橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #278≪最も尊きもの≫

2013年11月21日 | EHAGAKI

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お世話になります

「多様性こそ常に重要なものだと考えている」と書き出すと前回の続き ≪今だ科学者≫のようですが それは又改めてということで“食”に関するというか“酒”の話題であります

 ■  ■  ■  ■

例えばポート・エレン Port Ellen、ローズパンク Rosebank、リンリスゴウ Linlith1gow、ブレチン Brechin、グレン・ヴォー Glen Mhor、ミルバーン Millburn、まだまだある

実はスコットランドでのウイスキー生産は 少数の大手企業の手中にある
こうした多国籍企業による蒸留所の所有によって小さく また歴史がある 面白みのある蒸留所の多くが閉鎖された

残念だ なぜなら多様性こそ常に重要なものだと考えているからだ 多様性があってこそモルトウイスキーはカづけられ 育まれるものだと信じている

我々は皆 お互いを必要としあっている 実のところ 大手も中小も同じなのだ お互いに単なるブランド以上のカを得られる 多様性を通じてこそ スコッチ・ウイスキーとしての真髄とも言える精神が発揮され 他の蒸留酒では到達できない域までに その味わいとともに到達できうる

 ■  ■  ■  ■

これはブラックアダー社のロビン・トゥチェック氏の言葉であります 先般“WHISKY Festival 2013 in TOKYO”という催しに行ってきました
ウイスキーに関係する40社が一堂に会して“試飲”できるという非常に危ない催しでありました

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2005年に初めてブラックアダー社のスモーキング・アイラというシングルモルトを飲んで以来のファンなのですが 今回そのトップのロビン・トゥチェック氏の講演(試飲付き)があるというので参加してきた訳です

ブラックアダー社は独立したボトラー(瓶詰業者)であります 製造ではなく様々な蒸留所から樽を買付け瓶詰している どちらかと言うと流通よりの立場でしょうか
通常ウイスキーは 濾過し 色付けし 加水しているそうなんですがブラックアダー社は最低限の濾過にとどめ 樽から出したままを瓶詰しているのです

今回のお題はそのウイスキーにまつわるロビン・トゥチェック氏から直接聞いたお話であります

■哲学
■色
■濾過
■カスク 最も尊きもの
■将来

■ ■ ■ ■ ■

■哲学

ブラックアダ一社の事業は、スベイサイドやアイラのバーでは樽から直接注ぎ売られていた当初の原点に立ち返ってボトリングするという哲学に基づいている。

そのまま、あるがまま、清らかなスピリッツ。

1800年代当時のスコットランドの騒々しい産業都市では、混ぜ物をしていないウイスキーなど珍しかっただろう。

アバディーン、ダンディ、エジンパラやグラスゴのような都市のバーでは、ウイスキーに混ぜ物をするなんてことは、よくあることだった。 しかしウイスキーは、まさしく“命の水”としてあった。気力を高めるとともに、雪に見舞われることが多く、冷たく、じめじめしたスコットランドの冬から逃れるための一杯であった。

あるがままにウイスキーをボトリングしたかった。

自分のウイスキーには誠実でありたい。カラメルを加えることによって着色したり、香味を加えたり、それ以前に過度に濾過を行うことによって、樽ごとのウイスキーがそれぞれ密かにしまいこんでいる風味を取り除いてしまうなど、それはそれは尊いスピリッツに手を加えてしまうことなどしたくはなかったのだ。

だからこそ、3つの基本的な方針を定め、ブラックアダ一社はウイスキーをボトリングしてきた。

1つ、決して着色しないこと。
2つ、冷却滅過ないしは他の方法など過度な漣過は絶対に行わないこと。
3つ、カスク 、最も尊きもの。

今でも決して忘れられないのは、グレン・グラント蒸留所(Glen Grant)に立ち寄った時のことだ。

晴れ渡った、美しい5月のとある日のことだった。当時のマネジャーに蒸留所を案内してもらってから、ともに散歩し、蒸留所に隣接する果樹園を通りかかった。

ちょうど裏側に樹林地があり、そこから小川が湧き出し、丘の斜面を流れるようになっている。
永い間の流れが刻みこまれた跡が残る岩に扉があり、マネジャーは鍵を開けて、ラベルも何もついていない1本のウイスキーと、グラスを2つ、酒杯(whisky Quaich)を 1つ取り出した。

