 当店限定 先行販売 CALIFORNIA BURGERだそうです

テキサス、ニューヨーク、ハワイアンそしてカリフォルニアの4種 本場の味を ということらしいです まぁ 比較的あっさり ではありますが 私の 所感としては 下のバンズが薄くてベタベタ 少し時間を置いた証でしょうか ハンバーガーをバランスよく食する為にはバンズのバランスも大事じゃないでしょうか それと Mさんの場合 レタスの入れ方に愛情を感じませんね “上から降りかけて乗っけただけ”とい気がします

1/7  13.1km    1/8  5.7km        1/9     14.2km

2010年 しめて 86.4km まぁ 許容範囲かと


歩く 歩く 歩く

2010年01月06日 | お仕事

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2010年 仕事がはじまってからよく歩いております

1/1  0.9km    1/2       0km

1/3    2.1km    1/4  13.8km

1/5  17.5km    1/6 19.1km

三が日は寝正月でほぼ動いてません(万歩計付の携帯を持っていなかったこともありますが) 4日は大阪 5日から東京で歩き回っていました

なんと新年から しめて53.4km 歩いております

これはこれで結構なコトであります それだけご挨拶させて頂くお客様がある ということですから  2010年 “Departure 51”をキャッチフレーズにしようとしている私としては ピッタリの滑り出しであります 一歩づつ 一歩づつ 前進する 皆さまからの賀状やメールでよく使われるフレーズでありますが こうやって数字に表わすと実感がわきます せっかく そういう機能付きの携帯がある訳ですから 今年はカウントしていこうか  とも

いつまで続きますやら

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Departure 51

2010年01月03日 | LS HAGAKI

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D51 デコイチの愛称で人気のあった蒸気機関車であります 小学校から中学にかけて 関西本線をメインに追っかけて写真を撮っていました Dは動輪が4コ Cは3コ 当時私はどちらかと言うと端正なC57、C58 大きく早いC62 軽快なC11が好きでした

D51は あまり好みではありませんでした 生産数も多く 貨物から客車まで何にでも対応出来る優れた機関車であったのが ひねくれモノには逆に作用したのかも知れません

D51 1、158、376
D51 254、463、473、488、499
D51 514、614、703、718
D51 831、869、882、885、906、934、940、1045

当時 私が写真に収めたのデコイチ達です改めてデコイチの写真を眺めていると バランスのとれた機関車だったんだなぁ と思います

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年齢を意識する、というコト 最初はやはり十代から二十歳になるときでしょうか 私の場合 その後の三十、四十と大台へのステップはほとんど意識していませんでした と 言うよりも「意識して意識していなかった」のかもしれません 特に三十台も半ばからは自分の年齢を即答できないぐらい“意識して”いたかもしれません 今振り返ると 仕事を中心として立ち止まることなく歩いていたのかも知れません それでも さすがに四捨五入で五十、という頃より 考えるようになりましたが

そうこうしているうちに2008年春、49歳を迎えてから大きな転換が起こりました 2009年春、50歳の誕生日、弁護士さんとの打ち合わせ そしてその翌日、重要な発表とともに訪れる混乱

その時から今日まで思いどおりにコントロール出来ない 自分の意識とのズレを思い知らされる日々が続きました 多くの方々にご迷惑をかけることとなりました

私個人に目を向けると かろうじて ゆっくりでも自分でコントロール出来る分野を持っていたことが大きな助けになりました

“51”
2010年春、51歳を迎える準備 と新たな出発をプラン“D51”として実践していきたいと思います

Dourin2


Departure

2010年01月01日 | LS HAGAKI

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あけましておめでとうございます

新しい出発 の2010年のスタートです

2009年 いろいろありました 結果からすると“受身”だったかと想いいます

2010年 は 仕掛けていきたいモノです “Departure”  環境が 情勢が いろいろあるのでしょうが 周りではなく 私が 素直に 出発しよう という気持ちです

年越し~年明け 今までとはパターンを変えました 例年通り 実家近くのお寺にお参り鐘つき(お世話になってます) そこからが“新” ご近所の神社に初詣 本殿までの階段の参道は行列 ご近所にこんなにぎわった神社があるとは気づいておりませんでした でも今年からは そんな身近な所も しっかりチェックしながら 確実に進んでいこうと思っている次第です

“Departure 51”

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