橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #286≪対 その2≫2014/6/19

2014年06月19日 | EHAGAKI

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お世話になります

オフィスの玄関口ですれ違う二人のヤクルトレディー
お一人はかなりのご高齢 台車には杖も そしてもうお一人は若い人 話の内容は聞いていませんが しばらく立ち話をされてたようですが私が通りがかった時はお互い反対方向に行かれました

その光景を見て何故か“スターウォーズ”を思い出しました

言葉は大切であります

不明瞭な言葉 間違った使い方 人格を疑う発言 そんな言葉があふれていると思います
特に政治家さん そしてマスコミは

塩や醤油がわずかな量で料理全体の味を変えます
私たちのわずかな言葉で行動も変わってくることはよくあります
人に褒められると嬉しいですしね

今回のお題は「対その2」であります

■写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉、森山大道の言葉
 写真界の巨匠の言葉を選んでみました

■師弟関係「二つある」
 スターウォーズの撮影が進んでいる ということで以前のネタ再掲載

■ ■ ■ ■ ■

山口宏泰:著
■写真のフクシュウ 荒木経惟の言葉
■写真のフクシュウ 森山大道の言葉

私が附箋した箇所をご紹介します

荒木経惟の言葉

「写真が人生であり、日常が芸術」

「絶対やめないんだよ。死ぬまで続ける」

日記を書き続けていると、日々の生活のなかで、何か書くに値する出来事を無理にでもつくろうとする。日記の為に行動が決められていくような状態に陥る、そんな経験はないだろうか。ブログやツイッターに熱心な人は、自分がそんな気持ちになっていることにうすうす気づくのでは?

でも、それでいい。あらゆる作品はフィクションなのだから。

日常を題材にするならば、撮った写真がダメであれば、あなたの人生がダメで悪いのだ、と断罪されることまで覚悟しなければならない。

「選んじゃいけない。もう撮るときにチョイスして選らんでっから。」

ひとつの被写体が突出して目立つことのないよう、画面に中心を設けない気配りがなされている。そうすることで、観者は“見切った”という感覚にいつまでもたどり着けず、ずっと画面に見入ることとなるのだ。

荒木はいつも“気配”のようなものを見ているという。一人一人の気配から次の行動を読み、ほんの少し未来にどんな情景がそこに現れるか予測し、先回りして待ち構えシャッターを押す。その為には気配を読み取る業が必要になってくるが、それを会得するには「生活を、人生を、ちゃんとそれなりに鍛えないといけない」

人を見る眼を養う以外にスナップショットに通暁(つうぎょう)する方法はなさそうだ。

「空間じゃなくて、時間をフレーミングするんだよ」

画面に“時”がうまく入り込むと、そこに写っている人や事物の過去と現在と未来が感じられる。それは一遍の物語を生み出す。そうした物語を読み取れるとこっろが、荒木の写真の魅了のひとつだ。

ただし、「コト」一辺倒にしないのもまた、荒木のやり方。

女性を撮るときも、多くは、いっしょに二人きりの時間を共有して楽しんでいるのが伝わるような写真になる。いっぽうでフォルムの美しさに着目して、まるで女性を単なる物質のごとく扱う写真もある。

「あたしの場合、こういうすごく日常的なのとアートっぽいのが同居している。関係性が出てるのと突き放してるの、『事』が写っている写真と女を『物』にしている写真が混ざりあってるんだよね。」

「スロウシャッターで背景が流れるように、ほーら、30分の1秒で幸せが写っちゃった。」

「見せないんだったら、撮らないのと同じだ。」

「写真家は未熟ではいけない。円熟してもいけない。半熟でなければいけない。」

「安全地帯から撮る。スルみたいなもの。中に入ったらおしまいだと思うし、つねに表面しかみたくないというか、そのひとつの人生が見えてくるような撮り方はしたくない。」

 

森山大道の言葉

混沌とした外界の魅力に身をゆだねてしまう、どうやらそれがポイントだ。世界はどこに視線を向けても驚くほどの情報が詰まっていて、あらゆるテーマが氾濫している。人間ひとり、そこらに転がっているモノひとつ、どれも美しかったりいかがわしかったりして見どころたっぷりで、あらゆる断片が魅力的。すべてがアートそのもののよう。だからあとは、それらをなんとか受けとめようと心掛ければいい。

「何かテーマを作ると自分の写真の可能性がうすっぺらになるような気がしてる。」

田中長徳:「へたな人ほど、パソコンでいじる。元がダメだったら何をやってもダメなんですよね。」

森山大道:「そんなダメな人はアートに走ればいいんだ。やるのは勝手だけどさ。天才的なコンセプトの持ち主ならいざしらず、いじり倒してどうなるんだろう。アナログだろうがデジタルだろうが、しょせんカメラはコピーするツールなわけで、そこが写真のすごみなんで、普通に色がついてダメな写真だったら、もともとダメな写真なんだから。」

「写真とは時間を<定着>する行為である。決して世界を<表現>する行為ではない。」

「写真は光と影の産物であり<表現>するものではない。」

「写真は志すに足るジャンルですかって?もちろんですよ。写真はものすごい魅力をたたえたメディアで、他のジャンルなんて足元にも及ばないって僕は思っているよね。カメラマンがはっきりそう思って信じてやらなくちゃ、写真に悪いじゃないか。」

紹介文)
これぞ「写真のバイブル」。荒木経惟と森山大道の生ける言葉、2冊同時刊行!

写真界の巨匠、荒木経惟・森山大道が何気なく発してきた言葉は、写真が上達するヒントにあふれている。
強烈な言葉と作品をキーワード別に読み解く、まったく新しい「写真のバイブル」。
荒木・森山とは一体何者なのか?! 時代別に作品と思考が読み取れる、ヒストリー付き。
2冊を読み重ねれば、互いに影響を与え合ってきた、驚くほど面白いふたりの関係が明らかに!

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■師弟関係「二つある」
百人百語(MCEI 2012年 提言集)から

この世のあらゆるものが2つある。正と邪、美と醜。右手を打ちつけては邪をなし、左手を胸にあてては思いやる。片足を踏み出せば悪の道、もう一方を踏み出せば善の道をゆく。あらゆるものがそうだ。二つある。(ポーニー族の格言)

スターウォーズでジュダイとシスは光と影。ジュダイは合理化が進み、評議会を持ち合議制。結果、聞く耳を持たないアナキンや自分の器でしか動けないルークなど師匠の手に負えない。

一方、暗黒面のシスは完璧な上位下達で、魂を汚すほど大きな力が与えられる、という努力と報酬の関係が明確である。

「フォースにバランスをもたらす」というジュダイの伝説は光と影の均衡を正常に戻すということ。

「悪」というものがある、それを駆逐することが「繁栄」をもたらす。この世はそんな二者択一ではない。

あらゆるものが二つある。

光と影、二つの均衡を正常に戻す「恐れ入る」という意識が肝要。フォースの修行はトイレ掃除からはじめるべきなのである。
(橋長 達)

百人百語(MCEI提言集)
毎年末に出る「これから」のマーケティング戦略の変化・兆候」を捉え、百人が百通りの視点で主張する提言集です。会員並びにMCEI活動の良き理解者たちから毎年提言をいただいています。
http://www.mcei-osk.gr.jp/
https://ssl.mceitokyo.org/
再掲載:EHAGAKI #244≪御慶≫2012.1.10

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ということでした

言葉を大切に使い 大切に聞く

「無いものねだり ではなくあるもの探し」でいこう と愚考する次第です

ではまた