海の日の昨日「勝海舟フォーラム2014~江戸無血開城 命の大切さ~」 という講演を聞いてまいりました
勝海舟玄孫 高山みな子さんの基調講演 近々公開される映画「幕末高校生」の監督 李闘士男さんと高山みな子さんとの対談という内容でした
予習・復習の為 勝海舟へのインタビュー集とも言える「氷川清談」を読んでいます時事問題・世相のみならず明治の町の様子 人々の暮らし向きなふども語られています
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もっとも時の政府やその支持者達からは「氷川の大法螺吹き」と言われていたそうですが
ということで今回のお題は「氷川清話」から私が気になった部分を抜き出してみました
■市中をぶらつけ
俺が長崎に居た頃に、オランダ人教師から教えられた事がある。それは「時間さえあれば市中を散歩して、何事となく見覚えておけ、いつかは必ず用がある。兵学をする人は勿論、政事家にもこれは大切な事だ。」と教えっられた。そこで俺は調練の暇さえあると、必ず長崎の市中をぶらついた。ステッキの頭へ磁石をつけて、これで方角をとっては歩いた。それだから勿論今日では全く変わっているだろうけど、その頃米屋がどこの横町にあるとか、豆腐屋がどこの角にあるとかいうことまで、ちゃんと俺は呑み込んで居たよ。この時の事が習慣になって、その後どこへ行っても、暇さえあれば独りでぶらついた。それゆえ、東京の市中でもたいてい知らないところはない。日本橋、京橋の目貫のところ、芝や下谷の貧民窟、本所、深川の場末まで、ちゃんと知って居る。そしてこれが維新前後に非常にためになったのだ。
■西郷の居眠り
あの時俺と西郷の談判で、双方五人づつの委員を選び、城受渡の式をすることにした。西郷も大久保忠寛もその一人で俺は加はらなかった。その時は殺気だっていてなかなか油断ができなかった。堂々たる官軍の全権委員の一人が、狼狽のあまり片足に草履をうがちながら玄関を昇ったという奇談も残っているぐらいである。
この中で西郷は悠然として、少しも平生に異ならず、実に貫目があったということだ。実に驚いたのは、城受け渡しに関するいろいろの式が始まると、西郷先生居眠りを始めた。この式がすんで、ほかの委員が引き取るときも、なお先生ふらりふらりやっている。すると大久保かたわらよりたまりかね、「西郷さん、西郷さん、式がすんで皆さんお帰りでござる」と、ゆり起すと、先生「はあー」と言ってねぼけ顔をなでつつ、悠然として帰っていったそうだ。大久保もひどく感心していた。なかなかふといやつだ。数十日疲れていたもんだから、城受け渡しの間に、いい暇見付けた気でいねむりとは恐れ入るではないか。ここらがかの維新元勲の筆頭に数えらるるところだ。
■官府語
昔、幕府が種々の規則を出す時には、人民に分かり易い文字をなるべく用いるようにしていて、係の人は、終始このことを心掛けていた。しかるに今はその反対で、なるべく難しい文字を用いるようになって、なかなか普通の人には分からない。いつであったか、法典発布前、ある人が俺に「発布の上は世間がやかましいだろう」と言ったから、俺は「いや、法典の文字が人民に分からないから、やかましく言う者も少ないだろう」と言った事があったが、果たしてその通りになったよ。 明治22年頃?