彼はボトルを開けて、ウイスキーを二杯用意した。そして、流れる水を酒杯ですくって、ほんの一滴をそれぞれのグラスの中の琉泊色のスピリッツに加えた。

私たちは、互いの健康を祈って乾杯した。ウイスキーが口の中で炸裂した。まるで、自分の味覚の全てが競い合って、口の中のスピリッツの複雑さを判読しようとしているようだった。

舌の上で天使が踊り始めた、そしてそのウイスキーは、まさに聖歌を歌いながら過ぎ去った。

水を少しは加えていたものの、力強さからそのウイスキーはカスク・ストレングスだと判った。

それまで、その類のものを味わった経験など全くなかった。まさに爆弾!天啓であった。

「 ロビン、カスク・ストレングスのグレン・グラントだよ。エイジは10年から12年のもの、ここの蒸留所の熟成庫の樽のうちの1本から直接、引き出したものだよ。」

時間は止まり、1年もの間そこに2人で立っていたかのようだった。一言も発することが出来ず、自分のグラスにある“神々の飲む生命の水 (nectar)”の不思議なカともいうべきものがそこにはあった。

暖かで、晴れ渡った、美しい5月の朝の出来事~今となっては20年も前のこと。

こうしてブラックアダー・ウイスキーの哲学は出来上がった、このときのことは決して忘れられない。

唯一人間のみが、そのものの本来の在り様、蒸留における不思議な力、そしてカスクによりもたらされる在るべき態様に手を加え、混ぜ物をし、そして価値を損なわせることができるのである。

■色

ボトルの中のウイスキーが、外から確認できるとは限らない。瓶に色があることもあるので、最初の一杯を注ぐまで、中に何があるのか判らない。エイジ10年のウイスキーとりわけアルコール度数が40度のものであれば、もしファースト・フィルのシエリーカスクでなければ、否や
バーボン・カスクであったとしても、さほど色は濃くないはずだ。

ウイスキーに着色をほどこすために、スピリッツ・カラメルを用いれば、変わるのは外観だけではない。ウイスキーの味にも、影響を受けてしまう 。

ウイスキーは熟成させる間、何が行えるのか、何が行えないのかは非常に厳格な規定がある。
しかし、瓶詰め段階でカラメルを用いて着色することについては、規制も規定も無い。

ウイスキーに着色し、かつそのことをラベルに明確に表示しないことは、不誠実であると感じている。

このことが、私がウイスキーには決して着色してこなかったことの理由であり、更にはブラックアダーが今後も決してそうした慣例にふけることはないとする理由でもある。

■濾過

ボトリングされるウイスキーは、程度の差こそあれ、そのほとんどには漉過が行われている。

当社を創業した際には、濾過を可能な限り最小限にとどめることとした。当時は、一般的な冷却濾過(chill-filtration)をしていなかったのはスプリングパンク(Springbank)などごくごくわずかであった。

作業工程としての冷却濾過は、可能な限り透明な蒸留酒を確保するという商業上の目的から、大規模に行われる。

室温よりもボトル内のウイスキーの温度が低くなると、生じることがある脂肪分をウイスキーに残さない為である。そんなウイスキーなら、少しばかり加水したって、全くにごりもしない。

