お世話になります
このたびの豪雨により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます
また 被災地の一日も早い復興を心より祈念いたします
広範囲にわたり雨の影響が出ており これから来るであろう台風を思うと心配でなりません
さて 勝海舟が明治29年の8月末から9月にかけての全国的な大洪水によせて 徳川時代と当時の治水土木工事について比較し 当時の明治政府のお粗末な工事や施策について
御維新前はただの素人でさえも、こんな丈夫な堤防をこしらえたのに、どうだい、今日ではヤレ何博士で候に、ヤレ何技師で候という者でなければ出来ないものと思うて居るぢゃないか。その癖コンナ人などが沢山の入費を貰うてこさえた堤防も少しばかりの出水に、、、、、
と批判しています
ということで今回のお題は「氷川清話その2」であります
災害については明治29年の東北津波に際しても以下の談話を残しています
■難民の救済
天災とは言いながら東北の津波は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。
全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、俺は当局で無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに違いない。
この様な場合に手温い寄付金などと言うて少しばかりの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と今の政府の遣り口とは丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくって愚頭々々して居る内には、死ななくてもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまう。ツマリ遣り口が手温いからの事だ。何と酷ごたらしいぢゃないか。
徳川時代にはチャント手が揃って居るから、イザと言ふこの様な場合になると、直ぐにお代官が被害地に駆けつけて、村々の役人を集め、村番を使うて手宛をするのだ。
先ず相応な場所を選んで小屋掛けをするのだ、ここで大炊き出しをして、誰でも空腹で堪らない者にはドンドン惜し気もなくなく喰わせるのだ、さうすると、この様な時には、少し位身体の痛む者も、みんな元気がついて来るものだよ。
炊き出しの米は、平生やかましく責立てなくとも、チャンと天災時の用意がしてあって、何処へ行きてもお蔵米がかこってある。それだからイザ天災といふ時でも苦労せずに窮民を救うことが出来るのだヨ。
窮民に飯を喰わせなければ、みんな何処かへ逃げて行ってしまうヨ。逃げられては困るヂャないか、どこまでも住み慣れたる土地に居た者を、その土地より逃がさずにチャンと住まはしておくのが仁政というものだヨ。
それから怪我人は、矢張り急場の間に合わせに幾らも大小屋を建て、みんな一緒に入れて置くのヨ。さうして、村々のお医者はここへ集まって夜の目も眠らずに、急場の治療をするのだ。何でもこの様な時は素早いのが勝ちだから、ぐづぐづせずに治療していったものだ。それゆえ、大怪我人も容易には死ななかったヨ。
徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても急場になってマゴマゴする様な者はなかったヨ。それに、なかなか手ばしつこい事をして治療するから、ドンナ者でも手遅れの為に殺す様な事は無かったものだヨ。
左様の風にやって行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなって来る。それから三カ年も五カ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごくゆるくしてやるのだ。一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢をゆるめるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。こうなれば、モーしめたもので、安心さ。
ということで実際どうだったのか?はわかりませんが「スピード」が大事なコトはよくわかりますし 現政府も明治政府からの延長であること思えてなりません
閑話休題 この「氷川清話」のテーマは多岐に渡っており その中でも人物評価が読みごたえがあります
たとえば
■土佐と肥後
土州では、坂本と岩崎弥太郎、熊本では横井と元田だろう。
坂本竜馬。あれは俺を殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時俺は笑って受けたが、落着いてな、なんとなく冒し難い威権があって、よい男だった。
元田永孚(ながさね)は温良恭謙虚の人で、横井はアベコベに乱暴な人だった。しかし年老いてから、ああいう風に変わって今ぢやア横井々々と人がい
うようになったが若いときは、カラしかたがなかった。
■二宮尊徳
二宮尊徳には一度会ったが、至って正直な人だったヨ。全体あんな時勢には、あんな人物が沢山でるものだ。時勢が人を作る例は、俺は確かに見たヨ。
