9月からはLIVEの季節 我が 大坂城ジャグバンド“Daihanjyo Jug Band”も予定たっぷりでございます
まずは 恒例 “ケメコジャンボリーから キックオフ
”9月19日 ケメコジャンボリー さぁ 京都へ行こう!
「集・syu」 「酉・yu」「楽・raku」 サカタニ にて 今回は あの fulare_pad も登場とか 楽しみです
そして 昨年の日経に続いて 今年はこれで予選突破!
9月23日 TOYOTAナイスミドル音楽祭'09
《関西ブロック》 9月23日(水・祝) 大阪:ABCホール
開 場 15:00 観覧募集人数 300人
開 演 15:30 ゲスト 未定
終 演(予定) 18:30 観覧募集締切日 9月14日(月)
10月3日 上賀茂神社観月祭
10月10日 ~11日クックオフ
10月11日 PM~TEN-ON 天満音楽祭
10月24日 丹波ワイン ハウスイベント
11月8日 サカタニ駅伝LIVE
はりきってまいりましょう
ガスオーブン in ダッチオーブンのローストチキン2回目も 極上でした
ダッチ・オーブンといえば まずローストチキン 訳あって 我家にガスオーブンがやって来ました 我家のレンジ系機材は 2007.1.29付「チーン」 があって買い替え 選考の結果 電気式のレンジ・オーブンを選んだ訳ですが 嫁のガス式への思い入れがあった訳す で 今回 訳あってガスオーブンがやって来ました よし まず何か作ろう ということで ガスオーブンの中に10インチキャンプ・ダッチオーブンを入れローストチキンに挑戦したのです オーブン・イン・オーブンです 普通に下火だけでも十分作れるのですが オーブンに入れ上下左右から熱を加えるのですから これはもう なんともいわんや なのです 見た目の 焦げ加減はまだまだですが 今回のチャレンジで 火加減はマスター出来ました ガスの立ち上がりの良さで 火をコントロール出来ている感は大したモノ 次回が楽しみであります
皮はパリパリ 中はジューシー 今回は表面に美味しい手作りベーコンを貼り 中には肝・玉葱・パン+クワントエロー・・・
生まれてずっと木造住宅 というか田舎の家で年を重ねてきた訳ですが 就職後 数年で結婚=マンション住まい で現在に至る訳ですが 木造田舎工法24年:鉄骨鉄筋コンクリート造(現在は鉄筋コンクリート造) 26年となって逆転してしまいました 木 樹 やはり日本人にはこの自然素材でなければならないと思っています 長年マンション販売を生業としているモノとしては そのあたりの融合が 今後の課題であると 明確に認識している訳であります
木と泥 これが日本 東のアジアの基本素材であるハズ さぁ これから と愚考する訳であります
夜 芝浦亭に来ると 同じフロアに越して来たという リンさんご夫婦がご挨拶に 当たり前の風習を“単身赴任だから まぁ ええか”と疎かにしているモノとしては気恥しく 挨拶させて頂きました 単語だけの英語でしか会話出来ませでしたが良いお付き合いをしたいなぁ と思った次第です
今までの反省 進行形の反省 それはそれとして これからのコトは企(くわだ)て 企てるぞ! と思っている次第であります
ハーブティ を頂戴しました
「お墓参り」の写真です 白黒で撮ると 昭和の匂いがしますが 平成21年6月末の撮影です 母の三回忌の 暑い日差しの中でのお墓参りでした
2007.8.30に書いた“LS EHAGAKI#163≪Two Mothers≫”のことを思い出し 想い浮かびます 以下
すこし寂しいお話になりまがご容赦下さい
親指と他の4本の指をこすり合わせると左手に比べて右手が滑らかになっています 今の私の右手に残った感触です
先般 私の母の四十九日法要がありました 実家の仏壇で供養し その後近くのお墓へ火葬し体の各部位を丁寧に収めた“骨壷”とは別に ほとんどすべての骨を30センチほどの木箱に入れ自宅に持ち帰っておりました そしてその骨をお墓に埋葬します “骨壷”は数年自宅にお祀りし その後納骨するのが私の実家あたりの慣わしの様です