冷却濾過は、水の凝固点( O℃)近くにまで冷却すると、ウイスキーから油脂分が分離しやすくなり、濾過はより完璧に出来る。

そういった製品が大手小売事業者や空港の“免税店”などでメジャーなブランドには必要なことだとされている。

一方、無冷却濾過(non chill-filtered)とされるウイスキーでも過度に濾過が施されていると言わざるを得ない。シングル・カスクを冷却濾過してボトリングすれば、体積は少なくとも5%は減ぜられる。

典型的な無冷却濾過ならウイスキーの体積が 3%ぐらいは減少するのに対して、当社では1%未満であることが多い。

また濾過するということは、ウイスキーから泊分や脂肪分を減じることであり、フレイバーと同類のもの、更にはウイスキーの味わいも減じることになる。

ブラックアダーは、無冷却濾過など、無漉過ウイスキーを開発しようという、インディベンデント ・ボトラー(independent bottlers)である。

西暦2000年は新たな千年紀の始まり、ブラックアダーでは、ロウ・カスク(Raw Cask)シリーズの導入によって祝うこととなった。

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明らかに、このウイスキーのシリーズによって、樽からそのまま、あるがままにウイスキーをボトリングするということに更に近づけた。

スベイサイドの中心部で初夏の5月のあの日に味わった、あの素晴らしかったグレン・ グラ ントと同じようにボトリングしたウイスキーだ。

ボトリングの仕方そのものは、とてもシンプルだ。樽を空にしてから、目だって大きな炭化物は、ボトリングする前に取り除く。

全てのボトル内に、泊分や脂肪分、沈殿した炭化物を均一に行き渡らせるために、ウイスキーをかきまわす。

とりわけ、ウイスキーの本来の味わいを確保するには、泊分や脂肪分こそが重要なのだ。

昨今、業界大手の多国籍企業もスベシャル・エデイションとして無冷却濾過のウイスキー導入しつつあることは興味深い。

■カスク、最も尊きもの

「カスク 、最も尊きもの」とは、何を意味しているのであろうか?

スコットランドやアイルランドの蒸留酒を、エイジ3年に至り法的にウイスキーとするには、オーク樽にて熟成させねばならない。

使われる樽は多岐にわたる。アメリカン・オークあるいはヨーロピアン・オークが主に用いられる。

いずれも最終的な成果であるウイスキーに異なった特色を授ける、同様に樽に以前にどんな蒸留酒やワインが貯蔵されていたかも大きく作用する。

シエリー・カスクやバーボン・カスクが従来よりある一方で、今日では、様々なカスクを用いてフィニッシュをかけたものが多くある。

しかし、どんな酒が貯蔵されていたかどうかにかかわらず、樽自体がそれぞれ素晴らしいものだということが判っている人は少ない。

個々の樽によってスピリッツに授けられるフレイバーは多様、多岐にわたる。

木目や気孔など個々のオーク材の材質は、それぞれ固有なものであり、様々な人間が存在するのと同じである。

更には、同じ一本の木であっても、部分が異なれば、スピリッツに備わるフレイバーも異なる。

樽の複雑さをよく表している例としては、個々の樽で熟成されるウイスキーのフレイバーの60%から 70%はその樽からもたらされると推計されている。

当然ながら、良質な大麦、潤沢な滑らかな水の供給、適正なイースト、そして経験豊富な 蒸留担当者の存在が、将来的にウイスキーとなるものを作る上で大切である。

最終的にウイスキーを生み出すという意味合いで、熟成は最も重要である。

■将来

ブラックアダーとは“インディペンデンド(independent)・ボトラーとされる存在だ。
大手の多国籍プランドによる今日の世界において、インディペンデント・ボトラーはどういう存在なのだろう。

実はスコットランドでのウイスキー生産は少数の大手企業の手中にあるこうした多国籍企業による蒸留所の所有によって小さく 歴史がある 面白みのある蒸留所の多くが閉鎖されたのだ。

例えばポート・エレン Port Ellen、ローズパンク Rosebank、リンリスゴウ Linlith1gow、ブレチン Brechin、グレン・ヴォー Glen Mhor、ミルバーン Millburn、まだまだある

“インディベンデント”な企業とは、大きな事業法人の管理下にない存在なのである。

我々は、自らのやり方で物事を行うことを好むのだ。

アイデアでも哲学でも、我々は“何ものにも依存していない”のだ。

我々は独自の道を行く。

我々は独自のことをする。

我々は自らの信念において情熱的なのであり、考えも精神(spirit)も独立しているのだ!

