COVID-19については様々な情報が錯綜していますが
まだまだ、油断ならない、ということは間違いありません
皆様におかれましてもくれぐれもご用心下さい
世の中は変化し続けておりますが
デジタル化が進むにつれ、0か1か、黒か白か、善か悪か
敵か味方か
理解してるか否か
そんな議論が蔓延しています
そんな簡単なコトではありませんよね
現実は
私たちは、自分の体の中で何がおこっているか?
知らないなりに、先人の知恵を頼りに生きている訳であります
そして新しい発見なり知見が世に出て
頭の中をゆっくりと
おそらく50年単位ぐらいではないでしょうか
アップグレード出来るのは
さて、今回のお題は、前回の続き
「と」という大切な「間」
そして
「縁起」という言葉
「細胞」という自分
あっちとこっち
「両方肯定していこう」というお話です
【参考図書】「虫とゴリラ」
養老 孟司、山極 寿一(著)
毎日新聞出版2020/6/2 「福岡伸一、西田哲学を読む」
生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一
池田善昭、福岡伸一(著)
明石書店 (2017/7/7)
https://amzn.to/31k06ck
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
時間は空間に包まれながら
実は逆に空間を包んでもいる
間の論理とは
湯川秀樹の「中間子」にまで行き着く
これは西洋の論理にない
西洋の論理には
「A」 か「A ではないB」の、どちらかしかない
「と」の論理は
日本人の哲学の中に、非常に微妙に人り込んでいる考え方
我々は意識しないが、そういう「間」に「と」を置いて
「あなたと私」と言った時
あなたと私が同一である、ということではなく
「と」 という中にいったんクッションを置く
別の言い方をすると、関係性に主体を置いて
主体と考えているものを「両端」だと考えればいい
仏教でいうと「縁起」に近い
「縁起」とは
「すべての存在は無数無量といってよい程の因縁によって在り得て
という、仏教の基本思想を表す重要な用語
私が先に存在しているのではなく
無量無数の因縁が私となっている
無量無数の因縁によって私が成り立っているという意味であるから
福も内、鬼も内である
福と鬼が私となっているという意味
それがいつの間にか
縁起が吉凶の前兆を意味する自分の都合を願う言葉になっいている
とすれば
仏教の大切な教えすらも
自分に都合よく理解しようとする人間の本質が見えてくる
「両方肯定していこう」という話
日本語ではその間に介在する「と」によって
その二つが
同じ価値を持って、見えてくる世界が出来上がる
相互が了解し合える「橋」が架かる
例えば縁側というのは、内でもあり外でもある場所
あるいはどちらでもない場所
そういう領域が我々の思想の中にある
日本の自然にも里山があって、これはハレでもケでもない
動物もいれば人間も使う
そういう場所が必ずある
そこに相互が了解し合える「橋」が架かる
※そんな橋については↓
EHAGAKI #398≪日本の橋その2≫
時間は空間に包まれながら
実は逆に空間を包んでもいる
福岡先生は細胞の内部と外部のあいだに
膜というものを考えておられますが?
その膜というのは内部でも外部でもないが
そこにおいて内部と外部がつながっている
言わば
「包まれつつ包む」仕方で一つになっている
外部は内部を包みながら
逆に外部は内部の中に包まれている(包まれつつ包む)
それは細胞膜において、すでになされている
しかも膜自身も、絶え間なく流動している
膜自身は琵琶湖や多摩川と同じように絶えず流動し
細胞の中で作られては
ベルトコンべヤのようにして送り出されていく
一応、細胞を外側と内側に分けてはいますが
その境界というのは実はある意味で曖昧
川が流れているのと同じ
川って何ですか?、というと
水の流れであって、水がなくなった窪地は川ではない
同様に膜も「状態」としか定義できないもの
それが細胞膜という言葉で表現されると
かっちりした輪郭線を想像してしまう
けれども
実はそうじゃない
むしろその流れの中に命のやりとり、営みがある
そういったことも
実は最近になって人間が気がついたこと
細胞自身が「作ることよりも壊すこと」を一生懸命に行っている
ということも
ここ10年、 20年のあいだにわかってきたこと
細胞の中で何かが作り出される
DNAが作られ、タンバク質が作られる
20世紀の科学者たちはこぞって
細胞のこの精妙な仕組みの究明に取り組み成果を出してきた
細胞の中でものを作る仕組みは、たった1通りしかなかった
DNAを作る方法も
タンバク質を作る方法も1通りしかない
ところが
細胞が細胞の中のものを壊す方法は何十通りもある
その方法はまだ全然解明できていない
とにかく
細胞というか命というのは、壊すことに一生懸命
なぜか?
壊さないと、エントロピーを捨てられない
壊さないと、次が作れないから
だから
壊すことが唯一、時間を前に進める方法
分解と合成が同時に進行する?
そうです
分解と合成が同時に進行するということは
そのことによって内と外との区別がつくられる
ということですね?
はい
だから
細胞膜で起きていることは
「包む・包まれる」と同じだ、と言ったのはそのことです
そういう意味で
「あいだ」を思考する、という思考の仕方は
従来の西洋科学にも西洋哲学にもなかった
それが西田によって初めて、まさに自覚的になされたわけです
「逆限定」とか「絶対矛盾的自己同一」とか
そういう言葉になって表された
ですから
教養として、西洋哲学や西洋科学を学んできた人に
西田哲学が理解できないというのは、ある意味では当たり前です
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ということでした
「理性」で組み立てられた様式
大切なことです
しかし、それが暴走する悲劇を私たちは知っています
世界を支えている様式は「自然」です
まだまだ解からないコトばかり
対立ではなく、「両方肯定する」
解からなくてもいい
「どっちもどっち」ぐらいに考え続けるコトが大切
と、愚考する次第です
さてさて、油断ならない時は続きます
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい
ではまた