橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #405≪暮れましてありがとうございました≫

2020年12月28日 | EHAGAKI

暮れましてありがとうございました

来年は丑年
丑年は「我慢」や「発展の前振れ」を表す年になる
と言われているそうです

そんなことが干支を知ってるすべての人に
当てはまるとは思えませんですが

「良いとこどり」したいものです

少なくとも冒頭の挨拶で「COVID-19」について
触れることのない1年を願って

暮れない昼はない
気兼ねなく一杯やりたいものです

皆様に幸多き事を祈念いたします


ではまた


EHAGAKI #404≪心配スナ 安心スナ≫

2020年12月03日 | EHAGAKI

お世話になります

季節を感じることも少なく12月となりました
油断ならないCOVID-19には、くれぐれもご用心下さい

近頃よく聞く言葉
使う人の立場から妥当性を判断するに、間違っている

↑変ですね↓

近頃、違和感がある言葉が増えている気がします
特に「スピード感をもって、、、」に「違和感」があります

感とか気とか、「どっちもどっち感」があります

スピード感をもって
どうして「すぐに」「早急に」と言わない?
政治家は与党だけでなく野党議員もこの言葉を多用しています

検討します=放置する
善処します=前向きな印象を醸し出しつつ=一旦保留=何もしない

「スピード感をもって」は客観的ではありません
ゆっくりでも
本人は「スピード感をもって」やっているので責められない

感じるということは内からくるもの
それを行政を執行する者が言ってもねぇ

don't think, feel

いやいや
師匠が弟子という個人に
アドバイスとして言うのと訳が違います

もう一つ
 「安全安心」

安全
危なくないこと
物事が損傷・損害・危害を受けない、または受ける心配のないこと

安心
気にかかる事がなく、心が安らかなこと
人に不安を感じさせないこと

この二つの言葉も四字熟語として定着するのでしょうか

まるで
臥薪嘗胆
すれば
未来永劫
報われる、と
魑魅魍魎
どもが
我田引水
とは
笑止千万

閑話休題
今回のお題は社会と世間
そこから発生する同調圧力であります

事実や数字に基づくのではなく
気持ちに重きを置く日本

「世間」に対して「世間様」と
様までつけてしまう我々のお話です

参考図書)

同調圧力
日本社会はなぜ息苦しいのか
鴻上尚史、佐藤直樹(著)

講談社現代新書2020/8/19

◆ ◆ ◆ ◆

社会と世間の比較図

社会    ◇ 世間
契約関係  ◇ 贈与・互酬関係
個人の平等 ◇ 長幼の序
個人の集合体◇ 個人不在
変革可能  ◇ 変革不可能
合理的関係 ◇ 非合理的・呪縛的関係
聖・俗の分離  ◇ 聖・俗の融合
実質性の重視◇ 儀式性の重視
平等性   ◇ 排他性
非権力性  ◇ 権力性

※橋長注
「様」がつくことがあるのが世間
「様」などつけるのはそぐわないのが社会



以下
「世間と社会はどこが違うのか」
「世間と社会の二重構造」
という二つの節を
アバウトにセンテンス毎に逆からメモしてみました
※橋長注:わざとです、この表現は

「世間」と「社会」の違いに着目
現在日本の社会問題のほとんどはこの二重構造が原因

日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきた
その為

世間がホンネ

社会がタテマエ

という二重構造ができあがった

社会という言葉は江戸時代にはない
1877年ごろにソサエティ(society) を翻訳してつくった言葉

これを「世間」と訳さなかったのは
「社会」が「個人や人間の尊厳と一体となった言葉」であることが
分かったからだろう

日本人は長く「世間」に縛られてきた
日本人の人間関係のつくりかたは
コミュニケーションの手段が発達しても
1000年以上の間ほとんど変わっていない

世間という言葉は「万葉集」にも登場

世間を(よのなかを)
憂しとやさしと思へども
飛びたちかねつ鳥にしあらねば
山上憶良

 


https://youtu.be/Tj_8y2dxYFQ

 

「世間」=日本人が集団となったときに発生する力学

ある種の人間関係のつくりかたであるが
そこに同調圧力などの権力的な関係が生まれる

一方
法律で定められている人間関係が「社会」

社会とは
ばらばらの個人から成り立ち
個人の結びつきが法律で定められているような人間関係

現在、SNS等、利用しがいのあるものを手にした

しかし
社会とつながって、社会を広げていくのではなく
逆に
「幻の世間」
今ではセイフティーネットの役割も無くした「世間」
そんなモノにすがろうとしている
そして、皆苦しんでいる

江戸時代~昭和の終戦前後までを含めて
隣近所とお米、醤油の貸し借りが
都会でも当たり前のようにおこなわれていた

まだ「世間」というセーフティネットが機能していたのだろうか

「世間」とは
現在及び将来自分に関係がある人たちだけで形成される世界のこと
会社とか学校、隣近所といった
身近な人びとによってつくられた世界のこと

「社会」とは
現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち
例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、すれ違っただけの人とか
映画館で隣に座った人など、知らない人たちで形成された世界

つまり
あなたと関係のある人たちで成り立っているのが「世間」
あなたと何も関係がない人たちがいる世界が「社会」

「何も関係がない人」と何回かすれ違い
会話するようになっても
それはまだ「社会」との関係にすぎない
やがて
互いが名乗り、語り合う関係に発展すれば「世間」が出来る

日本人は「世間」に住んでいるが
「社会」には住んでいない

「社会」という自分とは無縁の人たちの世界で
その人たちとどう関係をつくっていくか

そこにしか日本人の未来はないのではないか


◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

今回のタイトルは「心配スナ、安心スナ」
これにピンと来た方
安物のバーバンで一杯やりたいですね

まぁ
呑みに行くな!
という同調圧力に屈しておこう

と、愚考している今日この頃です

さてさて、油断ならない時は続きます
皆様におかれましても
心の栄養補給も怠らない様、ご自愛下さい

ではまた