自分がブラックアダー・インターナショナル(Blackadder International)を創業したのは1995年だが、それより以前から、独創的で革新的なアイデアを持てるのは“インディベンデント”な企業だと思ってきた。

実際に、新たな蒸留所を創業したり 、一旦閉鎖された蒸留所を再開したりするのが、“インディベンデンド’な企業であることはよくあることだ。

今日、モルトウイスキーの多くは、いわゆる蒸留所の“オフィシヤル(official)”ボトリングとして、入手が可能であり、そうしたものの中でよく売れているものは今や世界的に広く認知されている。

こうしたことはスコッ チ・ウイスキーには良いことだが、逆にインディペンデント・ボトラーにとっては、だんだんと多くの蒸留所からシングル・カスクを入手しずらくなってきている。

この要因は、国際的な大手事業者が市場で優勢にあることとともに、彼らが現在では多くの蒸留所のウイスキーを、過度なまでにプランディングし、マーケティングした自らの“オフィシャルボトリング”以外に入手することが難しいように制限するという方針であることが挙げられる。

こうしたことは残念だと思う、なぜなら多様性こそ常に重要なものだと考えているからだ。多様性があってこそ、モルトウイスキーはカづけられ育まれるものだと信じている。

我々は皆、お互いを必要としあっている。

実のところ、大手も中小も同じなのだ。単なるブランド以上のカを得られる、実際に。

多様性を通じてこそ、スコッチ・ウイスキーとしての真髄とも言える精神が発揮され、他の蒸留酒では到達できない域までに、その味わいとともに到達できうるのだ。

インディベンデントな企業は、今後ますます困難な時代を迎えるだろう、少なくとも面白く、かつ個性豊かなカスクをどう確保していくかという問題がある。

しかしながら、ポジティブな見方をすれば、事業を他よりも確立できる企業こそが、新たな革新的なアイデアを出し続け、成長し続けるものと確信している。

いやそれ以上に、ブラックアダーはそうした会社のうちの1社として、歩を進めつつ、ますますパワーアップし成長し続けるものと確信している。

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当社は素晴らしいウイスキーのストックがあり 、将来の成長を確実なものとするにあたっては外部から良き協カを得られる状況にある。

選りすぐった素晴らしいカスクのモルト・ウイスキーをお届けし続け、皆様にも喜び続けて頂きたいと考えている!

Robin Michael Tucek
Chairman and Managing Director
Blackadder International  Ltd
TOKYO
17th November 2013
■ ■ ■ ■ ■

ということでした

1995年創業 私自身も節目の年でその10年後の2005年にそのシングルモルトに出会い 今またその創業者のお話を聞けたことに感じるモノが多々ありました

特にインディベンデントな企業(独立系の販社)としての気概はお手本にしたいと愚考する次第です

ウイスキーフェスティバルでの試飲 このセミナーでの試飲であちこちで寝落ちしている人もいましたが 私はなんとか最後まで聞き多くのメモをとることが出来ました

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但し 後日メモを見ても判読できませんでしたが
したがってセミナーにて配られたテキストを参考にしております