というように当時 実際に海舟自身が会った人 また歴史上の人や海外の人まで評価しています
なかでも面白いと思ったのは歴史に登場しない人々のことにもふれている点です
■市井の人物
八百松の婆も非常なやり手であったが、松源の婆はこれに比べると一層の手腕家であった。昔はこの種の人間によほど傑物があった。青柳の女将などはやはりその一人だ。勿論高尚な教育のあろう筈はないが、実地に世間の甘い辛いを嘗め尽くして来ただけあって、なかなか面白いところがある。
あの婆などが世間に幅をきかせた時分には、俺はあれらの顧問でよくその人物を知って居るが、彼らが人を鑑識する眼力といひ、その交際の工夫といひ、とても今の政治家などの及ぶところではないヨ。
昔俺が田安家へ往来していた頃に、青柳は近所だったから、いつもあそこで昼飯を食った。ところが12月29日であった。例の通り昼支度に行ったと
ころが、若い者どもは揃いの半纏で女中どもと掃除をするやら、いわゆる越年の準備で、なかなかの景気に見えた。昼食の給仕にはいつも必ず女将さん
か娘がでたが、この日は女将さんは多忙であったものだから娘が出てきて給仕をした。
そこで俺が娘に「家もなかなか景気がよいと見えるな」といったら娘がその言を伝えたとみえ女将さん出てきて、いろいろ挨拶の末
「殿様、只今娘に宅の様子を御話しがあったようですが、殿様には私どもの暮し向は、とてもお解りになりますまい。殿様には、ちょっと景気がよいように見えませうが、実のところを申せば、只今金といって一文もありません。それがため亭主は、せつかく才覚に出かけて居るので御座います。
けれども大晦日のことですから、どこへ参っても到底間に合ふ気遣ひはありますまいと存じます。お見かけのところは、ほんの世間に対する体裁を繕う
義理ばかりで、よし金がなくて苦しくても、するだけのことは致しておかないと、自然と人気が落ちて参りまして、終にはお客さんが、ここのものは肴までが腐って居ると思召すやうになってしまひます。
全体、人気の呼吸と申しますものは、なかなかむつかしいもので、いかほど心の中では苦しくても、御客様方には勿論、家の内の雇人へでもその奥底を
見せるといけなくなります。この苦痛を顔色にも出さず、じっと辛抱して居りますると、世の中不思議なもので、いつか景気を回復するもので御座います。」
と言ったが、その胸にある苦痛を少しも顔色に表さず、いかにも平気らしい様子を見て、俺もその時はひどく感心した。
全体、外交のかけひきといえば、なかなか難しくて、とても尋常の人には出来ないやうに思って居る人もあるが、つまりこの女将さんの呼吸のほかに、
何もあるものではない。
ただ外交ばかりでなく、およそ人間の窮達の消息も、つまりこの呼吸の中に在すると思うヨ。
略
海舟は30両を置いて帰り 後日尋ねると景気も良くなり利益が出たので返しますとのこと そこで海舟は
「この金をお前に上げる。実はこの間のお前の話で、俺も大変に良い学問をした。お前はなかなか感心な奴だ。ちゃんと胸の中に孫呉の奥義を諳んじ、
人間窮達の大哲理を了解して居るのだ。
この金は、かやうな結構な学問をしたその月謝と思って進上するから、取っておけ」といって三十両をくれて帰ったことがあった。
どうだ、有益な話だろうがね。
略
八百屋の松などはえらいものであった。たびたびおれの家へも来たが、いくら高貴な人が大勢居る中でも平気なもので、隣にはどんな人が座って居るか、
一向に気にも留めぬふりで話をして居る。松、あぐらでもおかきといふと、へい、御免なさいという風で、上を向いて煙草でも吹かして居たヨ。
料理屋について思ひ出したのは、この頃珍しい人に行きあったことだ。先日奈良原繁の家へ御馳走に呼ばれて行ったら、湖月の亭主だとか言って、いろ
いろ立ち働いて周旋するものがある。
よくよく見ると、この男は案外にも、昔おれに砲術を習って居た多賀右金次といふ男だ。そこで俺はいきなり、貴様は右金次ではないかと声をかけたと
ころが、まことに落ちぶれまして面目も御座いませんといふから、何、貴様よりおれの方が落ちぶれて居る。貴様は自分の腕で飯を食って居るけれど、
俺は漸くお上のお蔭で食って居る。俺よりも貴様の方がずっと偉いと言ってやった。
それからいろいろ昔話などをしたが、ずいぶん面白いこともあったよ。
■時勢は人を造る
時勢は、人を造るものだ。今日いろいろの学問や、智恵のある人たちが、これから種々の困難に出会って、実際その学問を試したり、その心胆を練った
りなどすると、将来に起こるべき、東洋の大禍乱をも、切り開くだけの人物になれるだろうヨ。
今日は、実に間の児(あいのこ)の時代だから、万事思ふ通りにならぬのだ。経験もあり信用もある人物は、年を取らないうちに、はや老朽してしまひ、
若年の敏腕家は、まだ経験と信用がないといふ風で、当分はどうも仕方がないヨ。
「万一の備え」にあるべき公共事業や備えの体制 それを効率という短期の経済の尺度で行ってきたツケの大きさを虚しく実感します
長期の経済の尺度でこの国を造る「人」が望まれます
「異常気象」という言葉はよくないと どなたかがラジオで言ってました
曰く「自分たち人間の都合だけで見ている言葉 たかだか数百年の時間軸で自然はそんなものではないし 人間の傲慢さが出ている表現だ」と
たしかにそうであり そう考える人でありたい と愚考する次第です
ではまた