■仕事をあせるな
仕事をあせるものに、仕事の出来るものではない。せっせと働きさえすれば儲かるというのは日傭取り(ひようとり:日雇い)のことだ。天下の仕事がそんな了見で出来るものかい。
■個人の百年は国家の一年
一個人の百年は、国家の一年ぐらいにあたるよ。それゆえ、個人の短い了見でもって、国家のことを急ぎたてるのはよくないよ。徳川幕府だって、もう駄目だと諦めてからも、十年も続いたじゃねえか。 明治26年、日清戦争前
■改革は公平に
行政改革というのは、よく気を付けないと弱い者いじめになるよ。俺の知ってる小役人の中にも、これまで随分ひどい目にあった者もある。全体、改革ということは、公平でなくてはいけないよ。そして大きい者から始めて、小さい者を後にするがよいよ。言い換えれば、改革者が一番に自分を改革するのさ。松平越中守が、田沼時代の弊政を改革したのも、実践躬行(じっせんきゅうこう)をやって、下の者を率いていたから、あの通りうまくいったのさ。 明治26年
■時に古今の差なく国に東西の別はなし
時に古今の差なく、国に東西の別はない。人間は同じことを繰り返してばかりじゃねえか。
生麦、東禅寺、御殿山。これらの事件は維新前の蛮行だと皆は言うが、明治のになってもやはり、湘南事件や馬関騒動や京城事変があったではないか。今から古を見るのは、古から今を見るのと少しも変わりないさ。 明治28年
※ここに上げた事件はすべて日本人が外国人を殺傷した事件:明治になって進歩した訳じゃない。
■真の国是
国是とか何とか世間の人はやかましく言うが、口に言うばかりが国是じゃないよ。十年も百年も、確然として動かないところのもので、何人からも認識されてこそ初めて国是ということが出来るんだ。 明治27年、日清戦争直前
■元勲とかなんとか
この頃元勲とかなんとか、自分で偉がる人達に、こういう歌を詠んでやったよ。
時ぞとて咲きいでそめしかへり咲(ざき) 咲くと見しまにはやも散りなん
あれらに分かるか知らんが。自分で豪傑がるのは、実に見られんよ。伊藤もまた外国へ出かけたそうな、何時までたっても自惚れが強いのう。俺らはもう年がいった。 明治30年
■一生懸命では根気が続かん
困苦艱難(こんくかんなん)に際会すると、誰でもこゝが大切の関門だと思つて、一生懸命になるけれど、これが一番の毒だ。世間に始終ありがちの困難が、一々頭脳に徹へるやうでは、とても大事業は出来ない。ここは支那流儀に平気で澄まし込むだけの余裕がなくてはいけない。そう一生懸命になってはとても根気が続かん。世路の険悪観来って坦々たる大道ごとくなる錬磨と余裕が肝要だ。
■今の小説は浅い
今の小説は、西洋のモノを加味して、昔モノを焼き直すから、広いことは広いけれど、浅くっていけない。昔の小説を読むと、その時勢がわかるけど、今の小説では今の時勢は決してわからない。それに諷刺が浅はかで、すぐに人を怒らせるなどは、あまり智慧がないではないか。露伴などが今少し年をととるとよかろう。書いたもので見ると、あいつなかなかえらい。そして経歴もあるらしい。まず今日では露伴が一等だ。
■無神経は強い
世の中に無神経はど強いものはない。あの庭前の蜻蛉をご覧。尻尾を切って放しても、平気で飛んで行くではないか。俺などももまあ蜻蛉ぐらいの所で、とても人間の仲間入りは出来ないかも知れない。無暗に神経を使って、やたらに世間の事を苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ髭が白くなって、まだ年も取らないのにもうろくしてしまうというような憂国家とかいうものには、俺などはとてもなれない。
■大胆に無用意に
世に処するには、どんな難事に出会っても臆病ではいけない。さあ何程でも来い。おれの身体がねじれるならば、ねじってみろ、という了簡で、事をさばいて行く時は、難事が到来すればするほど面白味が付いてきて、物事はは雑作もなく落着してしまうものだ。なんでも大胆に、無用意に打ちかからなければいけない。どうしようか、こうしようか、と思案してかかる日には、もういけない。難しかろうが、易しかろうがそんな事は考えずに、いはゆる無我という心境に入って無用意にで打ちかかって行くのだ。もし成功しなければ、成功するところまで働き続けて、決して間断があってはいけない。世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気がが尽きて疲れてしまうから、大事が出来ないのだ。
ということでした
仕事なり人生のヒントになりそうなコメントを抜き出そうとしてななめ読みして選びましたが 当時 総理大臣の伊藤博文:政府に対する批判が多くなってしまいました
現在の日本とだぶらせてる訳でもないのですが
勝海舟 今まであまり興味を持っていなかったんですがもう少し「氷川清話」を読み深めようと愚考する今日この頃です
ではまた