                       ではまた

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EHAGAKI #277≪今だ科学者その1≫

2013年11月05日 | EHAGAKI
戦争と平和 戦争と平和
発売日:2002-10-29

お世話になります

ザ・フォーク・クルセダーズ 2002年のアルバム「戦争と平和」に「芸術家、科学者、そして宗教家」という曲があります

作詞:きたやまおさむ
作曲:加藤和彦

ああ人間たちよ 元気でいるかい

 そうさ芸術家 今だ科学者
 そして宗教家 地図のないまま

 そうさ芸術家 今だ科学者
 そして宗教家 知恵を合せて

今だ科学者」というフレーズが印象的です

前回「科学者が人間であること」中村桂子 著のことを取上げます と予告していたのですが まずは 現状確認と問題提議ということで 目次とメモを

科学者が人間であること (岩波新書) 科学者が人間であること (岩波新書)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2013-08-22

まとまっていなくてすいません
お時間のある時にでも眺めて頂ければ幸いです

■ ■ ■ ■ ■

■Ⅰ.「生きものである」ことを忘れた人間

◆1.「生きものである」とはどういうことか

「人間は生きものであり自然のなかにある」これは誰しもわかっていること しかし 現代社会はこれを基盤としてできている訳ではない

人間は生きものであり自然の中にいる ということを忘れたと言わざるを得ない社会をつくり営んでいる

鼻や舌などの感覚で判断することは非科学的で 数字で表す 白黒はっきりさせることが良しとされる風潮

人間は一つの祖先から生まれた仲間であること 三十八億年という時間を体の中に持つという二つの性質を他の生き物と共有している

◆2.「ヒト」の特徴を考える

家族は人間独自のものであるがその芽生えは類人猿でもみられる 母親は完全に生物学的存在 父親は文化的存在であり これが生まれたことで家族が生まれた

ヒトゲノム、つまり私たちの細胞核の中にある全DNAにはATGCという四種の物質が三二億個ほど並んでおり、その配列は解読されている 実はチンパンジーもほぼ同じ大きさで その配列を比較すると違いは1.2%ほどしかないとか

●私たちが生きる近代文明を「生きものとしての眼」で見たとき何が問題なのか?

◆3.近代文明とはなんだったか   「生命」の視点から

●早く出来る、手が抜ける、思い通りに出来る。
日常生活にはとても有難いことであるが これはいずれも生きものには合わない!

生きるということは時間を紡ぐことであり、時間を飛ばすことは全く無意味むしろ生きることの否定になる!

野菜作りを趣味にしているある会社の社長さんが「肥料じゃないんだよ。毎朝ご機嫌はどうかと声をかけてやれば美味しいトマトができるんだ。」
と話す時の顔は、経営について語る時のそれとは違い、何とも柔和、日常は厳しいけれど、その底には生きものへの眼があるんですね

●一極集中と多様性

大きな問題を抱えている↓
利便性の追求、人工環境を良しとする価値観の追求  東京圏への一極集中であり、この異常と言える一極集中社会は生物が生きる場としては大きな問題

本来「多様」なものであるのに、この社会は均一性を求めている

●日本は豊かな自然資源を持っている国

日本は世界六位の海岸線の長さを持ち、富士山は3776mの高さ、日本海溝は8020mの深さがあり、南北だけではなく高低でも多様な自然がある

日本の近代化は西欧からの「科学を主とする知」や「社会制度の導入」で始まった

それを日本人は真面目に追及し 多様性を蔑ろにした 気が付けば食糧も自給していない

近代化の先生であるヨーロッパなどのいわゆる先進国 実は分散型であり食料の自給もしている なぜそこまで真似しない?

世界では人口増加による食糧難が心配される? 日本の現状は先進国と言えない!