お墓に着き まず墓石の前面 下の方にある石を移動します お花台の石もあり狭いので私1人で作業しました その石をどけると小さな穴があります 周囲の細かい石などを綺麗にし中を覗くと 骨らしきものが見えます おそらく19年前に亡くなった父親のものだと思いますそこへ木箱に入った母の骨を入れていきます 狭いので木箱から直接入れることは出来ません 手のひらに持てる分だけ持ち 少しづつ収めていきました火葬されたその骨の なんと軽いことか 彼女の72年間の最後の姿を手のひら 指で感じながら 身内の者の眼差しを感じながら 収めていきました 手に残った感触は軽石の様な母の骨の感触です
「・・・・・」
昨年11月 癌が発見された時はすでに末期状態でした 入退院を繰り返し放射線 抗がん剤と治療し ある程度回復した時期もありましたが根本的なものではなく5月からは積極的な治療はしておりませんでした
ほとんど食事を口にすることもなくなり6月から週末のみ外泊し「7月1日の誕生日は何食べたい?」などと話をし なんとか72歳の誕生日を迎えてほしいと祈っておりました 誕生日を待ていたかのようにその後容体が急変し 3日の朝 逝ってしまいました
昨年9月 嫁のお母さんが突然亡くなられ 驚き戸惑い まだ心が整理出来ていないままでした 二人の母親は時折連絡を取り合い仲良くしていたようです あちらで私達(私と嫁)の悪口でも言ってくれていれば良いのですが
嫁のお母さんからは「端正であること」イメージとして“実”を 私の母からは「人として本当の強さ」“芯”というイメージを また久しぶりに(遺骨を)見た父からは「わずかでも必要不可欠なミネラルの様に趣味などの大切さ」“風”を教えられたように感じています
身内や身近な人の不幸が続く 当然辛いものですが二人の母を見習い 明るく陽気に行きたいものです もし優しく力強いメロディーでも浮かんだら その曲のタイトルは“Two Mothers”にしようと決めています
以上
想い起す こと しっかりと見つめたいと思います
多摩方面でのとある駅 ホーム横の線路の外側 ほとんど使われることのない錆びたレールが残っています よく見かける光景です 私の乗る方向の電車が出たあとだったので時間がありました 人も少なくベンチも空いていたのですが 暑くて座るのもイヤだったので 携帯カメラで“錆びたレール”の写真を撮ろうと構えました そこで小さなドラマが
すずめがチュンちゅんと そのリズムで着地と移動を繰り返していました 錆びたレールに乗った瞬間 すずめの表情が“真剣モード”に入ったと感じた まさにその時 その細い脚の瞬発力を180%使ったようなジャンプ一番 1メートルほどのジャンプ(飛んだのではなく)の後 羽を使い態勢を立て直し 草の無い枕木の上に着地 その雀の嘴には 体長150mmぐらいのバッタ(毛鉤サイズでは#14程度)が まだもがいています スズメにしては大きな獲物に思えたことを 証明してくれるかの様に 雀は悪戦苦闘して バッタの息の根を止めようと頑張っています
そして グラスホッパーにとっては命運を決した錆びたレールの上に目をやると カナヒベが 目標を見失い 何も考えていない体で のこのこと 重心がぶれたまま カナヘビが現れました 5m程の距離からでも その目の輝きの無さは見てとれました 己の“躊躇”に対する憤りが その筋肉を支配していました 「逃がした獲物は大きい」 これは人間もカナヘビも同じようです
すずめはスズメで 達成感満々でバランスを崩しながら ヨタヨタと飛んで行きました ここでは新たなドラマはありませんでしたが
命をかけた真剣勝負はあらゆる場面で繰り広げられています 諦めない目 瞳を持ち続けたいものです 勝者・敗者のジャッジではなく“継続する者”でありたいものです