●アダム・スミズ
人間は利己的なものとしても 本性の中に明らかに別の原理があり 他人の幸福を 自分にとって必要なものだと感じるのである
最低水準の富は必要だが それ以上の富の追加が幸せと比例すると考えるのは私たちの中の“弱さ”である
「財産への道」と「徳の道」が矛盾した時は徳の道を優先させれば 社会の秩序は維持され繁栄する

●科学技術についても 否定するのではなく「人間の側から」考え直すことが必要

■Ⅱ. 「専門家」を問う     社会とどう関わるか

◆1.大森荘蔵が描く「近代」

求めるべき世界観

「科学が作ってきた世界観を問い直すことから始めなさい」
大森荘蔵

●選択肢1
悪者は科学だから離れよう 私たちは日本の自然の中で生命に向き合う文化を作り上げてきた 神道や仏教のように総合的に自然・生命に向き合ってきた東洋古来の思想に目を向け 新しい社会を組み立てる道

●選択肢2
科学には問題点があるが蓄積された“知”を無視することは出来ない 科学を見直し問題点を検討し 科学を踏まえた“新しい知”を探索しようという道

●後者を選ぼう 二者択一ではなく“生きもの視点”で“新しい知の世界観”

◆2.専門家のありようを見直す

●原発事故後 専門家の考え方や行動が一般社会からかけ離れているのでは?
専門家の言うことは信じられないという空気が生まれてしまった

「専門家」たちが 自らも社会の中に生きる一人の「生活者」であるという感覚を失い 閉じられた集団の価値観だけを指針に行動しているのだ という事実が一連の説明を通じて伝わってしまった

●役に立つ
「社会の役に立つ」という言葉が重要になり威力を発揮しだした 本当に人々の為になるか否かではなく 経済的な利益に結び付くかどうかを意味していた そしてさらに 実際に経済的利益つながるか否かよりも 「つながるかの如く見せる」ことが大事になってきた

“ムラ”を守るために 目的・意義よりその研究が「役に立つ」ことをアピールし巨額の予算を獲得すること自体が専門家たちの至上命題になってしまった

◆3.社会に対する「表現」

●安全神話
「大丈夫だろう」 著者自身もそう思っていた
神話を信じてはいなくても甘かった これは日本人の文化?

谷川俊太郎さん作詞の「鉄腕アトム」
手塚マンガの根底にあるのは 生命の視点から科学技術を考えるということ しかし アトムは子供たちに夢を与えることが求められたので どうしても 「ラララ 科学の子」 になる

一方 イギリスの「機関車トーマス」のテーマソングの一つに 「じこがほら おきるよ」という一節がある

これは人間の問題 科学・科学者のありようは社会の価値観や文化に影響される 社会から夢の技術などと期待されると専門家はついその気になってしまう

●ベートーヴェンがすばらしいと思えるのは 様々な演奏家という「専門家」による表現があるから 演奏家は音楽と同時に自分を表現する
コミュニケーターではなく表現者 しかも作曲家が演奏するシンガーソングライターが原点 科学者もそうあるべき

◆4.生活者として、思想家としての科学者

●鴎外の不安
「自然科学のうちで最も自然科学らしい医学をしてゐて、exact な学問といふことを性命にしてゐるのに、なんとなく心の飢えを感じて来る。生といふものを考える。自分のしてゐる事が、その生の内容を充たすに足るかどうだかと思ふ」
これはドイツ留学時の森鴎外の言葉です

「研究」以前のごく日常的な面と「研究」を超えて哲学に近づく面とがあるのに「研究」という言葉にはこの両方がはみ出してしまう

●新しい「研究」の意味を
日常と思想を含んだ探究という意味を「研究」に含めてはどうか

学問はどんどん専門化し細分化してきた 本来科学は自然と向き合うもの科学者自身が生活者としての感覚を持って自然と向き合わなければならない

自然と向き合うという姿勢が生まれることが 近代が依拠してきた世界観の見直しという 大きな問題につながるハズ

■ ■ ■ ■ ■

ということでした

あれ 中途半端ですか そうですね 

読み込んでメモしてると一冊全部書き写してしまいそうで 力尽きました

次回は この続き

■Ⅲ.「機械論」から「生命論」へ     「重ね描き」の提案
■Ⅳ.「重ね描き」の実践に向けて   日本人の自然観から
■Ⅴ. 新しい知への道   人間である科学者がつくる

ということで  ではまた

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1981年 Redwood